Because
風が激しく鳴っている。食事の間はさほど気にならなかったそれは徐々に勢いを増して、箸を置き、外の様子を伺いに窓辺に立てば荒れた空気が一層強く感じられた。
西から迫った暴風雨。数時間後にはピークを迎える予報で、窓の向こうに目を凝らせば黒い厚い雲が空を目まぐるしく流れていく。外灯のあかりの中には風に煽られた雨の雫が舞っている。雨足は今は予想より弱いが、多分これから強くなる。
窓辺ならば見えまするか。背中に問う声に政宗は室内を振り向いて、軽く肩を竦めてみせた。
この天気で月が見えると思ってんなら、相当なめでたさだ。思ったままそう口にすれば、ローテーブルの前であぐらをかいていた幸村は愚問でござったと背を丸めた。そして、考えなしの自らの口を塞ぐように、こしあんを乗せた団子をひとつ丸ごと口に入れる。食事を終えたローテーブルの上には、小山に盛られた団子と、コーラの缶とビールの缶が一つずつ。それと灰皿。幸村は団子を咀嚼して飲み下して、立て続けにもうひとつへと手を伸ばす。どれだけ食う気だと呆れる政宗に、この程度まだ八分目にも足らぬとからりと言う。
――今宵は十五夜との事。
政宗がそのメールを受信したのは昼間だった。近所に買い出しに行った帰りだった。友人、と呼ぶのはやや躊躇われるメールの送り主の、口調と同じ時代錯誤な文面。行き過ぎだ、どんな育ちだと思ったのは初めのうちだけで今は慣れた。
――月見の団子を用意したのだが、伺っても宜しいだろうか。
政宗は携帯電話片手に空を見上げた。
日差しは時折雲に遮られていたが、まあ晴天と言えた。西から迫る台風の影響はまだ見られず、それでも、湿り気を帯びた温い空気は嵐の気配を孕んでいた。予報では夜には暴風域に入る。
そんな天気に月見もないだろうと呆れながらキーを打った。
月は見えないだろうが、来たければ好きにしろ。
信号待ちの時間でそう返信した。送信ボタンを押すと同時に、頭の中で冷蔵庫の中身を検索する。
許可を出せば幸村は来る。月見も団子も口実でしかない。そんな事は知っている。
濃い味付けの肉と、それを緩和する野菜と、何か腹に溜まる物。
考えているうちにメールの着信音が鳴った。幸村は携帯メールにとことん不慣れで両手で探り探りキーを打つ。それにしては驚異的な速さだった。携帯電話を握りしめて返事を待っていたに違いない、そんな速さだった。
二人分に足りなかった白飯は炊き直した。
味噌漬けの豚肉を解凍して焼いて、大量の千切りキャベツとポテトサラダ。彩りにミニトマト。インゲンの胡麻和え。大根と油揚げの味噌汁。
部屋で食事をする時はいつも政宗が料理する。大袈裟なまでに喜んでよく食べるから作り甲斐もある。手伝わせてみれば幸村もそれなりに包丁を使える様子で、気が向かなければ一人で作らせてみようと考えているが今のところその機会は訪れていない。
適当な番組を眺めながらそれらを二人で平らげて、幸村は更に持参した団子を皿の上に小山に盛って、次々と口に運んでいる。月見の団子は食うのではなく供えるのではなかったか。指摘すれば、供える月がないので仕方がありませぬと納得できるようなできないような理由を披露された。太るぞと言えば望むところでござると返ってきて、それはそうだと政宗も納得した。
政宗は窓辺を離れてローテーブルの前、幸村の斜め隣に腰を下ろし、自分も団子を指で摘んでひとつ口に放り込む。指先に少しばかりついた餡を舌先で舐め取った。
甘い、とこぼす。
当たり前でござると幸村が言う。
政宗はひとつ舌打ちする。口の中の甘さをビールで流し、缶を片手に頬杖をついた。
テレビでは列車の運休情報のテロップが途切れもせずに流れ続け、時折注意報の電子音が鳴り響く。
凄い風でござるな。
幸村が言う。窓ガラス一枚隔てた向こうでは今はびょうびょうと風が巻いている。幸村の家までは特に電車やバスを利用する必要もない、近くもないが遠くもない徒歩の距離だ。それでも、この横殴りの風雨の中、外を歩けば全身余すところなく濡れそぼる。傘など無意味だ。広げた途端に壊れるだろう。
帰れねえんじゃねえか。
政宗が言い、そうかもしれぬと幸村が頷く。
会話が途切れた。空気が妙に緊張した。変質した。そう感じた。テレビから虚ろに浮かれた笑い声の効果音が響く。番組の内容は耳に届いてはいるがそのまま抜ける。頭に入って来はしない。
残念だったな。
目を液晶画面に向けたまま政宗は言った。
団子まで用意したってのに、肝心の月が出ねえんじゃ意味がねえ。
少しの間を置いて、否、と声が返された。
意味はありまする。
幸村が言う。頬杖のままそちらへと目をやれば、幸村は政宗を見ずに、どこかふてくされた様子で団子に視線を据えている。
何の。
問えば、月が、とそこで言葉を切った。ためらう間。
「月が綺麗でござれば」
言われて、政宗は呆けた。外は相変わらずの天候だ。垂れ込めた雲で空は暗い。突然何を言い出すのかと訝しげに幸村を見て、そして唐突に思い至った。
月が綺麗ですね。
その言葉には聞き覚えがあった。有名な言い回しだ。有名な人物の逸話だったはずだ。誰だったかは咄嗟に思い出すことが出来ない。英語での愛の告白を、日本人ならば遠回しに訳せと言った。そんな話。
雨は止まない。
月はない。
月が綺麗だと幸村は言う。
政宗はどうにか口を開いた。
案外臭えな。
伝わった、と言外に告げれば、幸村は顔を赤くして、怒ったような、困ったような顔で政宗を見た。どう告げれば良いかわからなかったのだ。視線を逸らして言う声も、怒っているとも弱っているともつかない声音だ。政宗は硬い音を立ててビールの缶をテーブルに置く。真田、と名を呼んだ。
友人の域を超えて好かれている、そんなことにはとうに気づいていた。友人の域を超えて好いている。その自覚もあった。
ただ、きっかけがなかった。
関係が変わることへの抵抗もあった。
頬杖のまま、首を傾げて幸村を見る。
悪くねえ。けど、オレは直訳のままでいい。
言えば、幸村が目を丸くした。口が何かを言いかけて、熱い手が政宗の頬杖の腕を掴む。引き寄せられた。勢いを増した風ががたがたと窓を鳴らす。
予報を裏切って朝を待たずに早々と雨は止んだ。そのことには、身の内の嵐に呑まれて夜半過ぎまで気づかなかった。
初:2012.10.02/改:2013.04.03