思いもよらない
偵察任務を終えた体で報告に出向けば、何やら上機嫌な様子で主君が褒美をやろうなどと言い出した。
報酬以外に褒美まで出されるとは珍しい。はあそりゃまあありがたくと返して待てば、小振りの瓶(かめ)が目の前に置かれて、お、と声をあげた。封を切れば中身は予想通り焼酎で、上等な芳香が鼻腔を擽る。
「いやぁ旦那もたまには気が効……」
言いかけた言葉を飲み込んだのは、蓋を直して視線を上げて、主君の手元に素焼きの瓶子と、杯を二つ見てしまったからだ。
「……旦那」
「うむ、何だ?」
「俺様ちょーっと疲れててね?」
「そうだろうな。酒を呑んで寝ると良いぞ」
「酒も呑まずに寝たいわけよ」
「それは困る」
「何で旦那が困るわけ」
「俺は呑みたいのだ。だから困る」
一人で呑めよ!! という叫びは情なく聞き流されて、お館様がお館様がと佐助が不在の間の信玄の様子を上機嫌に話しはじめた幸村は、結局、瓶を空にするまで佐助を解放してはくれなかった。
というわけで寝不足なんです、と、翌日報告にあがった武田の城で信玄に疲労の色を指摘された佐助は、投げ遣りに事の顛末を話して聞かせ、喉を鳴らして笑われて、拗ねた様子で眉を跳ね上げた。
「傷つくなぁ。大将、笑うことじゃないでしょう。労ってくださいよ」
「いやすまん。……のう、佐助」
「はい?」
「それほどに疲れておったのなら、幸村の我が儘なぞ無視して下がれば良かったのではないか?」
言われた佐助は虚を突かれ、無防備に目を見開いて信玄を見つめる。
「それは……」
「神出鬼没は忍の得手。おぬしがその気になれば、幸村がどれほど食い下がったところで止められるものでもなかろうに」
言われてみればそうである。似たようなことは幾度もあったが、その選択肢はこれまで一度も、思えば不思議極まりないことに、佐助の頭に浮かんだことがなかった。
そもそも幸村は、本当に酒を呑み交わす余裕のない時には、そういった強引な誘いはかけてこない。傍目にわかるほどの差を表に出しているつもりはないのだが、そういう時にはご苦労だった下がって休めと、それだけを告げてくる。
だから、
「思いつきもしなんだか」
その佐助を楽しげに眺めていた信玄は、ついにたまらないといった様子で声をあげて笑い始めた。
「――――ッ次から! そうします!」
佐助に出来ることと言えば羞恥に歪んだ顔を見られないようその場からかき消えることだけで、その通りに天井裏へと姿を消した佐助は、薄暗く狭い空間で、赤くなっているに違いない己の顔を平手でひとつ叩いた。
2006.09.01