空想X
一
弾かれた槍の柄から伝わる振動で、戦慣れしているはずの手が痺れていた。
手応えが重い。
刃と刃の打ち合う音は、傷みさえ伴って鼓膜をうつ。
背後へ跳んで距離を取り、槍の柄を手の中で握り直して、幸村は腹から深く息を吐いた。腰を落とし次の攻撃へ転じようと構える赤い具足の下で、乾いた土がざりざりと音を立てる。
一時たりとも逸らさぬようにと厳しく見据える視線の先で、蒼い覇気纏う独眼の竜の口元が楽しげに、満足そうに吊り上げられた。
「いつまでお遊戯してるつもりだ? 本気出せよ、真田幸村」
挑発の言葉を投げつける政宗の背後では、木々の向こうに広く美しい湖面が広がり、目映く陽光を弾いている。
きつく結んだ幸村の鉢巻きは濡れて色を変え、きりもなく流れる汗は髪を伝って頬に流れ、顎で冷たい雫になる。槍を持ったままの手の甲でそれをぐいと拭い取って、幸村は挑み返すように笑みを浮かべた。
「息があがっていては、減らず口も意味を成しませぬぞ。それがしは常に全力なれば!」
戦場となった湖畔の林に、今、二人の対峙を邪魔する者は誰一人としてない。打ち合いながら、部下を残して、姿を眩ますかのように移動して、一騎打ちに持ち込んだ。
けれど剣戟の音は隠しきれるものでもなく、いずれどちらかの部下が音を聞きつけて現れ増援を呼ぶだろう。或いはそれを待たずにどちらかが倒れるかもしれない。それまでの間の、対峙する男の言葉を借りれば「二人きりのparty」ということになる。
刃を交えながら異国語の意味を問う幸村に、宴のことだ、と答えた政宗は片頬で笑んだ。
宴。なるほど、確かに宴のようだと幸村は頷いた。
気分は酷く昂揚している。まるで酩酊してでもいるかのようだ。
視界には互いの姿しかなく、互いの存在だけを全身で感じて刃を交わす。そのことに、体の中心を堪えがたい歓喜が貫いて、歓びを抑えきれない心地で槍を振るう。
他の誰と、例えどれほどの強者と戦ってもこんな風にはならない。
理由などわからないし考える必要もない。
ただこの男と幾度でも、欲を出せばいつまででも戦っていたいのだと、望んで望んで久し振りに巡ってきた機会だった。やがて必ず訪れる宴の終わりまで、拮抗した打ち合いを楽しむことに全神経を傾ければそれでいい。そうして、宴の終わりに立っているのが自分であれば、それでいい。
叩き付けられる稲妻の覇気に、幸村は不敵な笑みを深くする。
敬愛してやまない主の、膨れて爆発するような熱い覇気とは異なる、その不思議な清絶さ。
腰に差している六本の刀は攻め方に合わせて数を変えるが、今は一本のみが抜かれている。その研ぎ澄まされた業物を構え直して政宗は喉で笑う。
「Ha! 竜の相手にゃまだ足りねえなァ」
「挑発など無用でござる。――参る!」
突進した勢いで槍を突き出すと見せかけ、踏みしめた片足を軸に体を回して脇を狙えば、動きに即座に対応した政宗の刀が、絡みつくように動いて三叉の槍を押し止める。
気が付けば左の手にも刀が握られていた。
槍を弾いて政宗が間合いを詰める。陽光を弾いて閃いた白刃から、幸村はすんでのところで身を交わす。取り直した間合いから左右の槍を交互に突き出し、防ぐ政宗の刀と槍とが硬質な音を響かせる。
攻防を繰り広げながら、二人は湖に突き出した崖の際へとじりじりと移動した。
湖を背にした政宗の目が、ちらと背後を気にかける。眼下には湖面。幸村の脇をすり抜ける他に逃げ場はない。
追いつめた、と思ったその矢先。
「!?」
ふいに幸村の目の前で、政宗の体が不自然に沈んだ。状況が理解できない驚きに目を見開いて、刀を取り落とした片手がおそらくは無意識に、掴むものを求めて前へと伸ばされる。
足元が崩れたのだ、と、気づいたのは一拍の後だ。
「独眼竜!」
槍を放り出して咄嗟に腕を伸ばし、幸村の手が、政宗の腕をとらえた。けれど自分とそう変わらない体重を易々と引き戻せるものではない。まして政宗は甲冑を着込んでいる。
「馬鹿、離せ!」
声を聞いた時には既に幸村の体は均衡を失い踏み締めようとした足は土を滑って、二人は揃って崩れた崖から、底の見えない湖へと真っ逆様に転落した。