終わりにして始まりの戦い

 姿が見えぬと探しに出て、最初に見上げた櫓の上に幸村はいた。腕組みして夜空を眺めるその姿に、案の定、と思って佐助は少し笑う。
 佐助の主は高い場所を好む。
 幼い頃からそうだった。
 木の上や、塀の上や、果ては城の屋根にまで上っては家人の肝を冷やしていた。木の天辺に休む佐助を目聡く見つけては自分もそこに行くのだと、幹に縋り付いて羨ましがるようなそんな子供だった。
 梯子を掴み見上げる空に月はない。
 暗闇でも動くに差し支えない忍の目だが、今は城のあちこちに篝火が焚かれている。その灯りを頼りに、近隣の村から募った作事の衆が柵を直し、櫓を直し、手の空いた者はまだ作業を終えていない所へと忙しく駆け回る。梯子を登りながら振り向いて、佐助は篝火に浮かぶ上田の城、その懐かしさに目を細めた。
 かつて幸村が主から預かった城。
 そして、一度は敵の手に渡った城だった。
 川中島の戦いで武田軍は伊達軍に敗北し、幸村は身一つになって落ち延びた。長年の潜伏の間に力を蓄え、機を待って、伊達の配下が守っていた上田城を奪還したのは一昨日のことだ。
「旦那」
 櫓に上って声をかける。
「もうすぐ終わりそうだぜ。この分なら、あと半刻もすれば全員帰せる」
「そうか」
 振り向いて頷く幸村の顔は、このところ随分と大人びた。急激に、と言って良い。年のせいか境遇のせいか。精悍になったと改めて感じながら、佐助は幸村の隣に立つ。並んで立てばその目線は、佐助の僅か上にある。
 体格はそれほど変わっていない。食事の貧しさも手伝って相変わらず細いままだ。だが以前とは――武田が在った頃とは明らかに違う、落ち着いた、芯が通ったような逞しさを備えていた。静かに笑う頬の線から幼さが消えたのはいつの事だろうと、主の顔を眺めながら思い出そうとしてもはっきりとはわからない。
「遠い者が帰路、夜盗などに襲われぬようくれぐれも頼む」
 言って、幸村はまた空を見上げた。
 あまり騒がなくなった。
 笑わなくなった。
 泣かなくなった。
 思慮深くなったと評されるそれを、物悲しいと感じるのは或いは自分だけかと、考えるとき佐助は言いようもない孤独を感じる。この上田の城を預かっていた頃と寸分変わらないのは、戦場で狙えと言わんばかりの無防備な赤備え。首に提げた六文の銭。
 そして。
「ほんとに来るかねえ?」
 ふいに去来する感傷を打ち消すように、佐助は口の端を上げて幸村を見た。
「来る」
 短く、幸村は断言した。
「天下人だぜ?」
「それでもだ。天下人となろうとも、政宗殿は必ず来る」
 幸村の言葉は揺るがない。

 ――伊達政宗が、日の本すべてをその支配下に置いたのはつい先頃の事だ。

 上杉領への侵攻を皮切りに天下獲りへと動き出した伊達政宗は、まさに竜の雲を得る如し、日の本の東半分を呑み込んで、九州・四国を軍門に下し、そこに時が味方した。
 本能寺で信長が明智光秀に討たれ、戦で疲労した明智軍へ向けて豊臣秀吉が動いた隙に、政宗は中国の毛利と手を組んだ。そして山崎の戦いに勝利した明智光秀を東西から囲み攻め潰した。
 天下人の誕生を、幸村は潜んでいた真田の忍び宿で知った。
 伊達軍との戦いで負傷し、敗走した幸村を、忍軍が匿い長い時をかけてその傷を癒した。傷が癒えてからは、床に臥せっている間に鈍った幸村の体に戦の勘を取り戻させるための訓練に明け暮れた。幸村がそう望んだ。そして幸い伊達の手の者に居場所を知られる事なく数年を過ごし――或いは端から追っ手をかけていなかったものか――兎も角、天下人誕生の報せに、幸村と真田忍はごく少数で上田の城を攻め落とした。
 真田幸村ここにあり。
 政宗に向けて、その狼煙を上げてみせた。


 ついにその手に天下を掴み、それでも、自分が動けば伊達政宗は来る。幸村はそう信じて疑わない。
 そして佐助も、混ぜ返しながらも、主の言葉通りになると考えていた。
 だが、今や天下人となった政宗を討ち取ったところで、幸村がその座に就けるわけではない。束ねる者を失って、纏まりかけた世は再び乱世に戻るだけのことだ。そしてそのふたたびの乱世の始まりに、味方もなく、疲弊した真田はまず真っ先に狙われるだろう。
 それでも行く、自分一人で構わない。
 約束した戦いに行かねばならぬのだと、幸村は言った。
 それに真田忍が付き従った。離れよと主が命じたところで聞く者はない。そうできるならばこんな所まで付いてきていない。
 見上げた空は深い藍色だ。満天に星。その下に流れる薄い雲。
「月は、何処へ行ったのであろうな」
 夜空を見上げたまま幸村が言う。
 佐助は少し笑って東の方角を指差した。
「そりゃ、地上でしょ。あっちの方」
 言えば、幸村が驚いた様子で振り向いた。すぐにゆっくりと笑みを浮かべてひとつ頷く。
「……そうだな」
 笑みを返して、佐助はひらと片手を振る。
「んじゃ俺様、もうちょい下の手伝いしてくるんで。旦那も適当なとこで休んでよ。いざってときに寝不足で満足に戦えないなんてごめんだぜ」
「ああ」
 そうして梯子に足をかけて、佐助は、幸村の目が今度は空ではなく下へと向けられているのを見た。
 陽光弾く孤月の前立て。
 まだ見えないそれを探している。
 長、と呼ばれて佐助は一息に地面へと降りた。
「柵を任せていた村の者たちを返します」
「うん。護衛と、報酬も言った通り弾んどいてよ。伊達と交えたら、壊れたとこの修繕また頼むからね」
 短く答えて部下が闇に姿を消す。
 それから、と佐助も次の指示を出しに地を蹴った。思いつく限り、可能な限りの備えを。
 どれほど望みが薄くとも、死なせるつもりなど毛頭ない。

2020.09.07
バトルヒーローズ蒼穹50ネタ。クリアした直後に途中まで書いて止まってたやつです。