慶次五章に伊達乱入編
「この幸村、此度の手合わせにてまたひとつ成長いたしました!」
「あっぱれぃ、幸村ぁ!」
「お館様ぁぁ!!」
「幸村ぁぁぁぁ!!」
「お館様ぁぁぁぁぁぁ!!」
「幸村ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ようやく手合わせから解放されてどかりと地面に腰を下ろし、慶次は首筋を手で掻いた。
「けんかおさめ……じゃないねぇ、今回は」
呟く慶次の肩に、手合わせの最中避難していた夢吉が、どこからともなく姿を見せてよじ登る。お帰り、とその小さな頭を撫でてやり、慶次は騒ぎの方へと目を向けた。
離れた場所では武田の主従がまた殴り合いを始めていて、それでも。
「これはけんかって言わないなぁ……」
例え傍目にどれほど過激に見えようとも。
殴り飛ばされた幸村が馬防柵の残骸に激突して、木っ端と共に地面に沈もうとも。
そこから不死身のごとく立ち上がって全速力で主に駆け寄り、遠慮なしの両足蹴りを繰り出そうとも。
何しろ二人は笑顔で殴り合っている。全く理解できないが、武田流の気合いの入れ方なのだと言っていた。だがそんなことはごく遠目では判らずに、殴り合う二人の声を聞き、姿を見て、泡を食って仲裁に入った慶次はそのまま手合わせに巻き込まれたのだが。
「お?」
眺める先で信玄と幸村とが、同時に右の拳を繰り出し相手の顔に叩き込んだ。相打ちだ。双方背後へと体を傾かせ、青々とした草の上に背中からどうと倒れ込む。今までのように、すぐさま立ち上がるだろうと見守れば、どちらも倒れたまま動かない。
「おいおい……」
さすがに手を貸した方が良いかと、慶次が腰を浮かせかけたところに、
「――それではお館様!」
幸村が跳ね起きた。
「この幸村に更なる試練をくだされぇ!」
「気合いが入ったようじゃな幸村!」
「って、これからが本番なのかよかよあんたたち!」
咄嗟に突っ込んだ慶次の声は、離れた場所でなお熱く滾りだした主従の耳には届かない。
殴り合いの間、そこらに放ってあった槍を拾って構える幸村に、むくりと起き上がった信玄が、そちらも斧を構え直す。
「ったく……もうちょい避難しとこうか、夢吉」
槍と斧から炎が吹き出すのを見て、慶次は座ったまま、木立の方へずるずると後退る。その背が、何か固いものに突き当たり、慶次は首を仰け反らせて背後を見た。
「何やってんだ、アンタ」
その独特な響きの声。振り向いた視界に、青い色。陽光弾く孤月の前立て。
「え、あれ。政宗?」
常通りの戦装束に身を固めた伊達政宗が、薄い青色の空と木立の緑を背景に、訝しげに慶次を見下ろしていた。
「何って、政宗こそ何してんの。もしかして幸村に会いにここまで?」
幸村と政宗の恋仲については、かつてしつこく問いただして、二人の関係を知る数少ない人間の一人となっている慶次である。だが政宗は顔を歪めて、呆れたと言わんばかりの表情で慶次を睨んだ。
「あァ? オレはそこまで暇そうに見えんのか」
「じゃあ、えっと、偵察とか?」
政宗は鼻を鳴らして、手に提げていたものを慶次の目の前へと突き出した。風呂敷に包まれた、何か長方形のもの。慶次は鼻をひくつかせ、途端、跳ねるようにして政宗へと向き直った。
「ああっ!? 食い物!」
「……アンタも犬かよ」
「え? 『も』? だって胡麻の匂いだろ。あと何だろ。あ、山椒! 木の芽だ! それと梅とー」
次々と言い当てる慶次に、政宗は苦笑する。
「まァ、中りだ。いい鼻してるぜ」
「やっぱり!」
慶次が目を輝かせて手を伸ばす。政宗は包みを頭のあたりまで上げ、慶次から遠ざけた。
「食うな。こいつは真田にdeliveryだ」
デリバリー、という言葉は理解できずとも、幸村に持ってきたものだと、その事は慶次にも伝わった。
「え、何。つまり、弁当届けにここまで?」
「仕方なく、な」
「それだけのために奥州からここまで?」
「だから、仕方なく、っつってんだろ。真田の野郎が、しばらくオレの作るメシを食ってねえだとか、オレのメシの味が恋しいだとか泣き言連ねた文寄こしやがったんだよ」
面白くもなさそうに言う政宗に、慶次はハァと溜息を吐く。
「政宗さあ。ちょっとは素直になった方がいいよ?」
暇じゃないと言いながら、弁当を届けに、奥州から長篠まで。本当に暇ではなかったとしたら、その時間を作るために政宗は幾らか無理をしている筈だ。
「で、テメエは何やってんだ、風来坊」
「俺? 俺はまあ、いつも通り……でもないか」
ふいに思い出し笑いをする慶次に、政宗は首を傾げる。
「いや、今回はさ、恋の揉め事の匂いがした方角に適当に足向けてたんだけど」
「Ha, 恋ねえ。相変わらずHappyな野郎だぜ」
「そしたらもう、見事にあちこちで痴話げんかに出くわしてさあ。謙信とかすがちゃんだろ、浅井さんとこの夫婦だろ、あ! あと魔王さんとこも」
「魔王のオッサンが夫婦喧嘩ァ?」
政宗が目を瞠り、慶次はしたりとばかりに笑み崩れる。
「そ。あの魔王さんが。おっかしいだろー」
嫌な予感がするのだと、だから次の出陣には自分も加えてくれと、濃姫は必死に信長に訴えていた。二人の言い合いは、最終的に信長が濃姫の度胸を認め、出陣を許しておさまった。
「濃ちゃんも魔王さんのことになると必死でさ、酷い事言われても全然ひかねえの。ほんと惚れてんだよねえ」
「Humn...」
「勘に任せた恋のけんかおさめの旅! って感じ? ま、その勘も今回は外れたけどなあ。来てみたら、虎のおっさんと幸村が殴り合ってるだけで――って、政宗!?」
言い終える前に、突如政宗の全身から剣呑な、青い炎のようなものがぶわりと吹き上がった。
「信玄公との手合わせが恋のにおいだ……?」
地を這うかの声で呟くと同時、政宗が六爪を抜いて地を蹴った。
「ちょっ、違うって政宗!」
慌てた慶次の声も届かない。稲妻のように駆けた政宗は三爪を振りかぶって跳躍し、打ち合う主従の間へと乱入してしまった。驚く幸村の声を聞きながら、慶次はふと目を見開いて瞬きする。
「あれ。もしかしてこれか? 恋の揉め事のにおい……」
恋といえば前田慶次。これもおさめてみせるべきかと、思う傍ら、慶次は下へと目を落とす。
政宗が置いて行った弁当の風呂敷包み。大きさからして、重箱が何段か重ねられているはずだ。さんざん信玄と幸村の打ち合いに付き合わされて、すっかり腹も減っている。けんかよりもそちらが強烈に気になって動けず、慶次は生唾を飲み込んだ。
政宗の作ったものならば、使われているのは小十郎の育てた野菜だろう。まつと利家が絶賛して、譲り受けて奥州から持ち帰ったものを慶次も食べた事がある。絶品だった。
「シブイ兄さんの野菜……そういや、しばらく食べてないなぁ」
果物に劣らないほど甘い人参や、えぐみのない青菜、味の濃い牛蒡。思い出せば盛大に腹の虫が鳴きわめいた。しかし目の前にあるのは、政宗が幸村のために愛情こめて作った弁当である。
恋は良いよ、恋しなよ、と説いて歩いているというのに、恋人のために作った弁当を勝手に食うなど出来るはずがない。けれど。
「見るくらいは、いいよな?」
肩の夢吉に同意を求めて、慶次は深い紫色の風呂敷の結び目に手をかけた。
初:2009.06.20/改:2013.04.03