プレゼント
日が長い季節とはいえ、稽古を終えれば既に外は暗闇だった。だが住宅が立ち並ぶ街の一隅で、街灯があり、月があり、特に視界に困ることはない。
道場の練習日は週三回。18時半から21時。
今日は居残りもせずに道着を着替えて、稽古仲間である政宗と共に帰路についた。二つ年上。大学生。幸村の良き練習相手だ。別段示し合わせたわけでもないが、いつからか二人で帰るのが当たり前の事になっていた。
居残って稽古を続ける時は大抵どちらかがむきになった時で。
終われば並んで靴を履いて出ることもある。
どちらかが先に出れば外で待つ。
そして、帰り道が分かれる場所までを二人で並んで歩く。
「おい」
今日の稽古の内容だとか、昨日のテレビの話だとか、期間限定のアイスが美味かっただとか、いつものように他愛のない話をしながらしばらく歩いたところで、政宗が幸村の後ろ髪を引っ張った。
勢い、幸村は首をがくんと仰け反らせた。
一房だけ伸ばした後ろ髪、その付け根に反射的に手をやって、目を丸くして政宗を見る。
「な、……いきなり何でござるか?」
「尻尾、ほどけかけてんぞ」
「え」
言われて幸村は足を止めた。髪を結ぶ紐を確かめようとしたが、なぜだか政宗の手に払われて阻まれる。
「あァ、いい。結んでやるから前向いてな」
「いや、しかし」
「いいから。オレがやってやるっつってんだ」
苛立たしげな響きが混じって、幸村は戸惑いながらも大人しく前を向く。途端に、
「OK. いい子だ」
からかう響きで言われて、少しばかり唇を尖らせた。
幸村より年かさの政宗は、事あるごとに幸村を子供扱いしようとする。
たかが二つと不満にも思うが、実際政宗は幸村より顔も言動も随分と大人びていて、大学生と高校生というその差もまた大きい。
「アンタこれ、ゴムの方が楽じゃねえのか?」
纏めた髪の付け根に、政宗が髪紐を引く動きが伝わってくる。
「あるだろ、髪縛る、輪っかになったやつ」
「ああ。そういえば、政宗殿も時折纏めておられるな」
「半端に伸びてるからな。何なら今度、stockひとつ持ってきてやる」
幸村はむうと唸って考える。政宗の持ち物。欲しいは欲しい。けれど。
「……いや、やはり某はこれで慣れておるゆえ」
ふうん、と政宗が呟く。
いつもより近い距離で、その声はまるで頭に直接響くかのようだった。幸村は何だか急に緊張する。
政宗に髪を触られる事はそれほど珍しくない。後ろ髪を引っ張られたり、幼い子供にするように頭を撫でられたり。だが、髪を結わえられるのは初めてだ。
考えて、にわかに顔が熱くなった。
政宗の硬い指が時折首に触れる。その感触。何やら顔が汗ばんで来る。
そういえば今日もさんざんに汗をかいたのだった。髪や紐が汗まみれではないだろうかと、急にそんなことが不安になった。なったところでもう遅いのだが。
最早がちがちに緊張して、幸村は政宗が髪を結び終えるのを待つ。
幾度か紐を強く引かれる。やがて結び終わった様子で、政宗の手が髪から離れた。
「かたじけない」
それを少しばかり惜しく思いながら政宗を振り向けば、
「No problem」
歌うように言う政宗の、どこか悪戯めいた笑みに幸村は息を飲んだ。
細められた隻眼のひかりの柔らかさに言葉を失くす。
とくりと胸が大きく脈打つ。
政宗と知り合ってひと月と少し。最近、そういった事が増えていた。政宗を見て、脈がおかしくなる。ふいに頭の中が白くなる。思考が止まる。どうすれば良いのかわからなくなる。
何かが胸に詰まって、息をするのが苦しくなる。
その症状の名を、恋と呼ぶのだと知ったのは最近の事だ。
知った途端に後悔した。知らなければ良かったと思った。知ったところで幸村と政宗とは男同士で、想いを告げることなど出来はしない。
そんな幸村の胸の内など知りもしない政宗は、軽く片手を上げると背後に一歩後退った。
「じゃ、今日はここでな」
「え」
いつもの帰り道と違う方向に足を向ける政宗に、幸村は思わず声をあげる。
政宗は握った手の親指で道の向こうを指した。
「ヤボ用だ」
「あ……、そ、そうでござったか」
「おう、またな」
政宗は車道を横切り、反対側の歩道をしばらく歩いて角を曲がると姿を消した。少しして同じ角から黒塗りの車が出て来て、街灯と、信号機の灯りを受けながら何処かへと走り去る。
夜目で定かではないが、助手席の人影は政宗のようにも見えた。
幸村は立ち止まり、携帯電話を出して時刻を見る。
21時半過ぎ。
助手席の影が政宗だったとすれば、運転席にも当然人がいる。助手席にばかり目を取られていたが後部座席にも誰かいた可能性もある。いなかった可能性もある。
また息が苦しくなった。
野暮用。
誰とだろう。
こんな時間に。
つい考えてしまい、頭を振った。
幸村の住まいは、築年数の深いマンションの一室だ。マンションと言っても共同玄関やエレベーター、モニタ付きのインターホンなどといったものはない。団地と呼ぶ方が印象には近い。
ただいま、と玄関で声をかけて自室に鞄を放り入れ、幸村はまっすぐにキッチンへと向かった。
幸村の同居人兼保護者である佐助は、幸村が稽古のある日は一人で先に食事を済ませる。それでも幸村の皿はきっちりと準備されており、幸村は戻ってそれを温めなおして食べる。もっとも、こんな時間まで到底腹はもたないので、稽古に出る前に適当に間食は挟んでいるのだが。
味噌汁の鍋が置かれたコンロに火を入れる。茄子と油揚げ。テーブルにはきゅうりの酢の物と山盛りのレバニラの皿があって幸村は目を輝かせる。
居間のソファで雑誌を読んでいた佐助は、キッチンで電子レンジの扉を開ける幸村へと怪訝そうな顔を向けた。
「おかえりー、って旦那何それ?」
「ん? 何とはレバニラだが……まさか食べては駄目なのか!?」
勢い、レバニラの皿を掴む手に力を込める幸村に、佐助が呆れた目を向ける。
「いや、そうじゃねえって。悲壮感漂わせないでくれよ。じゃなくて、何可愛いもんつけてんの、って」
否定に安堵してレバニラの皿をレンジに突っ込んだ幸村は、佐助を見返して眉根を寄せる。
「可愛い?」
「それ。髪、括ってあるとこ」
「え?」
「なんだ、気づいてなかったの?」
幸村は後ろ頭の、政宗曰く「尻尾の付け根」へと手をやる。途端に、何やら手触りの良い薄い布が指先に触れた。布は「付け根」の周囲に幾重にか巻かれ、結び目から両端が下に垂れて、上の方に小さな輪が二つ。
その形状には覚えがあった。さすがに自分につけた事はないけれど。
「リボン、……か?」
「そ。ちょうちょ結び。誰にやられたのさ」
誰か、など考えるまでもなかった。今日幸村の髪に触れたのはただ一人。
「……政宗殿だ、多分」
幸村はリボンを解いて外し、薄い布を両手に持った。艶やかな光沢がある。色は赤だ。
「え、何、あの人そういうキャラ?」
「うむ。悪戯好きな方なのだ」
これを巻いたのが政宗だとすれば、そもそも、髪紐がほどけかけているなどと言った、あそこから嘘だったのだろう。悪戯のためにこんなものをわざわざ用意したのかと、幸村はリボンをしげしげと眺める。それとも、偶々手に入ったことで悪戯を思いついたのか。
「へー意外。ま、確かに旦那はからかい甲斐あるけど」
「どういう意味だ」
「そういう意味ー」
幸村は佐助を睨み、少し悩んで、リボンを指先に巻いて輪に纏めた。携帯電話を取り出し、マナーモードにしたままだったそれのディスプレイを確認する。
政宗からのメールは届いていない。
ならばやはり、特に意味もなくからかわれたのだろう。今度会った時に問い正して抗議しようと考える。
表示されているのは22時近い今の時刻と、今日の日付。
8月3日。
電子レンジが高い音を鳴らしてあたため終了を知らせる。
幸村は携帯電話を閉じ、纏めたリボンをもう一度眺め、ズボンのポケットに静かにそっと落とし込んだ。
初:2012.08.05/改:2013.06.18
伊達さん、誕生日プレゼント勝手に予約。
野暮用は「筆頭の生誕を祝う会」です。朝まで大人数で大騒ぎです。