三

「奥州、伊達政宗殿とお見受け致す」
 天下獲りの第一歩として攻め込んだ甲斐の端。
 眼前に立ちはだかり馬上で名乗りを上げた若い男の、陽を受けて透ける髪の色に、ふいに心がざわついて政宗は僅かに眉をひそめた。
 いつかどこかで見たことがある。
 確かに感じたそれがいつの事だったか、脳裏を過ぎった影が誰のものだったか。思い出す前にその年若い武将は身軽な動作で鞍を下りた。ちりちりと軽く鈴のような音が響く。具足が地を踏みしめる。背におさめられていた二本の槍が両手に構えられて、その姿に政宗は今度こそ目を瞠った。
 鮮やかな朱槍だった。
 それを、男は左右の手に一つずつ構えてみせた。
 二槍使いなど稀にも見ない。話に聞いた事もない。
 ただ一度、遠い昔に、二槍に挑んだ無鉄砲な子供を見た事があった。忘れようにも忘れられない。ニ本の槍を振り回そうとして、逆に自分が振り回されて無様に地面に転がった子供。一槍ならば手強ささえ感じたものを、自分の二刀に張り合って無茶な試みを始めた子供。
 弁丸。
「お相手願おう。それがし、真田源二郎幸村と申す」
 隙なくニ槍を構えた男の、誇りと闘志を滲ませた名乗りに心は僅かも揺れなかった。
 知らない名だった。
 覚えのない声だった。
 声変わりを経て元服を経て、それでも面影は残っているのかもしれないが、顔だちの記憶など忙しない月日の流れにとうの昔に薄れて消えた。
 それでも消えることなく記憶に刻まれた、無謀な二槍と、陽の光に透けるやや明るい髪の色。あちらこちらに跳ねる癖のあるその毛先。
「……Ah-han?」
 隻眼を細めて、政宗はその男を全身眺め回した。
 背は政宗とさほど変わらない。見た目は幾つか若く見える。風変わりな赤い防具は目方を減らすためか大胆に簡略化されて、ろくに急所を守っていない。これが初陣でないのならば、その出で立ちだけでそれなりの手練れなのだろうと思われた。首には紐に通した銭が下げられていて、先ほど耳にした鈴の音の正体はそれだと知った。
「真田、幸村?」
 源二郎幸村。その名は初めて耳にするものだが、真田の家名は聞き知っていた。武田信玄の信頼厚い、精強な忍軍と、精強な赤備えの軍を有する家だ。
「……いかにも」
 政宗の無遠慮な視線に不快そうに眉根が寄せられて、男が何かしらの抗議の言葉を口にしようとしたのを遮って。
「Congratulations……ってやつだな。使えるようになったみたいじゃねえか」
 からかう調子でかけた声に、男、真田幸村が目を瞬かせた。
 大きな目が政宗を見据え、信じられないとばかりに驚きに見開かれる。ゆっくりと、槍を構えた手が体の脇へと下ろされる。
「おぬし……」
 呟いて、幸村は硬い表情で、政宗の顔から爪先まで余すところなく視線を走らせた。
 戸惑いを乗せて瞳が揺れる。
「……奥州、伊達、政宗」
「Yes?」
 楽しそうに答えた政宗に、幸村の唇が動いた。
 『梵天丸?』と、声に出さずに疑問を綴る。
 それを正確に読み取った政宗が満足そうに、唇の片端を吊り上げて笑えば、信じられないとでも言いたげに一度眉根が寄せられた。
 信じられないのも無理はない。考えて、政宗は笑みを深くする。
 声も変わった。名も変わった。姿形がどれほど変わったかは自分ではわからないが、十年近く昔の記憶と結びつけるのは到底無理だろう。
 ひとつきりの目だけはどれだけ年経ても変わらないけれど、今は、右目を覆うのは柔らかな布ではなく刀の鍔を使った眼帯だ。疎んだ異相も今は敵を怯ませる武器の一つであり、人目を気にして怪我を装うような事もない。
「……おぬしこそ、随分と刀の本数が増えたのではないか?」
 深く長い呼吸の後に、幸村は、そう言って挑戦的な笑みを浮かべてみせた。
「アンタが二槍に慣れるくらいだ、オレが六爪を操るようになったところで何の不思議もねえだろうが」
 政宗は、腰に下げた刀の柄に左手を置いて緩く顎をしゃくってみせる。
「そのようだな。六つも下げて邪魔ではないのか」
 二つもあっては邪魔ではないのか?
 いつだかの遣り取りをなぞった幸村の言葉に気が付いて、政宗は喉を震わせた。
「アンタこそ、それでどうやって戦おうってんだ? 見せてみろよ」
「お望みとあらばご覧に入れる」
「いいねえ、無様に転ばねえように頼むぜ」
「無論。――いざ!」
 二槍を交差させて独特の構えを取った幸村は、ふと何かに気付いた様子を見せ、槍を握ったままの右手を引いた。
 挑む色が一時和らいで、鳶色の目が悪戯っぽさを浮かべて政宗を見る。訝る政宗の視線の先で、赤い手甲の指の背を唇へと押しあてた。
 口づけ。
 それを思い起こさせる仕草に、政宗は虚を突かれて独眼を見開き、
「――HA!!」
 弾けるような笑い声をあげた。無性に胸が踊った。楽しめると直感した。
「OK. ……上等だ」
 右腰の鞘から刀を一振り抜き放つ。
 そして刀身の峰を見せつけるように、ゆっくりと、唇の上に滑らせた。

2007.12.25/改 2013.04.03
[ リク内容:弁丸×梵天丸の小さな恋のメロディ ]
できれば再会〜くっつくまでとのリクエストでしたが、ここまでで。
年齢は、政宗が元服するちょっと前くらいのイメージ。なのでえーと数えで十歳くらい?
「もし子供の頃に会っていたら」を書くなら色々影響されまくってたら可愛いなあという妄想と、いつだかコメントで頂いた「小さい幸村は佐助に若旦那と呼ばれていると可愛い」というのも盛り込みつつ。
リクエスト内容からかなりずれましたが、みどりん様、リクエストありがとうございました! 前と後で時間があいてしまってすみませんでした。