竜の右目と忍のお役目

「いや、なんつーの、俺様はさ?」
 摘み取った八重桜の軸をつまんで目の前に揺らし、佐助はやるせなく溜め息をつく。
「忍としちゃあ不本意だけど、雑用とかおさんどんとかもそれなりに、まあ、得意っていうか得意にならざるを得ない状況だったっていうか、元々手先器用だしそこんとこはさっすが俺様! って感じ? ではあるんだけどさ」
 八重桜の木の高い枝。華奢な枝だ。そう大きな木ではないが、登ればやはり空が近い。
 木の上に居るのは好きだし、普通ならば人が座れば折れそうな細い枝にも佐助は難なく落ち着くことができる。七分咲きの紅色の花に囲まれてそれなりに気分は良いのだが。
 佐助は、口元を曲げて地面を見下ろす。
「おかしくねえ? この状況」
 こぼした不満に、木の下で、そちらは枝にはのぼらず手の届く枝から花を摘んでいた小十郎が、鋭く佐助を睨みあげた。
「テメェも忍の端くれなら、黙って摘め」
「うわ、端くれってどういうことよ。俺様くらい優秀な忍なんてそう居ないんだけど」
 その優秀な忍は、伊達の城に滞在している主への定期連絡に訪れたところを庭で小十郎に捕まった。
 来い、と言われてわけもわからずついて行けば、庭の一隅、八重桜にしては随分と立派に育った木の下へと導かれた。
 登れと言われて登ってみせれば、小振りな籠を投げ渡された。そこで花を摘めという。
「ま、いいけどね。ご覧の通り摘んでますよ、っと」
 言って、佐助は摘まんだ花を、抱えた籠へと投げ入れる。
「けど、忍なら黙って摘めってその理屈おかしくねえ? 別に忍なんて無口じゃなきゃ勤まらないもんでもねえし、必要な時に口割らなきゃそれで」
「……黙って摘め」
「はいはいわかってます、って。真田の旦那が世話になってんのは確かだしねえ」
 佐助は幾度目かに嘆息して、手だけは黙々と動かしながら空を見上げた。淡い青だ。けん、と城の背後、山のどこかで雉が鳴く。
「春だねえ……」
 思わず呟いたその空に、
「うううおおお、みなぎるうううううあ!!」
 響き渡った雄叫びと、何か――おそらく襖か屏風の倒れるばたどたんという音が続いて、佐助は細い目を更に細めて手を止めた。
 何も言わずに小十郎は息を吐き、抱えていた笊を地面に置く。
「ほんと、ごめんね」
「……テメェは続けてろ」
 言い置いて、小十郎は屋敷の、声のするのと逆の方へと足を向ける。
 愚痴をぶつける相手もいなくなって、佐助は黙々と摘んだ桜を籠に投げ入れ、そうしている間にも遠くから
「HA! 楽しませてくれよ真田幸村ァ!!」
 とか、
「政宗殿、覚悟! 真田幸村いざ参る!」
 とか、
「ぐ……、ッあ! ……何だ、その程度の突きでイカせようってのか? もっとオレを熱くさせてみせろよ、真田幸村!」
 とか言い合う騒がしいやり取りが聞こえて来る。
 やがて戻ってきた小十郎はまた桜を摘み始め、その様子をちらと盗み見て、佐助は何となく困って頭を掻く。
「これ、塩漬けにすんの?」
 黙れと言われるかもと考えながら問えば、小十郎の肯定は回りくどい。
「他に使い道があるなら教えてみろ」
「あ、やっぱそう? んじゃ、出来上がったら俺様にも少しくれない? 桜湯、大将も旦那も好きなんだよね」
 手を止めて、小十郎が佐助を見上げた。
「そっちじゃ漬けねえのか」
「作るけどさ、よその味にも興味あるでしょ。あ、何なら交換する?」
「……妙なモンが入ってねえならな」
「入れるわけないでしょ、勿体ない」
 言いながらも、桜の塩漬けでそう風味が変わることもないだろうがと佐助は考える。
 だが、小十郎の作る野菜は格別の味だ。それを思えば、もしかしたら花の塩漬けでも何かしらの違いを出したりするのではないかと少しばかりの期待を抱く。
「桜湯の他には、何に使う」
「あー、そうねえ、こっちだと……」
 混ぜ飯にしても美味いだとか、漬物に添えるのも良いのだとか。
 小十郎相手に言葉は少ないながらも思いがけず話が弾んで、気がつけば佐助の背中の籠は花で一杯になっていた。
「籠、埋まったけど」
「ん」
 佐助は身軽に木を下りて、傾ければ花が零れ落ちそうな籠を小十郎へと示す。そこへ。
「小十郎!」
 大股で廊下を歩いてきた政宗が、小十郎を見つけて足を止め、遠くから声を張り上げた。その後ろから、歩いてきた幸村が佐助を見て目を丸くする。
「佐助? 何をしているのだ」
「あー。はは、何だろ。お手伝い?」
 佐助はひらと片手を振って、小十郎は政宗へと軽く頭を下げてみせる。
「風呂でしたら先ほど、用意するように言っておきました」
「Good! さすが小十郎だぜ。行くぞ、真田幸村!」
 そうしてまた、大股で湯殿へと歩いて行く二人を見送って、佐助は首の後ろを指で掻く。
「あのさ」
「何だ」
「ちょっと聞きにくいんだけどさ」
「……なら、聞くんじゃねえ」
「や、悪い、聞かせて?」
 佐助は言いにくさに口を曲げて、小十郎と視線を合わせた。並んで立てば随分と高い位置にある小十郎の目が、鋭く佐助へと注がれる。
「閨事は静かにやるもんだって、そっちでは教えてない?」
 声をひそめて問えば、小十郎は少しの間のあとで八重桜の花に手を伸ばし、引きちぎって籠の中へと投げ入れる。
「……テメェんとこは、教えてあれじゃねえのか」
「うん、まあ、そうね。言ってあるんだけどね。どうかと思うね、我が主ながら」
 雄叫びに、剣戟の音が混じれば打ち合い。
 そうでなければ閨事。
 どちらにせよ及ぶ時は大抵人払いをしてあるし、あのやりとりで情事を連想できる者など滅多にない。耳にするたび胃の痛い思いをするのは佐助と小十郎の二人に限られていると言って良いのだが。
「ほんと、ごめん。……もう一回言い含めてみるから、そっちも」
「……努力はしよう」
 主たちの消えた方向を眺めて何となく黙り込み、二人は同時に溜め息を落とした。

初:2009.04.08/改:2013.04.03