門番たちの話



「あ、真田の兄さん!」
 竜の居城の大手門を、幸村はいつもの通り顔パスで駆け抜ける。その背中へと、門番の一人が慌てて声をかけて呼び止めた。
 急停止した幸村が振り向けば、がばりと頭を下げたのは見覚えのある顔だ。名は知らない。
「あの、先日、婆ちゃんを助けて貰いました。ありがとうございました!」
 勢い良く述べられた礼の発音は、伊達軍らしく、あざっした! である。幸村が丸くした目に疑問符を浮かべれば、門番は慌てて西の方を指さした。
「ええとこのまえあっちの、西の、あそこんとこの山で、俺の婆ちゃんが猪に」
 しどろもどろになった説明をそこまで聞いて、おお、と幸村は破顔する。
「そなたの身内であったか。足の怪我はどうだ? 癒えただろうか?」
「へい、おかげさまですっかり。ほんとにあざっした!」
 門番はまた勢い良く頭を下げる。それにうむと頷き返し、幸村は今度こそ走り去った。


 その紅い背中を見送って、動いたのは反対側に立っていたもう一人の門番だ。
 持ち場をつつつと移動して同僚との距離を詰める。
「何だ、猪って」
 幸村から遅れること少し、陰形で後を追っていた佐助は、門番たちの会話を耳にしてぴたりと止まった。
「ああ、この前な。うちの婆ちゃんが山で猪に出くわして、通りがかったお侍に助けてもらったって話しててさ」
 せめてお名前をと訊ねても教えては貰えず、ただ二本の槍を携え、長い赤い鉢巻をなびかせた年若いお侍だった、と、煮える猪鍋の様子を見ながら祖母は語った。男の話に、同僚は頷く。
「そりゃ、真田の兄さん以外にねえな」
「だろ」
 隠形のまま佐助も頷く。確かにそれは幸村だ。もちろん側には佐助もいた。仕留めた猪をちゃきちゃきと解体したのは佐助だが、槍の一閃で獣の巨体を跳ね上げた幸村に比べればまあ印象は薄くなる。
「婆さん、怪我っつってたけど……?」
 気遣わしげな声音に男が笑う。
「そんな大袈裟なもんじゃねえ。驚いて逃げようとして、足首を捻っちまったんだとよ」
 幸村が助けに入ったのはその直後だ。
 元来、猪は臆病でそう容易く人を襲うものでもない。だが、その猪は手負いで随分と気が立っていた。
「運が悪かったなあ、婆さん」
「けどよう、通りがかったのが鬼強え真田の兄さんだぞ。すげえ運良くねえか」
「そりゃまあ、確かに」
「それに猪肉捌いて置いてってくれたんだぜ? おかげであの日の夕飯がもう豪華で!」
「そこかよ」
 笑い合う男たちの背後、屋敷の方でドン、と雷鳴が轟いた。坂の向こうへと目をやれば、建物や木々の向こう、遠く火の粉が舞い稲妻が走る。早速手合わせでも始めたのだろう。
 門番たちに沈黙が落ちた。
 いや、仕事中なのだから無言で正解なのだが、何やら物言いたげな沈黙だ。
「……あのよう」
 言葉にするのを躊躇いながら、一人がぽつりと口にした。
「筆頭と、真田の兄さんて」
 そこまで行って、含みを持たせて言葉が途切れる。問われた男は近くに人影がないか確認し、
「…………だろ」
「……だよな」
 うんうん、と、何がとは口に出さずに門番たちは頷き合う。ああまあさすがに気付くよねえ、と佐助はもう一度屋敷の方へ目を向けた。
 人前で大っぴらに睦み合うことはないけれど、二人とも別に隠してはいない。衆道の契りを結ぶのは主従や友人である場合が多いが、好敵手もまた互いへの執着は強く深い。そうなったとて誰もが納得するところで、ただ一国の主と他国の家臣という立場を見れば問題は大アリなのだけれど。
「真田の兄さんと戦り合ってるときよぉ、筆頭、すげえ楽しそうだよな」
 どこかしみじみと一人が言う。
「だな。兄さん強えしな」
「あれで意外と綺麗な顔してるし」
 意外も何も見るからにイケ散らかしていると佐助は思うのだが、『あれで』だの『意外』だのと付いてしまうあたりがあの主の残念なところだ。
「けどよう、顔で言ったらさ」
 男が一際声をひそめて言う。
「最近の筆頭な? まじヤバくねえか?」
 もう一人もガクガクと頷く。
「わかる。凄味っつうか」
「男の色気っつうか? 片倉様と並んだ時の絵面の強さな。マジでやべえ」
「天下取りが顔面勝負だったら圧勝だよな」
「そしたら今ごろ天下の方から獲ってくれって土下座して来てんだろ」
「ッ……! 違いねえ……!」
「あー! 真田の兄さん、武田から鞍替えしねえかな!? 天下も叩頭く伊達軍だぜ!?」
「そりゃ無理だろ、あの人の信玄公一筋っぷりハンパねえし。けど、もしそうなったら筆頭も喜ぶよなあ……!」
 盛り上がる門番たちに、これ以上は聞く必要なしと佐助はその場を離れようとして──弾かれたように元来た方を振り向いた。見れば、鍬を担いだ片倉小十郎が歩いて来るところで、ふいにこちらを見て眉間にきつく皺を寄せた。
 気付かれた。
 間違いなく。
 いや、めちゃくちゃ気配を消しているわけじゃないから気付かれて良いのだが、何を立ち聞きしてやがったと厠の裏に呼び出されて問い詰められそうだ。別に聞かれて話せない内容でもないのだが、面倒だし。あとあの強面に問い詰められるとちょっと怖い。
 失礼するよ、と声にせずに言い置いて、佐助は近付いて来る小十郎から逃走した。
 

2022.04.11