追跡!真田幸村その後
「大谷殿」
閉め切った室内で、幸村はあぐらの膝に置いた両手を固く握った。
陽は傾き始めたがまだ眩しく、部屋の外と内とを隔てる障子が照らされて白い。目を伏せた幸村の表情は硬く曇っている。
「此度の縁談、まこと身に余る光栄なれど、……なれど、それがし……、ッ!」
握った拳を床板にドンと叩きつけ、幸村は顔を上げた。
「それがしには! 伊達政宗殿という心に決めたお方がおり」
「はい駄目ー。やり直し」
幸村の向かい、言い募る主の言葉を遮って、佐助が両手をパンと叩いた。
「何故だ、佐助!?」
「だーかーらー、そこまで言う必要ないんだって。外で誰かさんに言ってたみたいに、自分にはまだ早いからお断りします、だけでいいの!」
俺様最初にそう言ったじゃないの、と佐助は呆れて主を眺める。
二人が向かい合っているのは、大谷が大阪での滞在にと幸村に用意した屋敷、その一室だ。たいそう気の合いそうな娘がいるから会ってみないかと、呼び出しに応じてみれば大谷の用件はそれだった。
縁談。
佐助も驚いたけれど、主の狼狽ぶりときたら凄まじかった。会談の場から逃げ出して、逃げて逃げて、それでも何とか礼を欠かぬよう断らねばとじたばたして。そして結局、見合い自体を事前に断る方向で落ち着いたのだ。
しかし再度の会談の前に、この主の不審な挙動をどうにかしたい。そう考えて練習させてみれば、案の定、幸村はうろたえるままに余計な情報を放り込もうとする。
「し、しかし礼を尽くすからには、それがしのまことの心の内をお話しせねばならぬだろう」
「真っ正直もほどほどにね。第一、『左様か。だがぬしの想い人が男なれば、嫁を娶るに何の支障もなかろ』──とかね、言いそうじゃないあの人? そしたらどうすんの?」
「む……」
「嫁、貰うの? 別にそれでもいいんだけど。むしろそっちのがいいんだけど」
「否! それはあり得ぬ!」
「そんなきっぱり否定されると俺様複雑……」
それにしても、見合い話ひとつ断るだけだ。それでどうしてここまでうろたえるのかと佐助は思う。もっとも相手は大谷だ。礼を尽くすのは間違っていないけれど。
幸村はがくりと項垂れた。
「縁談の相手が政宗殿であれば勇んで参るというのに……」
「はいはい、叶わない夢は置いといて」
「いや待て、佐助」
今度は勢い良く顔を上げる。真顔で言った。
「縁談の相手が政宗殿という可能性もあるのではないか?」
「ねえよ」
突飛な言葉に、佐助は短く切り捨てる。
「しかし、大谷殿は俺と気の合う御仁と言っていたのだぞ?」
「気の合いそうな娘、ね。娘」
「娘か。……まさか、政宗殿が魅力的に過ぎて、女人と思い違いをされているのでは……」
「いや、娘って大谷の娘って意味じゃないの!? 第一、顔だけなら真田の旦那よりよっぽど男らしいっての、あのお人は! どんな目してたら間違えるのさ」
幸村は神妙に頷いた。
「うむ。政宗殿の顔立ちは実に精悍で美しく、そしてどこか儚さのようなものを併せ持っておられる。眼を覗けば吸い込まれそうな心地がするし、しかしまぶたを閉じた寝顔であっても一晩眺めても飽きぬのだ。不思議だとは思わぬか、佐助?」
「ねえ、惚気に繋げるのやめて?」
幸村は深く深くため息をつくと呟いた。
「お会いしたい……」
徳川家康の台頭と、それに伴う勢力図の目まぐるしい変化。元々逢瀬の機会などそうなかったものが、一層難しくなって久しい。
「そのうち嫌でも会えるでしょ、血生臭いとこでさ。さ、寝言はそのくらいにして、ちゃちゃっと断ってきましょ」
佐助は障子の引手に手をかけながら言う。
「大谷の前に行ったらほんと余計なことは言わないでよね。打ち合わせの通り、とにかく短く簡潔に」
部屋の障子を開けた。と同時、ぱりんと空が割れる音がした。
「あ」
「げえ!?」
ドン、と晴天を裂いて雷が落ちた。
落雷の衝撃に思わず閉じた目を開ければ、目の前に、愛馬に跨り腕組みした独眼竜・伊達政宗が、まるで幻術のような唐突さで出現していた。
「政宗殿!?」
幸村が目を輝かせる。
政宗は不機嫌全開の表情で、パチパチと青白い火花を纏わせながら、ひらりと地に降り仁王立ちした。
「よーう真田幸村ァ。随分と機嫌が良さそうじゃねえか……」
声は地を這うような低音だ。
これは縁談の話が耳に届いていると、佐助は指折り計算する。昼前の縁談を忍か誰かが何らかの方法で奥州まで伝えて、それから政宗がここまで移動して、今はようやく日が傾き始めた時刻。
「ええ……? いくら何でも情報掴むの早すぎじゃない……?」
馬を見ればいつも通りの涼しい顔で、実はたまたま三河あたりに滞在していたとかそんなオチであって欲しいと願う佐助である。
「SHUT UP! 偶然近くに来たから立ち寄ってやったまでだ。他意なんざねえ、You see!?」
「いやいや、見合い止めに来たんでしょ? 素直にそう言やいいのに」
「HA! テメエんとこの主がどこの誰と見合いしようがどうでもいい。オレには一切関係ねえ話だ、なあ真田幸村!」
「その割にすんげえ雷落ちてんだけど、まさか自覚ない?」
腕組みする政宗の後ろでは稲光が幾筋にも光り、次々と雷が落ちている。その地獄のような光景がまるで目に入っていないかのように、頬を紅潮させた幸村は満面の笑みだ。
「うむ、丁度断りに行くところだったのだ。政宗殿、暫しお待ち頂けるだろうか?」
ぱちん、と、最後の火花が散って消えた。
政宗は不機嫌な顔のまま腕組みを解き、腰に片手を当てると「少しならな」と答えた。
「まことでござるか!?」
「だから、少しならっつってんだろ」
「承知した、少しでござるな!」
幸村は草履をつっかけ、庭に下りた。政宗の手を取り両手で握る。
「お会いしたいと願ったら、こんなにも早く叶ってしまうとは……。嬉しゅうござる。すぐに戻りますゆえ」
「……おう」
「佐助、すまぬが政宗殿に茶を頼む!」
「はいはいっと。あー、あのさ旦那、お断りの方を後回しにするのもまあアリじゃないの?」
「いや、心を軽くして政宗殿と向き合いたいのだ。行って参る!」
雄叫びをあげながら厩に駆けて行く幸村の、六文の背を二人は見送る。固まっていた政宗は、やがてどかりと濡れ縁に腰を下ろした。佐助は馬の手綱を取って茶色い毛並みの頬を撫でる。
「んーじゃこの子にお水と、ついでに独眼竜の旦那に茶ーと、あ、そうだ井戸に梨が冷やしてあったんだ。食う?」
「野郎が戻ってからでいい」
「へいへい」
空は、先ほどまでの荒れ模様が嘘のような晴天だ。
政宗がふと、今さっき幸村がしたような深い深い溜め息をついた。兜を外して髪を掻く。
「久々に見ると、クるな……」
So cute、と呟いた言葉の意味はわからないが、わからない方が良いんだろうと、馬の手綱を引きながら佐助は思った。
2020.09.17
バトパ、追跡!真田幸村ネタ。