学バサ0214



「やる」
「え」
 ぶっきらぼうに差し出した紙袋を見て、真田幸村は目を丸くした。
 二月十四日。
 バレンタインデーだ。
 固まっている幸村はわけがわからず戸惑っているのだろう。まあ無理もない。その制服の胸に、政宗は早くしろとばかりに紙袋を持った拳をぐりぐりと押し付ける。
「え、え、え、よ、よろしいのでござるか? これを? 某が頂戴しても!?」
「だから、そう言ってんだろうが。アンタにやるって」
「なっ……!」
 日暮れ間近の駐輪場だ。
 他に生徒の姿はなく、自転車もバイクも一台も残っていない。
 このところ、部活の片付けや練習内容のチェックやらで遅くなり、二人が帰る頃にはいつも学園自体にほとんど人が残っていないのだ。故に、特に邪魔の入らない場所と目星をつけた駐輪場に、政宗は幸村を誘導してきた。もちろん偶然を装って、それとなくだ。
「ド、ドッキリの類では」
 あからさまに挙動不審になった幸村は、ふいにきょろきょろと辺りを見回す。
「ねえよ。つうか、何でアンタにそんなもん仕掛ける必要があるよ」
「それは、ええと、ドッキリ動画を脅しに使ってグラウンドの永久的な使用権を」
「いや、しねえって」
「な、ならば、まことに!? 後からやはり気の迷いであったなどと言われても返せませぬぞ!?」
「言わねえって、んな事」
「っ……!」
 まるで国宝級の宝かあるいは爆発物でも入っているかの慎重さで、幸村は紙袋をそっと両手で受け取る。呆然とした顔がやがて緩やかにほころぶのを見て、政宗は密かに満足の笑みを浮かべた。

 事の発端は数日前、偶然耳にした会話だ。
 
 喋っていたのは猿飛だった。
 ──ああ、真田の旦那? 多分あの人今年も、一つも貰わないと思うよ。
 昼の、混んでざわざわとうるさい学食でふいに耳に飛び込んできた。
 バレンタインのチョコレートの話。二月も半ばに近付いて、そんな話題になったらしい。
 愕然とした。
 なんだそれは。
 定食のトレイと胸にもやもやを抱えて、少し離れた席に腰を下ろした。会話の続きは喧騒に紛れてもう聞こえなかったし、オレの内心もそれどころじゃなかった。
 チョコを? 一つも? 貰わない?
 今年も、って猿飛は言ってた。つまり毎年貰ってねえって事だ。
 あり得ねえ。
 あの真田幸村がモテない? そんな話があるもんか。ここいらの女の目はどいつもこいつも節穴なのか?
 まあ、性格はちっとばかし熱苦しいと言や確かにそうだが、顔もcuteなら言動もcute、どこを取っても可愛い上にこのオレと張るcoolな運動神経。サッカー部エース。頭だって悪くねえ。
 それだけ揃ってんのにこれまでチョコのひとつも貰った事がない? No way! 全くもってあり得ねえ。
 そんな事をぐるぐると考えながら飯を食って授業を終えて、いつものようにグラウンドの使用権争いをして、部活をこなして、放課後。ふと我に返れば、チョコレートの専門店から紙袋片手に出てきてた。
 中身は本命丸出しのでかい箱。それでもハート缶を買わなかっただけセーフか。
 NO, アウトだ。
 一体どんなツラして渡しゃいいんだ、オレが! コレを!?
 正気に戻って青くなったが、買っちまったもんは仕方がねえ。そこは適当に理由をつけて押し付けりゃいい。
 男から貰ったチョコだって別に味は変わらねえし、どうせ本気になんか取りゃしねえ。本気だなんて気付くわけがねえ。
 だから平気だ。
 それに、やっぱ多少の不自然を押しても見てみてえんだ。
 甘いものに目がない真田幸村が、イベント日に初めてチョコを貰って喜ぶとこだとか。そういうのを。

 そんなわけで。

「政宗殿が、某に……」
 未だに呆然と呟く幸村に、政宗は居丈高に鼻を鳴らす。
「ま、貰いすぎて一人じゃ食いきれねえからな。小十郎は物がチョコだと戦力にはならねえし」
 と、そういう言い訳を考えた。
 実際政宗はそれなりの数を受け取ってもいる。ただし、thank you部活で食わせて貰うぜと断りを入れて、すべて部員の腹におさまっている。真剣な本命チョコは受け取らない。
 事実も混ぜたこの理由なら不自然ではないはずだ、と自信満々の政宗に、幸村は目を丸くして顔を上げた。
「貰い物……なのか?」
 その、どこか険しい顔に、ふいに政宗はぎくりとした。
 まずい。
 言い訳としては不自然ではない、そのはずだが、今思えば大きな見落としがあった。幸村の性格を考慮していなかったのだ。
 間違えた、と気付いても時遅し。
「…………おう。まあ」
「そうか……」
 紙袋と政宗とを交互に見て、幸村は眉間にぎゅうと皺を寄せる。少し躊躇って、紙袋を持った手を突き出した。
「すまぬ。これは、某が貰うわけには参らぬ」
 やっぱそう来んのかよ!?
 と、政宗は予想通りの展開に慌てふためく。いや、そういう硬いところも幸村の好ましい点なのだが、今は困る。
「あー、いいって。受け取れよ、な? 遠慮すんな真田幸村!」
「しかし、政宗殿に贈られた物でござろう。ならば貴殿が食さずに如何するのだ! 不実であるぞ政宗殿!」
「ッ、……それは、そうかもしれねえけど」
 つうか気付け! こんなでかい箱、ガチの本命サイズだろうが! ってもコイツ他に貰わないから比較のしようがねえのか、Shit!
 内心の叫びを押し隠して渋々紙袋を受け取る政宗に、幸村はふいに困ったような、左右非対称の笑みを浮かべた。
「政宗殿は、数多くチョコを貰うのだな」
「……まあな」
 いや待て、ここはアレか、付け足すべきか。一番欲しい奴からは貰えてないとか、そんな感じのを。それもまた怒られるのか。想う相手がいるのに他からのチョコを受け取るのは不実である! OK. 想像できた。
 ぽつり、と幸村が呟いた。
「某は、己が不甲斐のうござる」
「Ah, あのな、真田。チョコの数くらいでそんな大袈裟に」
「女子たちが斯様に果敢に告白に挑んでいるというのに、某は変化を怖れるばかりで動けず。まこと不甲斐なし……!」
 何やら猛省している幸村は、ふと、何かを思いついた様子でカバンを開けた。中をがさがさと探り、小さな平たい箱をひとつ取り出す。真っ赤なパッケージ。どこのコンビニでも見かける普通のチョコだ。
「政宗殿」
「お、おう?」
「準備もなかったゆえこのような持ち合わせだが、某の気持ちにござる」
 ぽん、と手に乗せられたチョコを政宗はぽかんと眺めた。
「では」
 頭を下げた幸村はそのまま小走りで校門の方へと去って行く。政宗は残された二つのチョコを眺めて呆然とした。
 よくわからない。
 何でこうなった。
 チョコを渡そうとして、なぜか逆に貰ってしまっている。
「つうか、気持ちって」
 幸村にとってはそれほど嬉しかったという事か。
 余り物(という設定)のチョコを押し付けられそうになったくらいで、そんな。
「大袈裟にも程があるだろ……」
「え、嘘。伝わってねえじゃん」
「ッ!?」
 唐突に背後から顔を出した佐助に政宗は飛び退く。
「猿、テメエいつから……!」
「そりゃ最初から。ねえねえそのお高いチョコ、自分で買ったやつでしょ?」
「は!? な、何言ってんだそんなわけ」
 動揺する政宗に、佐助はチチチと舌を鳴らす。
「新聞部の情報網、ナメて貰っちゃ困るぜえ? なーんて、俺様が偶然見かけただけだけど。あ、もう要らないなら俺様それ貰おっか?」
「NO! テメエにくれてやるならゴミ箱にダンクした方が百倍マシだ」
「うわひでえ。こんな優しさの塊に対してその冷たい態度」
「誰が……」
 優しさの塊だ、と言いかけた政宗は、佐助の、顔の前に指を一本立てる仕草を見て口をつぐむ。
「あのさ、あんまり真田の旦那がかわいそうだから優しい俺様が教えてやるけど」
 佐助の表情はいつもの人を喰ったような笑顔だが、その中に真剣さを見て取れる程度には政宗も付き合いが長い。
「あの人、高校に入ってからチョコとか差し入れとかそういうの受け取ってないのね。理由は何と、『好きな人がいるから』」
 政宗は目を丸くした。
 そういう意味か、と納得する。
 学食で佐助が言っていた「貰わない」。あれはモテないのではなく、「受け取らない」ということだったらしい。
 紛らわしい。
 というか。いや、そんな事よりも。
 佐助はさらりと凄いことを漏らしはしなかったか。
(真田に?)
 好きな奴が。
「……ふうん」
 その可能性について思いを巡らせた事はあるけれど、多分きっと真剣には考えていなかった。
 好きな女。
 そうか、いるのか。
 政宗は口を曲げる。
「つうか、そういうの、アイツのいねえとこで勝手に言っちまっていいのかよ。別に言いふらすような真似はしねえけどよ」
 それに政宗としては、真田に好いた相手がいようがいまいが関係ないのだ。いなかったとしても、所詮は男同士。自分はそもそも対象外だとわかっている。
「え、鈍っ」
 佐助は口元に手を当てて驚いてみせた。そのわざとらしい仕草に政宗は苛立ちをのせて睨みつける。
「あァ? 何が」
「言いふらすも何も、旦那自身がそういうの断るとき相手にちゃんと言ってんの。好きな人がいるからってさ。あとは自分で考えなよ。もう、貰い物だとか余計なこと言わなきゃ良かったんだよ。あとアンタ自分で思ってるほど隠せてねえし。んじゃオレ様、真田の旦那と待ち合わせしてるからこれで!」
 言うだけ言って、佐助は幸村が消えた方へと逃げるように走り出す。
「何だァ、猿の野郎……?」
 考える間も与えないような畳みかけに眉根を寄せた政宗は、両手に持ったチョコを見た。
 幸村から貰ったチョコ。
 幸村が受け取らなかったチョコ。
 佐助は何と言っていた?
 あとは自分で考えろ、貰い物だとか余計なこと言わなきゃ良かったんだよ、と。
(──そういや、アイツ)
 幸村は驚いていた。よろしいのでござるか、と、一度は受け取ったのだ。もう返せませぬぞと。
 好いた相手がいるから受け取っていない、そう佐助は言っていた。大袈裟なほどの驚き様は、これまでチョコを差し出された事がないからではなかった。
 そして政宗からのチョコを受け取った。
 ──政宗殿が、某に。
「は?」
 まさか、と考えてすぐに打ち消す。
 都合が良すぎる。
 そんな事があるものか。
 けれど。
 ──某の気持ちにござる。
 勢い良く顔を上げれば、佐助の後ろ姿はまだ辛うじて視界にある。
「Shit...! 待ちやがれ、猿!」
 叫べば、遠くで振り向いた佐助は政宗に向けておどけたように手を振った。それに鋭く舌打ちをして。
「テメエ、真田との待ち合わせってどこだ……!」
 政宗はチョコを鞄に押し込んで地面を蹴る。幸村の居場所を聞き出すべく、猛然と佐助の背を追いかけた。
 

2022.04.10