元親一章に真田乱入編

 その日、政宗は一枚の報告書を受け取った。
 甲斐の――というより主に真田幸村の偵察に放っていた黒脛巾衆のひとりが、山奥で発見したという武田の修行道場について調べ書き記したものである。
 その道場では、主に一対多での訓練が行われているのだと、報告には書かれている。
 百の漢の荒波に揉まれる『百人組手』。
 床一面が巨大な剣山の如き仕掛部屋で打ち合う『針山修行』。
 床下からせり上がる達磨を相手に反射神経を鍛える『達磨叩き』。
 等の過酷な試練が用意されており、別名を、
「武田漢祭……?」
 と言うらしい。
 政宗は半眼になって報告書を眺め、渋い物を口に入れた時のように顔を歪めた。
「Uh, ……ったく、ワケわかんねえな、あそこは」
「同感です」
 呟きに、報告書を挟んで対面に座していた小十郎が深く頷いて同意する。
 精強と世に名高い武田の部隊。
 その兵たちがどのようにして訓練されているか、という本来興味深いはずの報告なのだが、その内容が針山修行であり達磨叩きではどうにも言葉が出なかった。
 報告には他にも、近頃では野外合宿も組まれているだとか、「休日は針山修行に限りますなあ(家臣何某談)」だとか、補足を読みながら小十郎の頭の中に浮かぶのは馬鹿かテメェらという素直な感想である。もっとも、伊達軍とて傍から見れば珍走団もどきの十分わけのわからない集団なのだが、そのあたりについてはあまり自覚がない。
「ん?」
 ふいに、紙面を眺めて顎をさすっていた政宗が声をあげた。
「野外合宿っつうと、あん時のあれか……?」
 記憶を探る様子で独りごちる。
 耳にして、小十郎は片方の眉を跳ね上げた。
「政宗様」
「おう」
「それはいつの話ですか」
 政宗の表情が心なしか強張った。
 その僅かな変化に動揺を読み取って、小十郎は背筋を伸ばし、両手をきっちりと膝に置いて、視線を合わせようとしない主をまっすぐに見る。
「ん? ……あァ、いつだったか」
 報告書には野外合宿が行われるようになったのは最近の事だと書いてあり、小十郎の把握する限り、政宗が幸村に会いに行ったのは半年ほど前のことである。どの程度の期間を最近と呼ぶか、それは話の内容によっていくらでも変わり定義できるものではないが、
「また、小十郎の居ぬ間に甲斐に行かれたのですな?」
 問えば、政宗が口元を曲げた。
「……おう。まあ」
「行かれたのですな?」
「あァ、ちっとな、真田の顔見て来ただけだ。そう怖え顔すんなよ、小十郎」
 気まずそうに言う政宗の顔は、隠し事がばれた子供そのままの表情である。
 聞き流されるとわかっている説教であっても、しなければ箍が緩む一方だ。溜息して小十郎が口を開きかけたその時、筆頭、小十郎様、と叫ぶ声が屋敷に響いた。小十郎は応えて廊下へと出る。
「どうした!」
 まろぶようにして回廊を駆けてきた部下が一人、どれだけの距離を走ってきたものか肩で息をして、小十郎を見るとその場に片膝をついた。
「ヤバいっす! 沖に、でけえ船が」
「船? 数は!」
「一隻! 帆に、紫色の植物紋が。誰かが長曾我部の船じゃねえかって」
 室内で政宗が目を瞠り、立ち上がった。



「一緒に宝探しといかねえか? 竜の兄さんよ」
 幅六間ほどのやや古びた軍船。風に張った大小の帆に、七つ片喰の紋。
 敵意がない証として手勢を全て船に残し、碇槍ひとつを担いで単身奥州に上陸した長曾我部元親は、政宗を見るなりそんな事を言い出した。
「オレを? 船に?」
 真っ先に顔をしかめたのは政宗ではなく、傍らに付き従っていた小十郎だ。なにしろこのところ奥州では何かと騒ぎが続いていた。先達てなどは子供が来て、政宗の兜の前立てが欲しいと駄々をこね、弓を振り回して暴れてくれた。
 そして今度は海賊の勧誘。
 独眼竜の名が知れ渡るのは喜ばしいことだが反面本当に考えものだと、距離を置いて対峙する元親へと苛立たしく息を吐く。
「政宗様、このような賊は即刻追い返すが良ろしいかと」
「まあ待て小十郎」
 太刀の柄に手をかけた小十郎を政宗は片手で制した。元親へと、傲岸に顎をしゃくって続きを促す。
「ワケを聞こうか、西海の鬼」
「さすが、話がわかるじゃねえか、竜の兄さん」
 元親は喜色を浮かべ、肩に担いだ碇槍を揺らす。槍に繋げられた太い鎖がじゃらりと揺れて重い金属の音を立てた。
「あんた、随分目が利くって話じゃねえか。異国の事情にも詳しいんだろ?」
 問いに、政宗は無言で肩を竦める。
「うちの野郎どもは海とからくりに関しちゃ優秀なんだが、目利きの方は今ひとつでな。けど、海でも陸でも目利きなしには進めねえ」
「Humn?」
「目利きが欲しい。かといって、目が利くだけの堅物なんざ願い下げだ。陸に顔が利いて、奔放な奴がいい」
 政宗は楽しげに隻眼を細めて元親を見る。
 政宗の傍らでは小十郎が、静かに額に青筋を浮かべている。
「それでオレを?」
「おうよ。あんたなら立派な海の荒くれになれる。釣っておく価値が」
「ならぬうううううううううううううあ!!」
 元親の声を掻き消して、ずどん、と何か赤いものが、きりもみしながら政宗と元親の間に落ちてきた。落下の衝撃で地面が派手に抉れ、いちめんに土煙がもうもうと立ちのぼる。
 それが晴れた後、大きく陥没した地面の中央には片膝をついた赤い物体。
 火を噴く槍を二本携え、白い下衣には炎の文様、着地の反動で跳ねた首の六文銭が金属の打ち合う音を響かせる、赤い物体というか明らかに真田幸村である。
 常識外れな闖入者に元親が目を瞠る。
「誰だ、あんた……?」
「某、真田幸村と申す者!」
 答えるなり幸村は、長い鉢巻きを靡かせながら駆けて、政宗の左脇へと陣取った。
「真田……? あー、何か、聞いた覚えがあるようなねえような」
「旗印は六文銭! 見知りおけい!」
「おい小僧、テメェ今どっから……」
「上からでござる片倉殿!」
「つうか、アンタ、何でここに」
「好敵手の危機には駆けつけるが漢なりぃ!」
 歯切れ良く答える幸村だが、どれもあまり答えになっていない。
 幸村は眼光鋭く元親を睨み付け、片手の槍を胸の前へと突き出した。
「退かれよ、海賊殿! 政宗殿は伊達の名士! そのような戯けた誘いには決してぐおっ!?」
 刀の柄頭で後頭部をどつかれて、幸村は大きく前へと仰け反った。
「何をなさるのだ政宗殿!?」
「現れるなりうるせえんだよ。テメエが退いてろ、真田幸村」
 政宗は片手で幸村の上着の襟刳りを掴み、力任せに背後へと下がらせる。
「おい。気にせず続けな、西海の鬼」
「いや、続けろって言われてもよ」
「政宗殿! 斯様な賊の言葉に耳を傾けるなど」
「いいからちっと黙ってろ。よりにも寄ってこの独眼竜を海賊の仲間にscoutしようってんだ、伊達や酔狂じゃねえんだろうさ」
 元親を見据える政宗は、その言葉に幸村の顔つきが変わった事には気付かない。
「な……っ! 伊達や酔狂でなければ考慮すると申されるのか!?」
「Ah, まァ、そりゃこいつの」
 襟刳りを掴んだままの政宗の腕が、ふいに熱い手に捕まれた。
「ッ!?」
 強い力で腕を引かれ、体勢を崩した政宗が平衡感覚を失ったと同時、
「御免!」
「あ!? おい、真田!?」
「政宗様!」
 政宗は米俵か何かの荷物のように、幸村の肩に担ぎ上げられていた。
 幸村は毅然と顔を上げ、面食らう小十郎と元親を順に見ると高らかに宣言した。
「海賊に渡すくらいならば……伊達、政宗殿、この真田源二郎幸村が貰い受ける!」
 そして肩に担いだ政宗の腰をがっちりと支え、次の瞬間、脱兎の如く走り出した。
「待て、止まりやがれ真田幸村!」
 政宗は幸村の上着の布地を掴み足をばたつかせるが、担がれた状態では暴れるにしても限度がある。抵抗虚しく、そのまま何処かへと連れ去られてしまった。
 残された元親と小十郎は、暫し二人の去った方角を呆然と眺め。
「ありゃ、何だ? おい、あんたんとこの部下ってわけじゃねえのか?」
 訝しげに呟いた元親に、簡潔に説明する言葉が見あたらず、小十郎は眉間に皺を刻む。
「帰んな、長曾我部元親」
 言えば、元親が片眉を跳ね上げた。
「そう言われて、この俺が素直に帰るとでも? 竜の兄さんの答えだってまだ聞いてねえんだぜ」
「政宗様の答えは聞くまでもねえ。否だ。それでも帰らねえというなら、政宗様に代わってこの小十郎が相手をしてやる。海の藻屑と消える覚悟がテメェにあるならな」
「へえ? 面白え」
「……それに」
 すぐに自力で戻って来るだろうが、と、小十郎は溜息を吐いた。
「この機に伊達の宝を奪おうってんなら、それこそ無駄だ」
 政宗と竜の爪。奥州の至宝。
 その二つとも、今は暴走した幸村によって持ち去られているのだから。


 追っ手がかかったとしても目が届きにくい山中に踏み入って、十分な距離を稼いだと判断したところで、幸村は肩に担ぎ上げていた政宗を下ろした。
 ようやく足裏に感じた地面の感触に政宗が安堵する間もなく、幸村はその体を手近な木の幹に、全身を使って押しつけた。
「……ッ、待て、真田!」
 木に抱きつかせるようにして押し付けた政宗の、腰に腕を回して尻を後ろへと突き出させる。蒼い陣羽織を捲り上げ下衣の紐を雑に緩めて力任せに腿の半ばまで引き下ろし、下帯も強引に下へとずらす。
「く、……!」
 幸村は唾液で濡らした指を一本、政宗の中へと一息に埋めた。乱暴に穴を掻き回して、広がった隙へとすぐに指を増やして挿れる。
「おい……ヤるのは構わねえが、ちっと落ち着け。オレはあの野郎の仲間になるつもりなんざねえって何度も、ッ! ――――!!」
 口付けもなく愛撫もなく、乱暴に慣らしたのみで幸村は背後から強引に押し入った。
 無理な挿入に、政宗が細く悲鳴を上げる。それにも構わずに、幸村は腰を動かして、楔を打ち込み縫い止めるかのように奥へ奥へと体を進める。
「あ、あ、っ……く、あ」
「貴殿が……海賊になるなど、天下を諦めるなど、某は……!」
 弾む息の合間、声を詰まらせて、幸村は顔を寄せた政宗の首筋へと苦しげに訴える。
「な……待てって。らしくねえだろ、こんなの、アンタ」
「認めぬ……。認められぬ!」
「違、ッ、聞きやがれ真田! ……っ、も、痛え……」
 政宗の苦痛の声も届かない様子で、陰茎を全て政宗の中へとおさめた幸村は、すぐに緩く腰を使い始めた。
「あ、待っ……!」
「だが……もしまことに天下を目指す道を捨てるのであれば、どうか、武田に、下って頂きたい」
 海賊などではなく、と、言う幸村の声はどこか悲鳴じみていた。
「――――ッ、は、ア、あっ」
 律動を繰り返すうち、政宗の、幸村に慣れた体が、苦痛の中からそれでも快楽を拾い上げる。
「あ……あ、っ、くそ、こんな、んで」
 引きずり出される性感に、ぞくりと甘い震えが下肢を這う。たまらず目を閉じれば痛みと性感とに滲んだ涙が珠を結んで頬を伝った。一度も前に触れられず、ただ乱暴に突かれているだけだというのに濡れた声が喉から漏れる。
「ぐっ、う。あ、あ、ああ、あ」
 無理を強いられたせいか、久々の交わりのせいか、それとも昂ぶった感情でか、突き入れられた幸村の、その覚えているよりも大きく感じられる質量。慄きながらも、突き上げに合わせて後ろがひくひくと窄まってどうしようもなくそれを欲しがった。
「――Shit!」
 イイ、と零れかけた言葉を政宗が舌打ちで消したところに、ふと、幸村が動きを止めた。
「いや、武田でなくとも、……真田に」
「あ……」
 突如止められた律動の、続きを求めて、政宗の腰が揺れた。自ら幸村へと押し付けて失くした刺激の続きを得ようとする、無意識のその動きを自覚して、政宗の顔にかっと血がのぼる。
 動きを止めて思いつきに目を瞠っていた幸村は、喉を鳴らして唾を飲んだ。
「そうだ……真田に参られよ」
 政宗の腰を支えていた両手を、慈しむようにゆっくりと尻に這わせていちど撫でた。再び支え直し、抜ける寸前までじっくりと腰を引いて、一息に楔を埋め直す。
「あ、あっ、や、真田」
 再開した律動は激しさを増して政宗を突き上げた。肌が打ち合う音を立てて幸村が出入りする。
「十分な俸禄などは、到底出せぬ。……苦労も、かけるかもしれぬ。しかし」
「も、んあ、あ、あ、あ、あ、…あ」
「某のもとに、来ては、頂けぬか。政宗殿……!」
「くッ、あ、あ……――ッ!」
 幸村の迸りを体の内に受け、その熱さに、政宗は木の樹皮に縋って声をあげた。



「あー、お帰り旦那。ちゃんと着地できた?」
 上田に戻った幸村は、佐助の問いにうむと答えた。
 政宗に危機が迫っている。そう直感した幸村は佐助に凧をあげさせ、佐助の手助けでそれに乗り、急ぎ奥州上空へと駆けつけたのだが。
「何、その顔」
 指摘されて、幸村は片手で自分の顔を撫でた。
「……俺は何か、おかしな顔をしているか?」
「変っていうか、微妙な顔? 独眼竜の危機とやらに間に合わなかった?」
「……いや」
 呟いて、幸村は、政宗とのやり取りを思い出す。
 一方的な行為を終えた後、最悪だ、と、最中の涙がまだ乾かない顔で政宗は幸村を散々に罵った。
 熱を吐き出したことでようやく落ち着いた幸村は、罵られるだけの事をしたと頭を垂れてそれを聞き、海賊の勧誘など受ける気はないと、その政宗の言葉に耳を貸さず暴走した事をひたすらに詫びた。
 悔しげに息を吐く政宗は、それでも最後には幸村に手を差し伸べてみせた。
 どうせまた暫く合う機会はない。一番新しい記憶がこれでは思い出す度に腹が立つ。
 そう言って幸村の頬を軽く張り、その手で顔を引き寄せて、その日最初の口付けをした。悪いと思うならその分せいぜい熱くしろと、再びの行為を幸村に許した。その度量に、精一杯の愛しさを込めて応えた幸村ではあったのだが。
 思い出し、吐息して、幸村は目を伏せる。
「政宗殿を貰い損ねた」
「……は? 何それ」
 それにも、うむ、と頷いただけで済ませた幸村は悄然とした足取りで自室へ向かって歩き始め、その背を眺めていた佐助はやがて、まあいいかと肩を竦めた。


 そうして奥州に戻った政宗はといえば、船に乗りたくなったらいつでも四国に来いという元親の言葉を小十郎から伝え聞き、二度と来んなと、痛む腰をさすりながら呟いた。

初:2009.06.21/改:2013.04.03