触れたくて、でも触れたくなくて
力を失って横たわる体の、腰に差された鞘から刀を一本借り、首を落とそうと刃を当てたところで幸村はふとその手を止めた。
単身戦場を突き進んで、隠された通路の奥も奥。部下達が来るまでにはまだ刻があるだろう。
少しの思案のあとで刀を置き、幸村は、弧月の前立てをもつ兜の緒へと指を伸ばした。
接戦の緊張の名残でふるえる指をなだめ、苦労して結び目をほどき兜を外せば、外に跳ねる癖のある、人より少しばかり色の薄い髪が乾いた地面に散った。
兜を外した顔を見るのは初めてだと、隠すものが眼帯のみとなった政宗の顔を幸村はひたと眺める。思えば、互いに甲冑を纏った姿でしかまみえたことのない間柄だ。
一度目は合戦の場で。
二度目は長谷堂城へと出向いて戦いを挑み。
三度目はここ、大阪城。
そうして、四度目の機会は訪れない。
否。
(四度目は……来世までお預けでござったな)
考えて、幸村は少し笑う。
最期の最期に、政宗が宣言した。強い語気で。諦めのない声で。今生での負けは認めても、次に生まれたときは自分が勝つのだ、と。
その言葉がすぐには飲み込めず、理解して振り向いた時には政宗の体は重い甲冑の音を立てて地に崩れたあとだった。
どこか茫然と政宗を見下ろした幸村の背を、喜びがもたらす震えがひとつ駆け上った。
伊達政宗。
天を割る稲妻の如く、清冽な覇気を纏う竜。
はじめて剣を交えた時の、全身の毛が逆立つような歓喜をまだ覚えている。
その竜は、輪廻転生の後にまた自分を見つけるのだと言う。
生まれ変わってもまた、自分と戦いたいと言うのだ。これほど誇らしいことはない。
ならば自分も彼を探す。生まれ変わったその後に、再び剣を交えるために。
兜を外したそのことで、幸村の中で、竜は人へと身を落とした。そうして、胸の裡に広がるのはこれまでに覚えのない奇妙な感情だ。
まだほの赤く生気を残す痩せた頬、誘われるように無意識に伸びかけていた指に気づき、幸村は躊躇いの後にかたく手を握った。触れたいという衝動に揺れる反面、触れてはならないと警鐘が鳴る。触れれば自分の中で何かが変わると、そんな手触りの悪い予感を得て。
ただ、一度でも、戦場以外で出会っていなくて良かったと、それだけをはっきりと感じていた。
まさむねどの、と声に出して名を呼ぶ。
「俺は────多分、そなたを」
音になりそこねた言の葉の骸は、竜と共に蒼天へと消えた。
2006.09.01