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「――ああああっ!?」
 突然の叫び声に、驚いた俺の手の中で玉ねぎが跳ねた。
 まだ夕食の支度に取り掛かったばかりの、皮を剥きかけの玉ねぎ。今日の夕飯に入る唯一の野菜がこれ。ってのはさすがにね、俺もちょっとどうよって思うけど。何しろ、男三人だけの海賊船。肉があればどうでもいいマベちゃんと、食べられれば何でもいいアカレッドだからこれで別に文句も出ない。
 叫び声の出処は隣の部屋、厨房と隣接した食堂からだ。
 で、声の主はマベちゃんだ。
 思わず振り向いて声のした方に目を向けるけど、ここからじゃ様子は伺えなくて、ちょっと悩んでシンクを離れた。
「どしたのマベちゃん」
 玉ねぎ片手に顔を出せば、叫び声の主は何でだか床に這いつくばってた。
 まるでねじ巻きのおもちゃみたいだ。
 落ち着きなく、テーブルや長椅子の下をしきりに覗き込んで天体儀を持ち上げて、多分、というか間違いなく何かを必死に探してる。
 で、俺の声が聞こえなかったのか、それとも無視されてるのか。急に立ち上がると廊下に向かって、厨房側とは別の出入口から凄い勢いで飛び出してった。
 だかだかと足音が遠ざかる。
 止まる。
 距離的にマベちゃんの船室だ。
 またすぐに、ちょっと走って遠ざかって、今度は階段を駆け上がってく。操舵室のある方向。
 で、次に聞こえた足音は階段を駆け降りて、止まらず一気に近づいて来た。食堂の入り口に手をかけて、摩擦に靴底をキュキュって鳴らして急停止。全力疾走に肩を上下させて、マベちゃんがまっすぐに俺を見る。
「バスコ! お前、俺のアレ見てねえか、あの」
 そこまで言って、『アレ』の名前が出ないらしい。
「……アレ?」
「アレ!」
「どれよ」
「だから、アレ」
「だからどれよ」
「アレだって!」
 いや、眼ヂカラ抜群に訴えられても。
 マベちゃんは無駄に口をぱくぱくさせている。
 俺は思わず溜息をついた。
「あのさマベちゃん、ちょっと落ち着きなって」
「――――ッ! だから、これ!」
 マベちゃんが胸元のペンダントの鎖を掴んで持ち上げた。
 大きな丸いトップのついたペンダント。
 この船に来た時からずっと下げてるやつだ。
 鍵穴があいてるけど特に仕掛けもなさそうで、戦闘になると振り子みたいに揺れて、いつも邪魔そうだなって思いながら眺めてる。
 それが何?
 って、言いかけて気付いた。
「あ」
 邪魔そうなそのペンダントと一緒にマベちゃんの胸元に下がってた、小さな赤い石と角のついたペンダントが。
 ない。
「あーらら。あれ、失くしちゃったんだ?」
「落とした……多分……戦闘んとき……」
 ふらふらと食堂に入ってきたマベちゃんが、長椅子にばたりと倒れこむ。
 なーるへそ、あれか。今日の昼前の。
 ザンギャックの支配下の星で大立ち回りをして、レンジャーキーをひとつ手に入れた時だ。
 支配下っていうかまあ、ほぼ、基地みたいなもんだった。小規模の。雑魚だらけだったけど数が多くて、ちょっと厄介な場所だった。
 ペンダントひとつのために取って返すのは――できなくはないけど、正直めんどい。半日前の事とはいえ、宇宙船の足で距離もだいぶ離れてる。
 なーんて、そんな事は言うまでもなくマベちゃんにもわかってる。その証拠に、取りに戻るとも騒がずに、黙って長椅子で凹んでる。
「そんなに大事な物だった?」
 聞いてみたのは、何となくの興味からだ。
 伏せた姿勢から、マベちゃんが目だけを上げて俺を見る。
「ここに来る前から着けてたでしょ。なーんか、思い出? みたいなのがあったのかなーって」
「……別に、そういうわけじゃねえ」
「ふうん?」
「ただ、気に入ってたから」
 マベちゃんはむくれて黙り込んだ。
 嘘っぽい。
 それだけとも思えないけど、言う気がないなら別にいい。
 どうせ、この船に乗ってる奴ら全員隠し事だらけだ。俺だってそうだ。アカレッドだって。それに比べればマベちゃんなんてもう全然可愛いもんだし。
「ま、もうすぐご飯だからさ。がっつり食べて元気出しなよ」
 マベちゃんが唇を尖らせる。
「……飯、何」
「スパゲティ。トマトソースの」
「またかよ」
「だって楽なんだもん」
「手抜きすんなよ、料理人」
「いいじゃないの。それにマベちゃん、あれ好きでしょ」
「そうだけど」
「何? ご要望あるならどうぞ」
 可愛らしく首を傾げて聞いてやれば、
「……肉」
 さすが、期待を裏切らない。
 可笑しくてちょっと笑った。
 いつもながら若い胃はおっかない。食べ物に関して口を開けば肉、肉、肉だ。途端に、長椅子に突っ伏したままのマベちゃんに横目で睨まれる。
「何だよ、リクエスト聞いたのてめえだろうが」
「はいはい。じゃ、お応えしましょう?」
 といっても、今からメニューを変更するつもりも、新たに一品追加するつもりもない。面倒だし。元々料理が特別好きなわけでもない。
 アカレッドと二人だけの時に成り行きで厨房に立つようになっただけで、ま、それでも今となっては手慣れたもんだ。
 冷蔵庫にブロックの豚肉があるからミンサーで挽いて、作り置きのパン粉。玉ねぎ。卵と塩コショウ。
 早くしろよ、って食堂から苛立ち紛れの声が飛ぶ。
 ほら、マベちゃんなんて、俺が食事の世話のためにこの船に乗ってるって頭から信じて疑わない。



 大皿に山盛りのミートボールスパゲティ。
 と、氷を浮かべた炭酸水のグラスを二つ。
 お待たせーってテーブルに置けば、マベちゃんの目が輝いた。
 たっぷり絡んだトマトソースと、玉ねぎと。リクエストの肉団子がごろごろ入ってて、我ながらめちゃくちゃ美味そうだ。
 大皿からそのまま食べる事もあるけど、今日は取り皿を用意した。気が向いたからね。それだけのこと。
「アカレッドは」
「いつも通り。船長室に持ってったよ」
「食えばいいのに。ここで。一緒に」
「ほんとほんと」
「いい加減素顔見せてくれてもいいのにな」
「ほんとにねえ」
 そんなのもまたいつもの事だ。思い出したように交わす恒例じみたやり取り。そもそもあの姿が変身前なのか後なのか、人間体があるのかどうか、俺も知らない。
 ちょっと不機嫌なままのマベちゃんが、フォークに絡めたパスタを皿に取る。
 俺も、思いっきり絡めて自分の皿に移す。
 途端にマベちゃんに睨まれた。
「お前、一気に取りすぎだろ」
「え、どこが? まだたっぷりあるじゃない。てかマベちゃんこそ、肉団子集中的に拾うのやめてよねー」
「うるせえ」
「ほんとその体のどこに入ってんだか。で、どう。美味い?」
「うるせえ。美味いよ」
 マベちゃんは食い意地と、それに比例した食事量の割に全然太らないのがちょっと不思議だ。だからといって縦に伸びるわけでもない。つまり多分、めちゃくちゃ燃費が悪いんだ。
「……あれ?」
 ふと、マベちゃんの手元に目が行った。
 食事のために袖を捲った、右手の手首。
「ねえマベちゃん。腕輪、いつもと違くない?」
 今まで袖に隠れて気づかなかったけど。
 マベちゃんの右の手首には腕輪が二つ巻かれてる。
 シンプルな、太い黒の革の腕輪と、色違いの赤い腕輪。
 それが片方いつの間にか、金属多めのちょっと重そうな腕輪に変わってた。色はほとんど変わらず赤多めで、黒も少し。よく見ると、細い革が交互に金属に通されてる。
「これか?」
 マベちゃんが自分の右の腕を見た。
「昼間くすねたんだ。レンジャーキーの入ってた宝箱から」
「昼って、ペンダントを失くした時?」
「……そうなるな」
 ああ。
 それで、俺の中では合点がいった。俺の信条と合致したから。
 無くした前か、後か、それはわからないけど。
「それじゃ、あのペンダントはその腕輪の代わりだったのかもね」
 思ったまんまにそう言った。
 マベちゃんが不思議そうな目を向けてくる。
「代わり?」
「うん。ま、そう思えばいいんじゃないの、って話」
 フォークにパスタを少し絡めて、その先に肉団子を刺す。
「ひとつ失くした代わりにひとつ手に入れた。そう思えば諦めもつくでしょ。ほら、人ひとりが手に持てる数なんて限りがあるし」
 肉団子を口に放り込む。
 歯の下で砕いた。
「何かを得るには、何かを捨てなきゃいけない時もある」
 ピンと来ないマベちゃんが不思議そうな顔をしてる。
 まあそりゃそうか。俺も最初は――まだ今よりずっと若い頃は、そんな事考えてもみなかった。何でも、幾らでも手に入るもんだと思ってた。
「そうか?」
「俺はね、そう思うよ? どっかの星のことわざにもあるじゃない。二匹の獲物両方追いかけようとしても、結局どっちも捕まえられないって。そんなカンジでさ」
 パスタの絡まったフォークを指揮棒みたいに軽く振る。
 マベちゃんはまだ不思議そうな顔で俺を見てて、
「そういう事があったのか?」
 やけに真面目くさった声で聞かれた。
 ちょっと驚いてマベちゃんを見る。
「だから、なんかそういう、……なんかの代わりに、大事なものを失くした事とか」
 言う間に目が泳ぎ始めたマベちゃんに、思わず声をあげて笑った。
「何、マベちゃん。もしかして俺のこと気にしてくれんの?」
「ばッ! 別にそういうわけじゃ」
「うん。俺も、別に」
 ただ当たり前の事があっただけ。
 ずっと昔に。
 ひとつを得るために、思いもしないひとつを失った事があっただけだ。そうして自分の心得違いを知っただけ。
「マベちゃんに心配されるような事はなーんにもないよ」
 それも、今はもうどうでもいい。
「……なら、いい」
 マベちゃんが、皿のパスタを思いっきりフォークに巻きつけた。
 巻きつけ過ぎて当然口に入らなくて、欲張るなって言ったばっかりじゃないって俺は笑って。
 そうこうしてるうちに食事を終えたアカレッドが食器片手に通りがかって、相変わらず賑やかだなって呆れて言った。


 その夜。深夜。


 船室のドアを叩くノックの音で目を覚ました。
 苛立った音。余裕がない音。
 部屋の中は暗いけど、宇宙空間だから灯りがなければ一日中暗い。船内で決めた生活時間は直近に訪れた星に合わせてあって、頭に詰まった眠気から言って、多分明け方に近い深夜のはずだ。
「……ん。何」
 首筋を掻いて、戸口に寝起きの不機嫌な目を向ける。扉の向こうに居るのがアカレッドだって事くらいは気配でわかる。
「すまない。マーベラスはそこに居るか」
「マベちゃん? 何、いないの?」
「ああ。姿が見えない」
 欠伸をしながら左右を見て、ベッドサイドのランプを点けた。
 灯りの中にはベッドとチェストと小さいテーブルと椅子が二つ。広くもない室内を見回して、上半身逆さまにしてベッドの下も念のため覗く。
「いないけど。いいよ、開けても。自分で確認すれば?」
 すぐに無遠慮に扉が開けられて、いつものスーツ姿のアカレッドが室内を見回す。
 ベッドに座った姿勢でその様子を眺めながら、小さく一つくしゃみが出た。失敗した。ちょっと寒い。シャツでも羽織って寝るんだった。
 ズボンは履いてるけど面倒だから上は裸で、薄い上掛けだけじゃ今夜は少し肌寒い。
「ここにも居ないか」
 参ったな、とアカレッドが呟く。
 俺はふわとひとつ欠伸する。
「過保護すぎじゃないの、アカレッド。おおかた、寝ぼけてどっかに転がってんでしょ。機関室とか、倉庫とか。トイレとか。宇宙で船外に出られるわけもないんだし、どうせ朝になったらお腹すいてどっからか」
「それが、出られるんだ」
「……え?」
 思わず外に面した丸窓を振り向いた。見えるのは星空だ。宇宙空間だから当たり前だ。
 ――いや。
 違う。
 その光に違和感があった。宇宙空間で見るより、眩しい星。大気の下特有の拡散した光。
 跳ね起きて、窓に駆け寄って外を見た。そこには星の瞬く夜空と――下方に、それとわかる街の灯り。
「は? 何なのこれ。どこよ」
 本来飛んでるはずの宇宙空間じゃなかった。
 どこかの星の、大気の内側。
「マーベラスが勝手に操縦して引き返したらしい。昼に、レンジャーキーを手に入れた星だ」
 つまり。
 マベちゃんがあのペンダントを落とした星。
「……っの馬鹿、勝手に」
「私は探しに行く。お前は」
「行くよ!」
 言いながら踵を返して、椅子にかけておいたシャツを被る。上着を羽織って、ブーツに足を突っ込む。腰にサーベル。
 アカレッドと並んで廊下を歩きながらバンダナを締めた。
 銃の残弾。上着に仕込んである幾つかの道具。いつも整えてあるそれらを再確認しながら足早に船倉に向かう。
「バスコ」
 呼ばれて、足は止めずに振り向いた。
「何?」
 自分から呼んだくせにアカレッドは少し黙り込んで、それがちょっと嫌な感じだ。
 その予感はばっちり当たって、出されたのは下らない話で。
「君が、マーベラスに本当の力を見せない理由は私にはわからない。けれど」
 思わず舌打ちが漏れた。
 やべ、と思った時にはもう遅くて、思いのほか響いたそれが聞こえたんだろう、アカレッドが言葉を止めた。
 ま、聞こえたならそれでもいい。どうせ続けたい話じゃない。
 苛立ちを全部、溜息に乗せるみたいに吐き出した。
「うるさいな」
 マベちゃんに人間体以外の姿を見せない理由?
 そんなもの、何となくだ。
 理由なんてない。
 俺にだってよくわかってないけど。
「マベちゃんは助ける。言われなくても。それでいいだろ」
 こんな、隠し事だらけのまま、だらだらと適当に、そんな海賊ごっこの生活は俺だってそれなりに気に入ってるんだ。
 アカレッドのマスクは表情を伺わせない。
 ずるいその顔に向けて、片目を細めて笑ってみせた。いつもの通りに。
「それに、今はのーんびりお喋りなんてしてるヒマ、ないんじゃないの?」
「――ああ、そうだな」
 船倉にたどり着けばハッチは開放されてた。当然だけど。既にマベちゃんが使ったロープが一本降りていて、それに追加でもう一本下ろす。
 誰かが迂闊に登って来たりしないよう、船は高い位置に停められてた。目算で、だいたい四十階建てのビルくらいの高さ。船のすぐ下には街灯もなくて、目につかないようそういう場所を選んだんだろう。
 右手に降下用のロープを掴む。
 ハーネスも安全環もない降下だけどどうってことない。
 ただ、手袋だけは頑丈なやつを着けた。人間体の皮膚は脆くて、大したことない摩擦にも耐えられない。
「お先」
 先に空に身を投げ出した。足元に広がるのは闇だ。夜明け前の深い闇。すぐ隣のロープをアカレッドが伝う摩擦の音。
 それと。
「あ」
 目に入るどの建物よりも高い場所から見下ろした景色、闇に塗られたその一角を、ふいに幾筋ものサーチライトが忙しなく走った。
 照らしだされるコンテナの群れ。
 多分港か、いや違う、倉庫街か。
 その灯りの中に。
「マーベラス!」
 降下しながらアカレッドが叫んだ。
 コンテナの影から、小柄な影が転がるように駆け出て来た。
 障害物を利用して、鋭角に方向を変えながらすばしこい動きで追撃を逃れる。船との距離を縮めている。
 追手の数は闇で見えないけど、足音と物音で多いことだけはわかる。
 距離は五百メートルほど。
 俺達が地面に降り立つのと、背後を気にしながら夢中で駆けていたマベちゃんが俺達に気付いたのがほぼ同時だった。驚いた拍子に、マベちゃんが、何もない地面に躓いたのも。
「ッ!」
 それでも、さすがに転ぶ前に、片手をついて反動で体勢を立て直した。
 けど速度は緩んで、途端にその背に迫った影に、俺とアカレッドが銃を構えて引き金を引く。
 画一化された外見の、ザンギャックの戦闘員。
 アカレッドの弾がマベちゃん目掛けて振り下ろされた武器に。俺の弾がそれを持つ手に。それぞれヒットして、飛び退いた平らな頭部を持つ影が背後へともんどり打って転がった。入れ替わりで迫る別の足に、武器を持つ腕に、立て続けに弾を命中させる。
 この程度の距離なら外さない。
 この距離なら、近付かなくてもここからの射撃で充分間に合う。マベちゃんを拾ってすぐにずらかれる。
 援護を受けてマベちゃんが駆け出した。
 二百メートル。
 百メートル。
 俺は片手でロープを掴む。末端の輪に足をかけた。
 アカレッドも援護射撃の手は緩めずに、隣のロープに片手をかける。
「バスコ!」
 叫んで、片手を伸ばしたマベちゃんが地面を蹴る。
「ナビィちゃん、上げて!」
 マベちゃんの片手が俺と同じロープを掴む。その背を力任せに抱え込んだと同時、ぐんと急激な上昇が始まった。
 瞬く間に地面が遠ざかって、一気に船へと引き揚げられる。
 遥か足元に集まった敵が、構えた銃の照準を合わせるのも間に合わない速度で。



 全速前進、大気圏外まで逃れて落ち着いて、途端にマベちゃんはアカレッドにこっぴどく叱られた。
 そりゃそうだよね。当たり前。勝手にガレオン操縦して行き先変更して引き返して。
 弱っちいくせに一人で黙って敵ん中に潜入して。
 長くなりそうな説教を尻目に、俺は厨房に引っ込んで三人分の朝食をこしらえる。深夜に叩き起こされてどたばたしての今だから、随分早い朝食だ。
 じゃがいも茹でて潰して、目玉焼きは半熟。ベーコンは厚め。オレンジジュースとコーヒー。パンケーキはマベちゃんだけ一枚多く。
 眠気は今は飛んでるけど食べたら多分眠くなる。けど、どうせ気ままな海賊稼業だ。今日は何の予定もない。昼まで二度寝を決め込めばいい。
「――ならば、次からは、どうしてもと思う事があるなら必ず私たちに相談する事だ。良いな」
 準備して、操舵室に顔を出せば、お説教も丁度終わる頃合いだった。
「この船には、お前の他にも仲間がいるのだから」
 その、いつか聞いたような言葉に俺は戸口でちょっとだけ笑う。
 ああ、聞いたんじゃない。言ったんだ。
 無茶して怪我した、マベちゃんの腕の手当をしながら。
『せっかく仲間なんだからさ』
 自分の出来る事をやればいいじゃないの。
 そんな台詞を。
「……はい」
 すっかり項垂れたマベちゃんが頭を下げたのをきっかけに、開けたドアの内側をわざとらしくノックしてみせた。
「で? ご飯できたけどどうする?」
 室内の三人が揃って振り向いて、アカレッドが頷く。
「ああ、ならばこれで」
「ちなみにー」
 俺は顔の脇で、一本だけ立てた指を振る。
「俺の生まれた星だと、悪さした子は飯抜き、ってのが結構定番だったかな?」
 マベちゃんが「げ」って呻いた。
 ふむ、って頷いたアカレッドの声はちょっとだけ楽しそうだ。
「は? 何だよそれ。俺、ガキじゃねえし」
「奇遇だな。私の生まれた星でもそうだった」
「アカレッド!」
「あ、やっぱそういうのってどこの星でも共通なのかな? 食べ物って一番効果的だもんねー。どうしよっか。一食抜いちゃう? その方が身に染みそうだし」
「バスコてめえ、これ以上余計な事言いやがったら」
「えーとオイラの意見はー」
「黙れ鳥!」
 マベちゃんが手近なナビィちゃんに掴みかかって、ナビィちゃんがその手から逃げる。喜劇みたいなそれに笑いながら、俺は厨房へと取って返した。
 一人と一羽の追いかけっこは、アカレッドの分の朝食をトレイに乗せて戻ってもまだ続いてて、俺はトレイと引き換えにマベちゃんを引き取って二人で操舵室を後にする。
 ナビィちゃんへの文句をぶつぶつ呟いていたマベちゃんは、少しして、俺の右肩をトンって拳で叩いてきた。
 振り向いてその手を見る。
 そこには、マベちゃんが失くしたはずの、赤い石のついたタスクペンダントが絡まってた。
 紐が一箇所切れて、ほつれた両端がぶら下がってる。
 それでも、運良くパーツはばらけていなかったらしい。
「見つかったんだ?」
 紐を握ったマベちゃんの手に、拳を作ってコツンと当てた。
「ああ」
「無茶した甲斐、あったじゃないの」
「まあな」
 マベちゃんが、目の前にそれをかざす。
「これで両方だ」
「え?」
 マベちゃんが俺を見上げてちょっと笑った。
 不敵な感じに。
「どっちも捨てずに手に入った」
 マベちゃんはペンダントを持った手で、右手の袖を少し捲る。そこに巻いた、赤い革と金属の腕輪を俺に示した。
 つまり。
「……え、何。マベちゃん、まさかそのために取り返しに戻ったとでも言うつもり?」
 何かを得るには、何かを捨てなきゃ。
 俺がそう言ったから。
 思わず立ち止まれば、マベちゃんも遅れて足を止めた。
「まあな」
「何それ、馬ッ鹿じゃないの」
 思わず笑う。
「だってそしたら、やっぱり俺が正しかったって事じゃない」
「何でだよ」
「俺が……っていうか、アカレッドが気付かなかったら、マベちゃん今頃死んでたし。俺なんかぜーんぜん気付かず寝てたしね。そのペンダント握りしめて、代わりに自分の命を捨ててたとこでしょ」
 船に向かって逃げてたマベちゃんは、今にも敵に追いつかれそうだった。
 無数のゴーミン。船までの距離。
 あの時俺たちの援護がなければ、マベちゃんの背中には遠からず敵の武器が届いてた。
 ニヤリ、って顔でマベちゃんが笑う。
「でも、来ただろ」
「そんなの結果論だよ」
「難しい言葉は知らねえよ。けど、俺はヤバくなったらお前らが助けに来ると思ってたし、実際そうして助けてくれた」
「……だから」
「だから、お前も、捕まえたいものがあれば言え」
 言葉を被せて、マベちゃんが握った手を少し上げる。示すみたいに。ペンダントを絡めた左手。
「何か捨てる前に言え。二人なら追える数も持てる数も増えるし、三人ならもっと増える。アカレッドも、それにお前も言ってただろ」
 続く台詞は想像がついて、予想通りのそれをマベちゃんが口にした。
「せっかく仲間なんだから」
 は、って漏れた笑い声は、ちょっと投げ遣りな感じになった。
「無責任な事言ってくれるねえ」
「無責任って、お前だって」
「俺が言ったのは、適材適所が大事って話。身の程弁えろって話だよ。何勘違いしてんのさ」
 これみよがしの溜息をつく。
「二人なら追える数が増える? 無理無理。弱っちい俺に弱っちいマベちゃんが加わったところで何の足しにもならないって」
「うるせえな。何だっていい。俺だって今に強くなる。すぐだ、すぐ」
「えー? 信じらんないなあ」
 からかうみたいに言って歩き出せば、すぐに肩を掴まれた。
 そのまま押される勢いで振り向いて、ちょっと怒った感じの、馬鹿みたいにまっすぐな目と視線が合う。
「信じろよ」
 まじめな顔つきで言われてイラっとした。
「信じていい。アテにしろよ」
 人は裏切る。絶対に裏切る。
 自分が捨てなければ捨てられる。
 俺はその事を身をもって知ってる。
 だから裏切られる前に、痛い思いをする前に、失くす前に、失くして辛くなる前に、傷つく前に、大事に思うより前に、捨てられる前に。
 捨てる。それが正解。
 信じろ?
 馬鹿らしい。
 そんな、信じたくなるような真顔で言わないで欲しいよね。
 可笑しくてちょっと笑った。
「凄いなあ。強いね、マベちゃんは」
 言えば、マベちゃんが唇を尖らせた。
「別に、強くねえ」
 ペンダントをズボンのポケットに雑に突っ込んで、マベちゃんが顔を背けるみたいにして歩き出す。
 ちょっと後ろからそれを追う。
「俺、惚れそう」
「っざけんな」
「ほんとほんと。ねーマベちゃん、チュウしてもいい?」
「死ね」
 髪の間から少しだけ見えるマベちゃんの耳が赤い。
 それを眺めて、目を細めた。
 手を伸ばして、マベちゃんの頭を雑に撫でる。外に跳ねる髪は柔らかい。すぐに手を振り払ったマベちゃんが、ほんとは髪を撫でられるのが嫌いじゃないって事を俺は知ってる。
「いつか、ちゃんと教えてあげないとねえ」
 何もわかってないマベちゃんに。
 三人の旅も悪くないけど、レンジャーキーの次の目的はそれにしようか。考えてみたら楽しくなった。
「……何を」
「ひーみつ」
 歌うみたいな口ぶりになった。
 人は裏切るって事も。
 何かを得るためには、何かを捨てなきゃいけないってことも。
 その小さな体に染みるように。
「っていうかさー、朝メシ、もう完全に冷めてるよねえ」
「あ」
「ベーコンの脂、白くなってたら嫌だなあ」
「そしたら火入れろよ。もういっぺん」
「ええ? めんどいなー」
 矛先を逸らした俺に乗って、マベちゃんはそれ以上追求してこなかった。この船に乗ってる奴ら全員隠し事だらけだって、マベちゃんだってちゃんと知ってる。

2013.10.18