八: 大噴火で戦を終えたあとの真田幸村
遠くでどうと空気がふるえた。歓声だ。勝ち鬨だ。
手近の砲手を斬り付けた手裏剣を、腰に納める前に一度強く振って血脂を雑に落とす。その程度で拭えるものじゃないけどしないよりましだ。役目を果たさなくなった馬防柵の残骸を尻目に敵本陣に駆けつければ、歓声の輪の中心にいたのは予想通り真田の旦那で、肩で息をする旦那の足元には白銀の甲冑。その下に広がる血溜まりにどんな壮絶な戦いだったのかと眉を顰めたところで、広がっているのが血じゃなくて赤い布だと気づいた。そうだ、見るたび甲冑の背に着けてたっけ。派手好きで赤が好きな魔王。最期に目にしたのも赤だったってわけだ。それも、他に類のない凄絶な紅。
その紅い旦那の背に、人垣をすり抜けて側仕えの気安さで近寄っておつかれさんと肩を叩く。
「佐助……」
俺様の顔を見るなり眉をハの字にした旦那は、いきなりその場にへたり込んだ。
「幸村殿!?」
「え、ちょっと、どうしたのよ旦那。どっか撃たれたの?」
「おい、誰か軍医を」
慌てた兵が口々に騒ぎ立てる中、しゃがみ込んで旦那の様子を検分するけど見える場所に座り込む程の傷は見あたらない。立てた槍の柄を縋るように握って、首を振る気力もないらしい旦那がいやと短く否定した。
「じゃあ何。どっか痛い?」
「腹が減った」
……何で俺様の顔見てそういうこと言い出すかな。
一瞬の静寂の後に、周囲でどっと笑い声があがった。さすがは幸村殿とか、大物ですなとか、言いながら人垣が崩れて本陣へと引き揚げが始まる。
「それと喉も」
「あーわかってるとは思うけど飯はもうちょっと我慢してくださいね」
「わかっておる。佐助の顔を見たら気が抜けただけだ」
「気が抜けた途端にこんなとこでも腹が減るわけ? 旦那ほんと大物だよね」
呆れて言ってやれば旦那が困ったみたいに笑って、
「さすがに、……疲れた」
最後の一言は多分独り言の、聞き逃しそうな小さな声。
ああ、そりゃ疲れもしただろう。今日は開戦からいつも以上に全力だった。闘気というか熱気というか、そんなものがびりびりと皮膚に感じられた。この梅雨の時期、雨が降ってりゃ火縄は使えないってのによりにもよって晴天で、あり得ないくらいの暑さだったのも旦那のせいじゃないのって思うくらい。
愛馬を駆って先陣きって銃口の光る戦場に突っ込んで、鉛の弾など気合いで避ける! って無茶言って、でも本当に気合いで避けて。鉄砲の弾にも怯まずに、なんか赤いのが凄まじい迫力で突っ込んできたら、鉄砲隊の列も乱れるってもんだ。ああ考えてみりゃ魔王の旦那も可哀想に。あんなにたくさん鉄砲揃えたのに気合いなんかで避けられて、馬防柵壊されて隊列崩されてその隙に騎馬隊が突撃してきて負けたってんだから。
俺様はといえば水の気配ひとつない天気のおかげで霧も出せずに、仕方なく地味ーに砲手を排除するくらいしかできなかったわけだけど。
旦那の口に水渇丸を放り込んで、あと何か一時しのぎになるものはと懐に手を入れたところで、気にするなと旦那に止められた。
「んじゃ本陣に戻ります? 旦那の馬、外にいたから今連れて」
「佐助」
「はい?」
「助かった」
「旦那ぁ? 水渇丸くらいで大袈裟な」
「援護してくれただろう」
あら。
気づいてるとは思わなかった。と、考えたのが顔に出ていたのか何なのか。槍を支えに立ちあがった旦那が、俺様を見下ろして笑う。
「幾度かひやりとしたが、その度に槍を向けるより先に砲手が倒れた。あのような加減で手裏剣を打てるのは、佐助以外におらぬからな」
といっても持ち場が違ったし、本当に時々距離が近づいて気づいた時だけ、旦那を狙う砲手を排除した。それだけだったんだけど。
敵以外何も目に入らないって感じの鬼の形相で槍振るいながら、見るとこは見てた旦那にからかい抜きで感心して。
「嫌だなあ。ほんとに強くなったねえ……」
呟けば、お前の主だからなと、幼さの消えかかった頬の線を緩ませて旦那が笑った。
初:2006.10.23/改:2009.05.28