ゆきのひ
きんと空気の冷える夜だった。
偶々城に滞在していた幸村を殊更離し難く思う寒さ。
けれど布団に入ってしまえば二人分の体温でとろけるように暖かく、幼子を寝かしつけるように髪を梳く手も心地良い。政宗は目を閉じて、されるがままその感触を満喫していた。
だというのに、その手が止まった。
「政宗殿、雪ではござらぬか?」
問われて、不機嫌に重い瞼を持ち上げる。
そんなわけがない。雪が降るにはまだ早い。
「……雪?」
否定の響きを含ませて短く返した。
確かに寒いは寒い。このところ穏やかな陽気が続いていたのに、昨日から急に冷え込んだ。ひと月ばかり時間を進めたような寒さだが、雪を見るような時期ではない。
視線を上げれば、幸村は庭に面した障子へとじっと目を凝らしていた。まるでその向こうを透かし見ているかのようだ。
そんな事より自分を構え、と長い後ろ髪を掴んで引けば、ようやく政宗を見た幸村がにこりと笑った。
「見て参る」
政宗気に入りの可愛らしい顔は、あっさり布団を這い出てしまう。
否定の響きは届かなかったようだ。仕方なく腹這いになって組んだ腕に顎を乗せ、政宗は戸口に向かう幸村を眺めた。
見張りを残して、皆寝静まっている時刻だ。
政宗の部屋だけはまだ行灯が赤く燃えている。
庭に続く障子を細く開けた幸村は、やはりと小さく呟いた。
「こちらは雪の降るのが早うござるな!」
凍った空気が吹き込んで、幸村の声は口元でほわりと白く染まる。
「……Really?」
本当か、と目を凝らすが隙間が細すぎて布団の中からは見て取れない。幸村が振り向いて言う。
「もう少し開けてもよろしいか?」
頷けば、引き開けられた四角い闇から大粒の雪の舞うのがようやく見えた。
政宗はひゅうと口笛を吹く。
「Great. すげえな」
「まことに」
「ここに暑っ苦しいのがいるってのに、よく溶けずに落ちてきたもんだぜ」
「……そっちの意味でござるか?」
政宗はふわりと大きく欠伸をする。
同時に、吹き込む冷気に少し身震いした。
「さすがに降らねえぞ、こんな時期には。まだ畑の雪避けもしてねえだろうし、積もったらちっと面倒だな」
言いながら自分の脇、幸村がいた場所をぽんぽんと平手で叩く。
「あ、すまぬ」
幸村は隙間なく障子を締めるとまた政宗の隣に潜り込んだ。
「ところで政宗殿」
「ん?」
「某が居たとて天候に影響は出ませぬぞ。上田にも雪は降りますれば」
「I know. わかってる」
冷気を纏って戻った幸村は、すぐに布団に馴染んで暖まる。その体を引き寄せて政宗は暖を取った。冬の間じゅう手元に置いておきたいくらいだが、今だけの贅沢だ。
今夜限りの。
「──あ?」
声が漏れて、幸村が身動ぐ。
「……如何なされた?」
「いや、アンタこれ、積もったら帰れなくなるんじゃねえか?」
今回、一泊だけの予定で幸村は奥州を訪れている。
都合がつきそうだ、叶うならお会いしたいと連絡があり、政宗も時間を作った。
今日の昼前に着いて明日の午過ぎには発つ。
けれど、道が雪に塞がれてしまえば話は別だろう。
「そうでござるな……。もしそうなれば、空を行きまする」
「空?」
事もなげに幸村が言って、政宗はぱちんと瞬きした。
空。真田。考えて、大きな鴉に捕まり移動する影が浮かぶ。
「忍か」
「うむ。凧か、鴉か。風向き次第なのだが、降り止んでさえいればどうにか。ご心配には及びませぬ」
「……Han, なるほどな」
それではどれほど降り積もろうと滞在が延びる事はないのだ。
と、幸村の腕が政宗の体に回された。
ぎゅうと抱きしめられて顔を上げれば、幸せそうに笑み崩れた幸村と視線が合う。
政宗は唇を尖らせた。
「……なに喜んでやがる」
「嬉しゅうござれば、つい」
「別に心配したわけじゃねえぞ、オレは」
「うむ」
睨みつけるが、幸村は満面の笑みだ。気に入りの顔ではあるが今は憎らしい。
柔らかな頬を摘んで引っ張った。
む、と唸った唇に緩く噛みつけば、抱き込まれて逆に唇を重ねられる。重ねた隙間に小さくぼやいた。
「……アンタがいねえと、布団が寒ぃんだ」
舌を誘う。絡ませる。
さっきまで幸村と繋がっていた体がまた疼く。
無言で触れ合ううち、外からぽそぽそと雪の降り積もる微かな音が耳に届いて、政宗は顔をそちらへ向けた。
「……積もってきたな」
「うむ。雪かき、お手伝い致す」
「ま、積もって、降り止めばの話だ。なあ、真田」
「む?」
「あと一回くらいイケるだろ?」
最後は声を潜めて囁いた。
よろしいのでござるか、と掠れた声が言う。政宗はその髪をぐしゃりとかき混ぜた。
2020.11.30