四

 どこに出しても恥ずかしくない、何をやらせても器用にこなす真田ご自慢の戦忍は、勘に任せて消えた主を捜して走り、丁度四人のいる湖畔からそう遠くない場所を移動していたところだった。
「お。絹を裂く……じゃねえな、猪を絞めたような旦那の叫び、っと」
 超人的な聴力で主の叫び声を聞きつけた佐助は、木々の間を風のように駆けて幸村の元へと辿り着いた。
 そして涙目で座り込んでだらだらと脂汗を流す主と、両脇から主を奪い合うように抱きついている二人の政宗と、その二人に刀を突き付ける政宗を見てさすがに思考が停止したが、それも一瞬のこと。三人の政宗に声を向けられて、一足飛びに結論に達した。
「Shit, 真田の使いっ走りかよ」
「早えな忍。たまには役に立つじゃねえか」
「Damn, 忍ごときが邪魔すんじゃねえ!」
「……よくわかんねえけどこいつら全部まとめて殺せばいい?」
「いや待て佐助、解決はするかもしれぬがひとまず納めろ。一人は本物の政宗殿なのだ」
 早くも手の中で回されていた大型の手裏剣は、慌てた主の制止で渋々腰へと戻された。


 普通の政宗と佐助が睨みをきかせて、二人の政宗はようやく幸村を解放した。
 幸村の説明を受けた佐助は、説明されてもやはりよくわからないままだったが、ともかく一時停戦の報せを流して来ると言い置いて姿を消し、陽が沈みきる頃には湖畔へと戻ってきた。
「とりあえず双方退いたよ。明朝には捜索が始まるから、それまでに何とかしましょ」
「さすがは佐助、見事な手腕だ!」
 葉の繁った灌木の枝を数本引き倒して縄で固定し、目立たないようその下で火を起こした佐助は、武田の本陣からこっそり持ち出してきた来たという米とどこからか取ってきた竹とで、てきぱきと米を炊いて夕餉の支度をしながら説明した。
「いやーさすがだなんて、俺様もそう思うけど」
 濡れた服はそのあたりの枝にかけて乾かし、普通の政宗と攻っぽい政宗と受っぽい政宗と幸村は、やはり佐助が本陣から持ち出してきた揃いの小袖を身につけて、ようやく人心地をつくことができた。
「よくうちの奴等が黙って退いたな……。おい雑用、何て説明した?」
「旦那たちが神隠しに遭った。この近くには禁域があるから迂闊に探しには出られない。ひとまず夜明けまで待て。……とか何とか適当に」
「I see. そりゃまた納得出来るような出来ねえような」
「普通納得しないでしょ。右目の旦那がそりゃもう煩かったけどねえ? 崖の上に転がってた真田の旦那の槍、あれ証拠にって預けたら何とか退いてくれたし。両軍に停戦を取り付けてさ、槍拾って飯くすねて服までくすねて、その上こうしてあんたらの食事の支度までしてるってんだから、俺様ってほんっと良く出来た忍だよねえ。ったく我ながら感心するぜ」
 ぶつぶつと愚痴めいてきた佐助の言葉は聞き流して、政宗達と幸村は、米と水を入れて封をして火にかけられた五本の竹筒と、枯れ枝で作った串に刺した里芋とを小枝の先でつついていたりする。
「おい、飯炊けてるんじゃねえか?」
「芋はもう焼けただろ。毒味がてら食ってみな、真田幸村」
「それにしても味気ねえな。塩くらいねえのか? ねえならくすねて来いよ飯炊き男」
「……旦那、やっぱりこいつら全部まとめて殺していい? 本気で」
「佐助、蒸らすあいだは火から遠ざけて良いのだったな?」
 食事を前にして主にも相手にされなくなってしまった佐助は、投げ遣りに苦無を火の中へと打ち込み、手を触れずに竹筒を火の側から弾き飛ばすという芸当を見せて、無駄に喝采を浴びることになった。

「それで、その――」
 飯を腹におさめてようやく静かになった四人と焚き火を囲んで座り、佐助は胡座をかいて、心底嫌そうに視線をあげて幸村の方を見る。
 幸村の足の間には政宗が一人、幸村をまるで座椅子代わりのように座っていて、幸村の後ろにも政宗が一人、幸村を抱え込むように座っている。最初は逃げようとしていた幸村は既に観念して諦めの境地に入っており、そうして一人は少し離れた場所で、腹立たしげに顔を歪ませている。
「攻っぽい政宗殿と、受っぽい政宗殿だ」
「ねえあのちょっと先にいい? 言葉の意味が普通とちょいとずれてそうだけど、要するに」
「……オレに聞くな」
 佐助に目を向けられて、普通の政宗が視線を逸らす。
 仕方なく幸村の前後を固めている方に目を移せば、
「だな」
「おう」
 政宗達に頷かれて、ああ、そう、と佐助は投げ遣りに呟いた。
「何だ?」
「いや、こっちの話」
 問いの意味がわかっていないのは幸村のみである。佐助は再び一人離れた場所に座っている普通の――本物の政宗へと視線を転じた。正直、視線の遣り場はそこしかない。
「それでその二人だけどさ」
「欲しけりゃ持ってけ。武田にくれてやる」
 性質的に問題があるとはいえ同じ顔の政宗達は、おそらく同じ剣の腕も持っているに違いない。だというのに突き放すように政宗は言って、佐助は大袈裟に肩を竦めて口元を曲げた。
「うわ冗談。独眼竜二人も連れて戻って、大将にどう説明すりゃいいわけよ? 第一俺様、真田の旦那の寝所護るために連日徹夜とか御免だぜ」
「何故だ? 政宗殿を引き取ることはともかく、寝所番ならば今でも時々やっているではないか」
「いやそうだけどそうじゃなくてさ……。えっとほら、全員竜の旦那なわけだし、竜の旦那が連れて帰れば丸く解決! 何の問題もないんじゃないの?」
「No thank youだ」
 鋭く言い切った政宗に、佐助は意外そうに目を瞠る。
「って……もったいないねえ、戦力三倍よ? 戦場に出さないにしても、影武者にでも使えば便利なんじゃない?」
「だからそう思うならテメエが持ってけよ。あいにく影は優秀なのが揃ってる。第一、影の変装ならともかく、完全に同じ顔なんざ幾つも見たいモンじゃねえだろ」
「そうかねえ。俺様分身するとうっとりするけど。……いや、冗談よ?」
 一斉に向けられた冷ややかさと軽蔑の入り交じった視線に、佐助は即座に訂正する。
 その白けた空気の下から、くつ、と笑い声が漏れた。幸村はそれを、背中からの振動と共に聞く。
「あァ、I see. なるほどなァ」
 背後から幸村を抱きすくめた政宗が、可笑しそうに喉で笑っていた。佐助の軽口を面白がっているという様子でもない。酷く耳障りの悪い笑い方だった。
 怪訝に思った幸村が背後の政宗を見ようとするが、どれだけ首を捻ってもかなわない。
 幸村の足の間でくつろいでいた政宗が不快げに眉根を寄せたのにも、位置的に幸村は気付けない。
 離れて座る本物の政宗は笑い続ける政宗へと射殺すような苛烈な視線を向けると、短く息を吐いて立ちあがった。脇に置いていた刀を一振り、手に持って。
「真田幸村、と忍。手伝え」
 ひょいと眉を上げた佐助が、首を鳴らしながら立ちあがる。
「……あー、はいよっと。俺様高いんでそこんとこよろしく」
「テメエの主に請求しろ」
「そういうこと言うの? 見分けつかなくなって殺っちゃうかもよー?」
「佐助、政宗殿? 待たれよ、何の」
「三対二だ。雁首並べて話し合うほどの事でもねえ。消しちまえばいいんだろうが」
 政宗は刀の切っ先を二人の政宗へと向け、言い放つ。
「オレはオレだ。オレ一人でいい。わけわかんねえうちに増えた顔なんざ、形は人でもあやかしの類だろうさ。躊躇う必要もねえ」
 幸村の前に座った政宗が、無言で手元に刀を引き寄せる。
「へえ、さすがオレだぜ。同じ顔を斬るのに躊躇の持ち合わせもねえときたか」
「……それが何だ?」
 あからさまな揶揄の響きと冷えた政宗の声に、幸村は怪訝に思って顔を蹙める。
 遅れて言葉の指すところに思い至って、幸村は目を瞠った。幸村に凭れて座る、すぐ目の前にある政宗の髪を睨み付ける。
 かつて政宗は、やむを得ず父親をその手にかけたのだと噂に聞いた。
 父を亡くしているのは幸村も同じだが、それはいくさ場での討ち死にで、それでも喪失の痛みから立ち直るまでには月日を要した。それを考えれば、政宗が心に受けた傷の深さはどれほどのものかと、話を聞いた時には愕然とした。
 幸村は離れて立つ政宗の様子を伺う。政宗の目は冷えてはいるが、奥に怒りの色がある。
 湖で増えた二人の政宗は、おそらく政宗の言う通り、あやかしの類なのだろう。政宗の姿を映したものならば、同数では勝算は五分だが、今は佐助がいる。まず間違いなく倒せるはずだ。
 けれど、それはつまり、政宗と同じ顔の死体が転がることになる。政宗にとっては、自分と同じ姿を斬り、自分と同じ顔の死体を目の当たりにするということだ。
 心がざわついて、幸村は腰を浮かす。
「政宗殿、刀を収められよ」
 人を斬る痛みを忘れるな、と、主である信玄は事ある毎に幸村に言い聞かせる。
 人を斬る度心は壊れる。目を逸らせば痛みからは逃れられるが、終いには麻痺して、何も感じぬようになる。おぬしは決してそうなってはならぬ。
「猿芝居にはもう飽きた。終いにするぜ」
 齢十九にして奥州一国を束ねた政宗を、自分の物差しで測ることはできない。
 それでも、させてはならないと強く思う。
 腰を浮かしかけた幸村を、背後からの強い力が引き戻した。抱き込むようにして後ろに居る政宗の両の腕が、幸村の首へと回される。
「アンタがオレを斬るのと、オレがこいつの首へし折るのと、どっちが早いと思う?」
「さてなァ……試してみりゃいいんじゃねえか?」
「政宗殿、ならぬ。佐助も退け!」
 言いながら、幸村は腕に拘束されながらもどうにか腰を浮かせて片膝を付く。
「そのような……」
「参加しねえなら下がってろ、真田幸村」
 言ったのは、幸村の前に座っている政宗だった。立ち上がりざまに刀を抜き放ち、無造作に鞘を放り投げる。
 幸村の背後の政宗も、面倒臭そうに溜息を落とすと幸村を離してそれに習った。落とされた鞘が、土の上を小さく跳ねて転がった。
 ぱち、と野営の焚き火の中で火が爆ぜる。佐助が手持ち無沙汰に弄んでいる甲賀手裏剣が、鉄の摺り合う音を立てている。
「目障りだ」
 太刀を手に、間合いを取りながら、政宗達が三者三様に取った構えは、そのどれもが幸村の見知った政宗のものだ。
「同感だ。そっちのオレもそうだろうが」
「待たれよ、政宗殿!」
 一触即発の空気に幸村は慌てて周囲に視線を走らせる。使い慣れた得物はこの場にはない。
「ったく、笑えるなァ? 三人で睨み合っても、目が三つしかありゃしねえぜ」
 どの政宗が発した言葉かはわからなかったが、それが引き金となった。草鞋が土を摺って踏み込まれる。殺気を纏って、佐助の周囲の空気が巻く。
 地に片手を付き、幸村が低く駆けた。
「ッ!?」
 硬い音を立てて手裏剣が弾かれる。激突した三つの刃を押し止めたのは、幸村が咄嗟に拾い上げた二振りの、外した鎧の脇に置かれていた政宗の刀だ。刀身を引き出す余裕もなく、刃に噛まれた黒塗りの鞘が軋んで悲鳴を上げる。
「ちょっと旦那」
「邪魔すんな真田幸村!」
「断る!」
 怒声に負けない語気で返し、幸村は強い視線で一同を見、腹の底から低く声を出した。
 他に手がないのであれば諦めもするが、今はそうではない。あやかしであっても言葉は通じている。話をして、居るべき場所に帰らせる事もできるはずだ。
「させぬ」
 どうあっても退かぬとの意志の籠もったその言葉に、噛み合う刀に込められていた力が弱まった。ややあって、そのうちの一本が、つうと退かれ、
「……勝手にしろ。興が冷めた」
 言い捨てたのは本物の政宗だ。溜息を落とすと白刃を鞘へと戻し、転がっている刀をもう一本拾い上げると二本纏めて帯へと差す。背を向けて、焚き火の明かりの外へと歩み出す。
「って、ちょっとちょっと、こいつらどうすんの。それと服と鎧も」
「止めたのは真田幸村だ。そっちでどうとでもすりゃいいさ。本陣に戻るから鎧は後で届けろよ、使いっ走り」
 げ、と短く不満を漏らして、佐助は仰向いて額を抑える。政宗の背が確かに去っていくのを、気をそらすための偽りでないことを見届けて、二人の政宗も刀を下ろした。
 幸村の視線は見えなくなった政宗の背を闇の中に探しながら、意識せず、まさむねどの、と口の中で呟く。
 させはしないと言い張って、政宗同士の殺し合いは阻止できた。だというのに、なぜだか酷く後味が悪かった。政宗の背中のせいかもしれない。去って行った、興味を失ったと言いたげな背中。
「あー、どうする、旦那?」
 佐助の声を上の空で聞き、幸村は悄然と肩の力を抜く。強張っていた腕を下ろした。
「どうにもせぬ。貴殿らにも、元居た所があるのだろう。そこへ戻られよ」
 言われて、政宗達は目を見交わす。
「元居たところ?」
「ねえぞ、そんなもん。今なくなったっつうか」
 驚いて幸村は、残った二人の政宗を振り向く。
「けど、意外だったな。アンタがオレを庇うとは思わなかった」
 横から、幸村の肩へと腕が回された。顔をあげれば、隣で政宗が――どちらの政宗かはわからないが、強引に幸村と肩を組んで、人の悪い笑みを浮かべている。それを見咎めたもう一人の政宗は、目尻を吊り上げて刀の鞘で、幸村の肩を抱く手をがすがすと突く。
「テメエ、勝手すんなっつってんだろうが」
「いや、それがしは、庇ったつもりは」
「おい忍。お前ひとっ走り本陣行って、信玄公に聞いてこい」
 手裏剣をおさめて焚き火の様子を整えていた佐助は、幸村を間に攻防を再開した二人の政宗を嫌そうに振り向く。
「大将に? 何を」
「オレを雇え、ってな」
 握った手の親指で自分を示し、政宗は口の片端を上げて笑った。
 思いがけない言葉に、幸村と佐助は弾かれたように視線を遣って政宗を凝視する。
「何……?」
「あーそりゃ謹んでお断りさせて頂きます、っと。俺様これでも主思いでさ?」
「まあそう言うなよ。帰る所もなくなったしな。ならいっそ、武田につけば楽しめそうだ」
 口を噤んでいたもう一人の政宗はふんと鼻を鳴らすと鞘を退き、自分の肩に担いだ。
「オレも混ぜろよ。武田には真田幸村がいる。悪くねえ」
「アンタは異論ねえだろ? 真田。オレらを助けたくらいだ」
 庇った、助けた、と言葉の違和感に、幸村は眉根を寄せた。
 違う。そうではない。ただ、自分は。
「ま、仲良くやろうぜ」
 肩に回された手を、幸村は無言で、力任せに払った。鋭く、鞭打つような音がして、二人の政宗が目を瞠る。
 幸村は怒りを宿して目を上げる。
「貴殿らを助けたつもりなどない。政宗殿に、同じ顔をした貴殿らを斬らせたくはなかった。それだけのことだ」
 一息に言って、幸村は呼吸をおくと二人の政宗を交互に眺めた。かたちだけは政宗と寸分違わないその姿。
「いい加減に政宗殿の真似はやめよ。やめぬと言うならばそれがしが斬る。その姿で、それ以上くだらぬ事を口にするな」
 興醒めだと言い捨てた、政宗の言葉。二人の政宗を庇ったのだと、本物の政宗もそう捉えたのだとしたら。追って誤解をときたい。考えて、拳を握った。
「……武田に下るのも悪くはないだと? 笑わせるな。政宗殿はそのような事は決して言わぬ!」
 幸村は小袖の裾を乱して、去った政宗の後を追い、闇の中へと走り出した。
 残された佐助は政宗達を眺め、幸村の背を飲んだ夜闇を見遣って、小さな声でぽつりと呟いた。
「変なとこに逆鱗あるよねえ、うちの旦那」