三

 薄く開いた幸村の目に朱い光が映った。西日だ。気を失っていたのかと、考える頭はぼんやりと霞んでいる。
 身動げば、地面に打ち付けでもしたのか頭が痛んだ。髪も体も全身濡れていて、纏い付く水が不快だ。ともかく起きあがって状況を把握しなければと、幸村は手を付いて体を起こそうとしたが、ふいに眩暈に襲われて再び地面に倒れ込んだ。
「うお……ッ!?」
 その拍子に打った頭が金槌で殴られたように痛んだ。後頭部に手を遣れば、かすかに瘤が出来ている。
「Hey, 生きてたか」
 目をきつく閉じて痛みに顔をしかめる幸村は、声をかけられて、のろのろと瞼を開けた。
 見上げた視界に現れたのは見るまでもなく政宗だった。屈み込んだ政宗は、無言で幸村の両腕を掴むと力任せに引っ張り起こす。幸村はされるままに体を起こされ、しばし茫然と、苦笑を含んで見下ろしてくる政宗を眺めた。政宗は兜も甲冑も全て外し、裸の上半身に陣羽織のみを身につけている。
「おい、なに呆けてんだ? それとも目ェ開けて寝てやがるのか?」
「え? ……あ! そうであった、政宗殿は」
 はたと気づいて幸村は周囲を見回すが、二人の他に人影はない。少し離れた草の上に、政宗の甲冑が纏めて置かれているだけだった。
 ではあの三人の政宗は、気を失っている間に見た夢だったのか。理解して、幸村は安堵の息を吐く。湖から大男が現れるなど確かに夢でしか起こり得ないことだ。
「貴殿が、助けてくれたのであろうか……?」
 全身が濡れていることで、湖に落ちた記憶までは、そこまでは夢でないのだと知れる。
 呟く幸村の頭に、政宗が乱暴に布を被せた。白いそれを持ち上げて検分すれば、政宗が鎧の下に着けていた洋風の着物のようだった。湿っているが、水気はよく絞ってある。
「まさに水も滴る……ってやつだが、そのまま過ごせば病人の出来上がりだ。それで拭け」
 言いながら、政宗が幸村の隣に腰を下ろした。伸ばされた手が洋服を掴むと、濡れた幸村の髪を乱暴に拭う。
「貴殿こそ、湿った陣羽織では逆に体を冷やすだけではないか。風邪をひきたくなければ、脱いだ方が良いと思うが」
 笑い混じりに言い返し、幸村は政宗の手から洋服を借りると髪の水気を拭う。
 そんな柔な鍛え方はしていない、というような返答がかえってくるものだとばかり思っていたが、なぜか政宗は押し黙る。
「政宗殿?」
 暖かな季節とはいえ日が沈み行く時刻だ。湖を渡った風は冷やされて、濡れた肌から体温を奪って冷ます。
 もしや既に具合を悪くしているのかと、幸村は髪を拭く手を止めて政宗を振り向いた。その拍子、西日を受けた隻眼と、音がしたような錯覚を伴って正面から目が合った。
 細められた政宗の目は、どこか濡れた色を湛えて、真っ直ぐに幸村へと向けられている。幸村には読み取れない何か、含みのある視線に射抜かれて、幸村は思わず息を詰める。
「そう思うなら、脱がせればいいんじゃねえか?」
 胡座を組んだ幸村の脚に手を置いて、政宗がゆっくりと身を乗り出す。その所作に、幸村の全身がわけもわからず緊張した。
 距離が縮まる。
 はだけた政宗の肌が、笑みを消した顔が切れ長の目が、間近に迫る。
「アンタが、脱がせろ。……温めろよ」
 掠れた声。
 鼓動が、跳ねた。
 このままでは顔がぶつかるのではないかと、そう思いながらも術に縛られたかのように体が動かない。
 促す声音で、政宗が囁く。
「真田」
 その、張りつめて奇妙な緊張に満たされた空気は、二人の間に唐突に割って入った硬質な輝きによって破られた。
 音もなく横から視界に現れた鋭利な刃に、幸村は驚いて身を退き、刀の主を見上げれば。
「おい。オレのいない間に何勝手してんだ……?」
 不機嫌全開の表情で仁王立ちしているのは、それもまた政宗だった。
 甲冑はきっちり纏っていたが兜は外されていて、濡れた髪が束を作って跳ねている。注がれる視線は刃物のように鋭く殺気さえ感じるが、ただしそれは幸村でなく、幸村の隣で舌打ちしている政宗へと向けられていた。
 政宗が、二人。
 湖での一件は現実の出来事だったのだと目の前に突き付けられて、幸村は愕然と胡座の膝を両手で掴んだ。
 ではどこかにもう一人も居るはずだ。
 全部で三人。
 なんたることだと、幸村はぐらぐらとする頭で考える。何故かはわからないが、自分の選択が政宗を三人に増やしてしまったのだ。
 ということは勝ち続けても三回戦えるということか、と考えて一瞬浮上しかけるが、一人でも強敵だった政宗のこと、三人に同時にかかって来られれば敗北は必定。信玄の天下取りにとんだ障害を作ってしまったことになる。
「うおおお館様に申し訳が立たぬ……!」
「何かありゃ二言目にはお館様かよ。Ha, たいした忠犬だな」
 吐き捨てるように言って刀をおさめたもう一人の政宗は、片腕に抱えていた枯れ枝の束を傍らに落とすと、幸村の左、空いている側へと腰を下ろして、幸村の頭から白い洋服を奪うと半裸の政宗へ投げつけた。
「今火ィ起こしてやるから、服脱いで乾かせ」
「かたじけない……。いや、火を起こすならばそれがしがやりまする」
 慌てて向きを変えて左の政宗を見ると同時、ふいににじり寄ってきた左の政宗が、幸村の腰にするりと腕を回した。手が濡れた上着の下に入り込み、幸村の脇腹を撫で上げる。
「ま、政宗殿!?」
「あァ、自分で脱ぐのも味気無えだろ。脱がせてやるよ」
「いやお気遣い痛み入る! だがこの程度のことは自分で」
「Be quiet. 抵抗されるのは嫌いじゃねえが、ちっとうるせえ。黙ってな」
 片手で口を塞がれて、続く言葉が封じられた。
「おいふざけんなよ、後から来て横取りか?」
 嫌な予感に襲われて、左の政宗の腕を外そうと抵抗する幸村の体に、更に二本の腕が絡んだ。右の政宗である。幸村の胡座の脚に膝を置いて乗り上げ、優先権を主張する。
「減るモンじゃねえだろ。少し待ってろ」
「You damn! ならテメエが待ってりゃいいだろうが」
「生憎待つのは嫌いでなァ?」
「Ha! 気が合うじゃねえか」
 どちらも政宗である、気が合うも合わないもない。口を塞がれてふがふがと不明瞭な呻きを漏らす幸村を左右二人の視線が同時に捕らえて、人の悪い笑みを浮かべた。
「……ま、使いたい所は違うのが幸いだ。一緒にヤるか」
「お前の上にこいつを乗せて、こいつの上にオレが乗りゃいいな?」
「Good. 話が早えな」
 使うって何処を、とか、ヤるって何を、とか、疑問と嫌な予感ばかりが膨らむが、口を塞がれ両脇からがっちりと押さえ込まれていては訊ねることも逃げることもかなわない。
「おとなしくしてな、真田幸村」
「すぐにheavenへ連れて行ってやるぜ」
 左右の政宗に耳元で囁かれ、脚を胸を撫でさすられて、幸村の全身に鳥肌が立った。もがきながら、思わず顔面蒼白になる。
 破廉恥関係には疎い幸村であったが、さすがに自分の置かれた状況が、何となくだが理解できた。だが、そういったことは、男女が二人きりで夜に密やかに行うものだ。衆道については詳しくないが、多分同じなのだろうと思う。
 なのに日暮れ時とはいえまだ空は明るくて、屋外で、三人。幸村の乏しい知識からあまりにも逸脱した状況だ。
 しかも両脇にいるのは、様子はおかしくとも政宗である。自分の思い違いかもしれない、という考えが頭に浮かんで大きくなる。そういえば片方は『攻っぽい』、多分攻撃型の政宗だ。
 嬲り殺すつもりなのかもしれない。戦場でならば命を捨てる覚悟はとうに固めているが、こんな状況は想定外だ。逃れなければと思うが、二人に押さえ付けられてはどうにもならない。
 どうすれば良いのだ、と内心で悲痛な叫びをあげたところに、救世主は現れた。
「テメエら、何してやがる!!」
 びりびりと空気を震わせたのは、三人目の政宗の怒号である。兜も外さず甲冑も解かずに現れた政宗の、腰に差した刀のうち一つだけ、納めるべき刀身を失って鞘が余っているのが目についた。
 二つ同時の盛大な舌打ちと共に口を塞いでいた手の力が緩み、幸村は顔を背けると肩で息をする。
 幸村の両脇を固めているのは、どう考えても普段の政宗ではない。最後に現れたのが『普通の』政宗に間違いなく、その政宗だけが今の幸村には頼みの綱だ。幸村は歓喜の声をあげる。
「助かり申した、政宗殿……!」
「ッたく、COOLじゃねえなァ……」
「アンタもオレなら邪魔すんじゃねえ。野暮ってモンだぜ」
 口々に言う政宗達に、政宗の表情が険しさを増す。
「Shut up. いいからそいつ離しやがれ」
「それとも仲間に入りてェか?」
「まさ、」
 言いかけた言葉は、左の政宗の手によって再び遮られた。
「Ah, それもいいが、四人だとちぃっと面倒だな」
「ヤってみりゃ何とかなるだろ。で、そっちのオレはケツに突っ込むのと突っ込まれるの、どっちがいいんだ?」
 具体的な言葉に幸村が目を瞠る。もの凄い勢いで顔に血がのぼり、次いで、もの凄い勢いで青ざめた。何だそれは。何でそうなる。幸村は声にできずに頭の中で叫ぶ。
 頼む誰か助けてくれ! お館様! 仏様! 佐助!! 二度とつまみ食いはせぬと誓う、だから!!
 混乱の極みである。闇雲にもがいて、どうにか口を押さえる手から逃れた時には、鞘走りの音を立てて『普通の』政宗が腰から刀を抜いていた。キレかけている。
「You suck!! いい加減にしねえとブッ殺す!」
「――――居らぬのか、佐助えええええ!」