ある日の雪の合戦場

 水で戻した竹皮の上に握り飯が四つ。
 塩、梅干し、焼き味噌、鮭の混ぜ飯。
 たった今握り終えた最後の一つには青菜の塩漬け。刻んで混ぜて、それも竹皮に並べて置いた。
 全部で五つ。
 六爪を操る手で握ったから随分と大振りの握り飯になった。多いだろうかとちらりと思うが、簡単に痛む季節でもない。足りないよりは良いだろう。形良く並ぶ握り飯を眺めて、たすき掛けの政宗はひとつ頷いた。
 幸村に持たせるための弁当だ。
 予定通り昼過ぎには発つという。
 外では昨夜の雪がまだ積もっているが、台所は火を使っているぶん暖かい。政宗の他には賄方が二人いて、下準備を頼んでおいた者たちだ。すべて任せてしまえば早いのだが、やはり握るくらいは自分の手でしたかった。
 ちっと野暮用があると幸村には言い置いて、だから好きに遊んでおけと言えば、ならば体を動かして参ると外に目を遣っていた。
 今日は朝から雪かきで、当然のように幸村も付き合わせた。まだ動き足りないのかと呆れたが、戦場を含め日頃の体力を思えば納得もする。
 政宗は指についた米粒を唇で取り、桶の水で手のぬめりを流した。あとは握り飯が冷めるのを待って、持ち運べるよう包むだけだ。
「悪ィ、後は頼むな」
 はい、と答える声を背にたすきを解いて、羽織を掴み、外に出れば途端に寒い。遠くでざざと屋根を滑った雪が重い音を立てて地面に落ちた。

 夜のあいだに降り出して、朝を待たずに止んだ雪だ。
 踏み固めたり掻いたりでおよそ道は作られているが、手付かずの所を踏めばくるぶしまでがすぽりと埋まる。
 晴れた空はよく澄んで青い。空気は冷えるが日差しは温かく、ひなたの雪は今日のうちに溶けてしまうことだろう。

 幸村の姿を探して、政宗は開けた場所に出ると周囲を見回した。
 ただでさえ足元が悪い。そう遠くに行く事もないだろうが、と足を進めるうち、緩やかな坂の下から何やら大勢の声が聞こえてきた。
 練兵場だ。
 訓練にしてはわあわあと賑やかなそれに、政宗は羽織の袖に手を入れて、薄く雪の残る道を慎重に下る。
「今だ、攻め込め!」
 近づいて様子が見えてくれば、練兵場では兵士たちが雪合戦に興じていた。
 やけに凝った雪合戦だ。
 きっちりと二つの軍に分かれていて、なぜか盾まで持ち出している。
 皆で雪玉を片手に投げ合いながら、一角が崩れれば盾を持った兵が駆けつけて立て直すのだ。そして、
「……何やってんだ、あの野郎」
 その中に混じる赤色を見て、政宗は低く独りごちた。
 政宗の部下たちと共に、幸村が雪玉を投げていた。日頃から目立つ赤が白の中ではなお目立つ。
「やべえ兄さん、左翼、負傷者多数!」
 すぐさま声の上がった方へと幸村が遠投で援護した。その間に数人が後ろへと下がり、雪玉を作っていた後詰めと交代する。
 投げる雪玉の狙いがやけに正確なのは忍に鍛えられでもしたものか。
(……ありそうだな)
 真田と忍との近さを思えば、子供時分の遊びでクナイ投げくらいはしていそうだ。後で聞いてみようと考える。
 眺めながらゆっくりと歩を進めれば、練兵場を離れた場所にひとり座り込んでいた部下が、政宗を見て勢い良く立ち上がった。
「筆頭」
 慌てて頭を下げる。政宗は軽く顎をしゃくってそれに返した。
「すいやせん、すぐ皆に」
「あァ、構わねえ」
「そうスか……?」
 雪遊びを止めようとした部下に、政宗は片方の口の端だけに笑みを作る。小十郎が見れば眉を潜めかねないが、雪を被った野菜の世話に畑へ出かけてしまっている。
「偶にはいいさ。随分と本格的にやってるじゃねえか」
「へい。はじめは四、五人だったんですが、いつの間にか増えちまって」
「何で真田の野郎まで参加してんだ」
 隣に並んで見物するうち、それぞれの軍の背後に不自然に立つ古びた角材を見つけた。雪を盛って立ててある。少し傾いでいるところを見ると、あれを倒せば勝ちということか。
 問われた部下は少し考えて、こめかみのあたりを指で掻く。
「えーと、そもそも真田の兄さんが最初っつうか……」
「真田が?」
「あのう、はじめは真田の兄さんに稽古つけてもらいながら、筆頭の話をしてたんでさぁ」
 思わぬ方向へ行った話に政宗は目を丸くした。
「……オレの? どんな話だ」
 というか他所の兵を鍛えてどうすると政宗は呆れる。鍛錬の相手が欲しかったにしても呑気な事だ。
「そりゃあもう色々っす! 筆頭のCOOLなとことか、痺れた一言とか、周辺国平らげたときの武勇伝とか。また真田の兄さんの反応がいいもんで俺らもつい熱が入っちまって、いやあ盛り上がったの何の!」
 何やら嬉しげに部下は言うが、真田相手に一体いつの話を披露したのかと政宗は眉根を寄せる。
「で、そこに成実サンが来て、真田の兄さんに雪玉を投げて」
「Han?」
「兄さんが投げ返して、俺らも兄さんに加勢して、成実サンにも加勢が来て。あ、ガチガチに固めた雪って当たるとすげえ痛えんです。そんで盾とか持ち出しはじめた奴がいて、そんじゃあ勝利条件を決めちまおうって感じで角材持ってきて」
「……で、この状況ってわけか。テメエはどうした、参加しねえのか」
「あ、俺はさっき顔面にもろに雪玉くらったんで、今一応死体っす」
 言われてよく見れば、確かに右の額のあたりが赤い。雪玉の豪速球が飛び交う練兵場では、雪合戦とは思えないような固い音とギャーという悲鳴があちこちで上がっている。悲鳴を上げながらも様子はおおむね楽しげだ。
 崩れた左翼を立て直した幸村軍と、攻める成実軍はほぼ互角の戦いを見せている。
 幸村が振りかぶって雪玉を投げた。敵の盾に防がれて砕け散る。背後で用意される次の雪玉に手を伸ばし、ふと、政宗に目を留めて破顔した。
「政宗殿!」
 そうしながら、飛んできた雪玉を見もせず器用に避けてみせる。他の兵士たちも気付いて、筆頭、と声が上がる。皆手を止めて政宗へと一礼した。
「お疲れ様です筆頭!」
「あァ、いい。そのまま続けな」
 いいんですか、と兵士たちは顔を見合わせる。
「あの、そんじゃあ筆頭も一戦どうっすか?」
「オレか?」
 政宗は自分の服を見下ろした。雪かきの間は動きやすい服装にしていたが、今は小袖に羽織。動くには不向きだ。それに、元気一杯といった様子の幸村と違って、政宗には昨夜の酷使で多少の差し障りがある。
 練兵場に向けて肩を竦めた。
「オレはNo thank youだ。ここで高みの見物と決め込ませて貰うぜ」
 ええ、と不満の声が上がる。
「劣勢なんです、加勢して下せえ!」
「筆頭ー」
 政宗は苦笑した。
「OK. なら、オレは参加しねえ代わりに勝ったteamに褒美を出してやる。それでどうだ? ちったあ士気も上がるだろ」
 今度は一転して歓声が上がった。
 酒がいいだの、飯がいいだのと次々希望が挙がる中、
「……温泉」
 思いついたまま呟いた幸村の声を、近くにいた兵士が拾った。
「いいっすね、温泉!」
 その声に練兵場がどよめきに満ちる。
「温泉……」
「温泉か……!」
 ただでさえ寒い日に雪まみれになった一団に、全身つかることのできるたっぷりとした湯は殊更魅力的に響く。
「あ、いや、違うのだ! 某はただ、政宗殿と行きたい場所をと考えたらつい」
「じゃあ温泉! こっちが勝ったら筆頭と温泉でたのんます!」
「片倉様もご一緒に!」
「待てよ、それだとそっちに大半寝返っちまう!」
「いいいいや共に入るのは如何なものでござろう!?」
「いやあ、さすがに筆頭や片倉様と同じ湯には入れませんて」
 言い出したくせに幸村は、纏まり始める声にうろたえている。
 温泉ねえ、と呟いて政宗は思案した。
 盛り上がりを見せる兵士たちを眺めながら指先で顎を撫で、
「OK, GUYS!」
 顔を上げると声を張った。
 騒ぎの中でも通る声に、全員がぴたりと口を閉じる。言動は荒いが、良く訓練された軍だ。
「なら、勝ったteamには温泉、Hot spring holidayだ。熱いpartyを頼むぜテメエら!」
「Yeah!!」
 伊達軍式の声が上がる。
「テメエもだぞ、真田幸村」
 付け足せば、え、と幸村が顔を上げた。
「某もよろしいのでござるか?」
「Sure. この雪じゃあ今日明日ってわけにはいかねえしな。そんときゃアンタも招待してやるぜ」
 目を丸くした幸村が、ぎゅ、と足下の雪を踏みしめた。驚き顔はすぐに好戦的な笑みに取って代わる。
「必ず勝利致す! 見ていてくだされ政宗殿!」
「おう。せいぜい気張んな、真田幸村」
「み・な・ぎ・るあぁぁぁぁぁ!!!」
 拳を握って雄叫びを上げた。
 と、同時。
「え」
「ああ!?」
 練兵場付近の雪が消滅した。
 幸村から放たれた熱気で、一瞬にして溶けて蒸発した。雪を盛って立てられていた角材が支えをなくして双方ぱたりと地面に倒れる。
 しんと静まり返った練兵場で皆が幸村を見、それから助けを求めるように政宗を見た。一身に視線を浴びた政宗は、口の端を上げて苦笑する。
「すげえな、アンタ。雪かき要らずじゃねえか」
「い、いや、これは」
「あのう、筆頭。温泉は……?」
 誰かが恐る恐るといった様子で口にした。政宗は悪戯っぽく肩をすくめて小首を傾げる。
「さあ? 雪は溶けちまったし、無効なんじゃねえか?」
 わああ、と焦った声が上がった。
「待ってくだせえ筆頭! まだ他んとこにたっぷり雪が」
「移動するぞてめえら!」
「真田の兄さんはみなぎるの禁止ー!!」
「申し訳ござらぬうううう!!!」
 部下たちは盾やら角材やら抱えながら、小走りで少し先の広場へと移動する。
 その後に続きながら、政宗は、肩を落として歩く幸村に並んだ。
「参加すんなとは言わねえんだな、アイツら」
 うう、と幸村が唸る。
「まことに申し訳ござらぬ……」
「ま、オレとしちゃあ溶かしてくれんのも歓迎だ」
 政宗は喉で笑った。
「けど、野郎どもが楽しみにしてるしな。次は加減しとけよ。できるもんかは知らねえが」
「できまする。……多分でござるが」
「多分?」
「先程は、政宗殿と温泉、と考えたらつい」
 幸村は恥じ入った様子で小さく言う。
「今更? 温泉くらいでか?」
 裸の付き合いならば褥で散々している。けれど幸村は唇を尖らせて言う。
「今更ではござらぬ。それとこれとは別にござれば」
「……Han?」
 首を傾げた政宗は、筆頭、真田の兄さん、と呼ぶ声に顔を上げてそちらを見た。広場では、場所を決めたと部下たちが手を振っている。
 すぐに参ると応えて、合戦に参加するべく幸村が小走りで駆け出した。その背中で長い後ろ髪が跳ねる。
 さてどこの湯に招いてやろうと考えて、政宗は少し浮かれた心地で足を進めた。



→おまけの帰り道

2020.11.30