俺の忍がこんなに細いはずがない

 数日かけての任務から戻り、佐助はその足で幸村の元を訪れた。
 その仕事自体は幸村より更に上、武田信玄に命じられたものだった。久々の偵察任務。常の忍装束ではなく旅人風の着物を身に着けて、陣笠を被ったり振り分けの荷を担いだり。
 その装束のまま、佐助は城の裏手から木の枝伝いに幸村の室の前庭へと着地する。
 日暮れが近く、陽の光は大分弱い。室内へと目を遣れば幸村は槍の手入れをしているところで、声をかける前に佐助に気づいて顔を上げた。
「早いな。ご苦労だった」
「はいよ、っと。ま、俺様にかかれば楽勝、楽勝ー」
 縁側に斜めに腰掛けた佐助は振り分けの荷を下ろし、中から竹皮の包みをひとつ取り出す。
「お館様のとこにはもう報告に行って来たんで、何か御用でもあれば承りますよっと。で、これ土産」
 包みの中は竹串に通した団子が数本。帰路立ち寄った茶屋で買い求めたものだ。というより、団子を買い求めるために立ち寄ったと言うべきか。おお、と声をあげた幸村が膝でにじって近づいて来て、
「……どうかした?」
 包みを受け取ろうとした姿勢で、なぜだかそのまま固まった。視線は佐助が差し出した包みにひたと向けられている。
 いや、包みではない。
 佐助が気付いたと同時、幸村が佐助の手首を勢い良く掴んだ。
「何なのだこの腕は!」
「……へ?」
 佐助はぱちりと瞬きして、幸村に掴まれた自分の腕へと目を向ける。
 何だと言われても、何の変哲もない腕だ。強いて言えば幸村よりも色が白い。ついでに、幸村に掴まれているせいで痛い。
「え、な、何? 俺様の腕がどうかした?」
「何、ではない! 数日でこうも肉が落ちるなど、それほど過酷な任務だったのか!?」
 その言葉に、佐助はまた呆然とする。
 細い、と言われれば事実であるし頷くが、痩せたということはない。体調管理は勤めのうちだ。細く軽くと心がけてはいるが、痩せすぎては体力が落ち差し障りが出る。任務の前と、今と、目方にそう変化はないはずだった。
「……いや、俺様別に痩せてねえって」
「嘘を申すな!」
「嘘じゃないって。こんなもんよ、前から」
「何!? ……いや、だが、任務に出る前ははこれほど細くは」
「ちょ、いきなり剥かないでよ旦那!」
「見ろ! やはり細いではないか!」
 着物の袷を勢い良く掴んで広げて、言う幸村は真剣だった。眉間に皺を寄せて佐助の腹を睨む主の顔を眺めながら、佐助は考えて、ぴんと閃く。竹皮の包みを床へと置いた。
「あー……わかった。真田の旦那、ちょい手離して」
 幸村の識別能力はやや特殊だ。少しばかり問題がある。
 佐助は幸村の手をやんわりと外すと、沓脱石の上に立ち上がった。両手で印を結ぶ。どろん、と黒煙が佐助の姿を覆い隠す。
「もしかして、これ?」
 その煙が晴れた時には佐助は常の通りの戦装束に身を包んでいた。
 腕にも、腰にも、鋼の防具を着けている。防具の分、腕も胴回りも見た目に太くなっていた。そのうえ首から胸まではゆったりとした布で覆われて、それも体型を隠すのに一役買っている。
 幸村の口が、「あ」の形に開いた。
 それを見て佐助は再び印を結び、今度は先ほどまでの旅装束へと形を戻す。
「な? 防具の下は元からこんなもんだって」
 小首を傾げ、軽く両腕を広げて幸村へと示した。
 これまでも別に、幸村の前で常に戦装束でいたわけではない。筒袖に括袴で過ごす事も多いし、夏場などは袖なしの上着にひざ丈の袴などという、今の旅装束より余程露出の高い格好で過ごす事もある。
 ただ、思い返せばここ数カ月、幸村の前に常形で出た覚えがない。それは意図してのことではなく偶々なのだが、その間に、幸村の目が佐助のかたちを防具込みで固定してしまったということなのだろう。佐助には到底理解できないが、こと幸村の認識能力に関しては、日の本じゅう探しまわったところで理解できる人材には巡り会えないに違いないと、天狐仮面の一件で既に思い知っている。
 幸村は口を開けたまま呆然と佐助を眺め、やがて、両の拳をずどんと縁板に叩きつけた。
「この真田幸村、まだまだ未熟……ッ!」
「や、そんな、大袈裟な」
 次いで幸村はがっと立ち上がり、佐助に向けて右手のひとさし指を突きつける。
「佐助! しばしそこに居れ!」
「え? こ、ここ?」
「室の中でも構わん。とにかく、この付近から動くでないぞ!」
「えっと、だから、何で?」
「良いな、待っておるのだぞ!」
「いや、だから」
「良いな!!」
 言いながらも幸村はじりじりと廊下を移動し、終いには勢い良く駆け出した。
「……何で? って、聞いてんのに……」
 わけもわからず取り残された佐助は一人寂しく呟いて、幸村の消えた方向を眺めて、首の後ろを指で掻く。縁側に腰掛けていれば良いだろうか。考えて、その前にと、草履を脱いで室内に上がった。手入れの途中で放り出され、今は存在すら忘れられているに違いないニ槍。乱雑に転がるその風情にほんと得物の扱いが悪い旦那だよと呟いて、壁の槍掛へと静かに戻した。



 人参、里芋、かぼちゃに大根、ねぎと椎茸。ひと目で味噌とわかる汁をたたえて鉄鍋が湯気を上げている。
 待て、と言われて素直に佐助は幸村を待った。小一時間待ち続けた。やがて戻ってきた幸村は大きな鉄鍋を手に下げて汁物の良い匂いを漂わせながら、主の室の続きにある囲炉裏の小部屋へと佐助をいざなった。
 食え、と大振りな椀を差し出される。
「あの……真田の旦那?」
「すまなかった」
 ほうとうを手ずから椀によそった幸村は、しおらしく項垂れた。
「己の忍が、斯様に痩せこけていることにも気づかず今まで俺は……ッ!!」
「ちょ、ちょっと落ち着こう! ね! 汁こぼれるし!!」
 慌てて言えば、幸村はうむと呟いて切なく溜息を落とす。
 しょげる主を眺めて口を曲げて、佐助はそちらも困ってひとつ小さく溜息を吐く。
「気持ちはありがたいけどさあ、旦那。忍にはお役目に適した目方ってのがあるわけよ。飯の量もさ」
 確かに佐助は体を細く軽く保っているが、細いと言っても筋肉はしっかりとついている。そして、それを維持できるだけの食事も、特別量は多くないにせよそれなりに摂っているのだ。
「嘘を申すな。忍隊には体格の良い者とて多いではないか。俺が知らぬと思うてか」
「そりゃ俺様とは役割が違う奴らなの。あとは年ね。忍隊の若い奴らなんて皆こんなもんよ?」
「何!? ならばその者たちもここに呼べ!」
「や、だから若い奴らなんだって。旦那の給餌で飯なんか出されてみろよ、逆に喉を通らないっての」
「……何故だ?」
 幸村はきょとんと目を丸くする。
 真田家当主が忍に親しいのは代々のことだ。佐助は直接には先代までしか知らないが、話にはそう聞いている。幸村も例に漏れずだ。
 しかし忍からすればそうはいかない。幸村を幼い頃から見ている者たちはともかく、年若い者たちの大半は、幸村の前で幸村の作った飯を食えなどと言われれば畏れ多さで間違いなく萎縮する。
 だが、幸村はといえば、状況が状況とはいえかつて初対面の武田信玄を罵倒したという肝の持ち主だ。そのあたりの感覚は多分理解できないだろう。
「えー……っと。とりあえず、俺様が頂くってことでいい?」
 両手を上げて、佐助は幸村から椀を受け取った。思いがけない食事だが、幸い夕飯がまだだった。箸を持ち、椀を顔に近づければ味噌と野菜の良い匂いがした。
 汁を啜る。
「あ、美味いや」
 かぼちゃと人参の甘味、椎茸の出汁、葱の香り。呟きに、幸村がわずか眉根を寄せる。
「当たり前だ。お前に教えられた通りに作ったのだぞ」
 麺を啜れば、それも昔佐助が教えた通りの出来だった。野菜の切り方は不恰好だが、それでも幸村にしては上出来だ。佐助はひと通り味を確かめて小さく頷いた。
 幸村には、あらゆる状況を想定して生き残る術を叩き込んである。野草や薬草の見分け方、特別な道具を使わない魚の捕り方、獣の捌き方と口にしてはいけない部位の知識。調理もその一環だった。そして、幸村はそれをしっかりと身につけていた。
 俺様感激……と内心で涙しながら、気づけばほうとうの椀を平らげていた。汁を飲み干し、佐助は椀を眺めて満足感に吐息した。
 佐助にとっては、初めての、幸村が一人で自力で作った飯だ。それも誤解はあるものの、佐助を案じて、佐助ひとりのために拵えた飯だ。それを思えば何やら胸が暖かくもなる。
「いやー旦那、やれば出来るじゃないの。さっすが俺様の」
 ぼちゃん、と異物の混じった水音と共に、たった今平らげたばかりの椀に新たにほうとうが注ぎ足された。
 佐助はしばし硬直して、視線を上げれば、にこりともしない真顔で玉杓子を持つ幸村と目が合った。
「……旦那」
「何だ?」
「あの、すっげえありがたいんだけど俺様もう腹いっぱいで、これ以上は無理っていうか」
「それはならぬ」
 きっぱりと幸村は言い切った。
「お前が骨と皮ばかりなのも、斯様に食が細いのもこの俺の不甲斐なさゆえだと解っている。許せ、佐助」
「骨と皮って、ちょっとほら筋肉! あと俺様別に食細くねえし! あのさ旦那、さっきの俺様の話聞いてくれてた?」
「うむ。他の若い忍たちも同様に細いのであったな。ゆえに、まずは俺の責任で佐助の体を人並みまで戻さねばならぬ」
「いや全然まともに聞いてくれてねえし……。っていうか、これ、つまり」
 佐助は手に持った椀と、幸村の玉杓子と、囲炉裏の鉤にかけられた、まだなみなみと汁をたたえる鉄鍋とを嫌な予感と共に順に見遣る。
「鍋、カラにするまで帰れない、とか?」
「そうだな。そうするか」
 ごく真面目に幸村が頷いた。
 ああ、人間、どうしようもない時って笑うよな。
 そんな事を考えながら、佐助は虚ろな笑みを自然発生的に口元に浮かべる。片付けた汁は佐助の腹に一杯分と、手元の椀に一杯分、鍋の中にはまだ十人の胃袋を満たして更に余るかという量が残っている。
「…………無理です」
「無理なものか。おぬし、常々自分に不可能はないと言うておるだろう」
「あれはそういう意味じゃなくて!」
 身を乗り出せば、今度は顔の前にぬうと白いものが突き出された。
 白。の、丸いもの。が、幾つも串に連なって刺さっている。佐助が幸村に買ってきた団子だ。
「これも食え。いつもの茶屋のだろう? 美味いのだぞ」
「……や、俺様今ちょっと両手が塞がってて」
「ならばこのまま食えば良い」
 椀と箸とを示して遠回しに拒否すれば、唇に触れる近さで突きつけられたそれに、佐助は眉間に皺を寄せて団子を眺める。
 思案の後に、観念して、幸村が差し出す団子へと口を開けて齧りついた。



 その日、夜遅く、忍小屋に戻った佐助は片手にまだ温かい鉄鍋を下げていた。
「長?」
「ご無事で、長」
「何だ、そりゃ何処ぞから持ってきた?」
 任務の下準備やら内職やらで灯りを頼りに起きていた者たちが、ほうとうの匂いと共に戸口に現れた佐助と鍋とを見て一様に目を丸くする。
「えー……差し入れ? 真田の旦那が拵えたんだけど」
 囲炉裏の鉤にかけた鉄鍋に、一同がどよめいて集まって来た。中身は佐助が最初に見た時の半分近くまで減っている。
 これを幸村様が、だの、食べても良いんですか、だの口々に言う忍たちに佐助は力なく片手を振った。
「食べられそうなら頼むよ……。味は保証する。ちょいと時間が経っててほうとうがべろんべろんだけど」
 言う間にも土間から椀と箸が運ばれて、囲炉裏端で試食が始まった。どよめきを背に受けながら、忍小屋の端にある長の室へと戻って、佐助は重い腹を抱えてごとりと床に倒れ込んだ。
 忍の体を気遣ってくれる、それはありがたいのだがどうにも手段が間違っている。
「もう、そのうち凧に乗れなくなったらどうしてくれんのさ……」
 呟いて、明日から暫く幸村の前で忍装束は脱ぐまいと佐助は強く心に決めた。

2013.04.01
どらバサで幸村がほうとう作ってたのと、佐助って脱いだらめちゃくちゃ細そうだなと今頃思ったのでなんかそんな感じで。