もう一度

「それがしの勝ちだ」
 宣言する誇らしげな声。自信に満ちた勝者の視線。屈辱感に目を上げることもできず、政宗は噛みしめた歯の間から低く呻き声を漏らした。
 視線を走らせても逃げ場はなく、認めないと拒んだところで最早勝機はかけらもない。動けない。まだだ、と足掻くことすらできない、完膚無きまでの。
 敗北だった。
 口の中で短く呪いの言葉を吐く。
 その掠れた声をかき消すかのように、強い風に煽られた木の葉が静寂を乱して騒ぐ。
「認めてやる。……オレの、負けだ」
 隠せない苦渋を滲ませ、それでも毅然と顔を上げて言えば、ひたと政宗を見据えていた幸村が満足そうに目を細め、口の端を上げて笑った。
 
 
     *
 
 
 幸村の預かる上田の城の一室。
 閉めきった部屋には夏の初めの湿った空気と、燭台の炎。熱を帯びた浅い呼吸ひとつ。
 小袖を一枚かけられただけの姿で政宗は板間に直に横たわり、汗の滲む額を冷えた床板に押しつけた。
 衣服は全て剥ぎ取られた。
 両腕は背後で戒められた。
 敗北を認めたからにはどのような扱いでも受け入れようと覚悟を決め、取られた行動は予想の域を出ないものではあったが、あの幸村が、と考えればやはり信じ難く苦い思いがある。
 敵同士という立場を超えて密かに互いの居城を行き来し、或いは宿場町や山中の庵で落ち合って、触れ合い求め合った回数は既に両手の指では足りはしない。自分のものでない体温や、体臭や、体液の味や、覚えて心地良く馴染むまでになった幾度もの交わりの中、政宗が戯れに幸村を手荒に扱うことはあっても、幸村が政宗に苦痛を強いたことはただの一度もなかったのだ。
 公の場であればともかく、政宗と幸村が個として会えば、まして褥で体を寄せれば、身分などは意味のない瑣末事だ。
 だからそれは、おそらくは性格に因るもので。組み敷き、貫いて屈服させる悦びよりも、溶け合うような甘やかな交わりを幸村は好んでいた。……そう、思っていた。先の無様な敗北といい、真田幸村という男を、甘く見ていた部分があったことは否めない。
 
 襖に描かれた絵を見るともなく眺める視界で、不安定に陰影が揺れる。
 僅かな障子の隙間から吹き込む空気に、ひとつきりの燭台の炎が儚く揺らされた。
 その灯りに照らされて、夜闇は部屋の四隅に追いやられて身を縮めている。
 ゆらりと揺れる火を眇めたひとつの目で捉え、政宗はひとり、しきりに疼きを訴える体を持て余し、寄せる波に顔を歪ませて身動いだ。
「……っ、は……!」
 と同時、喉の奥から抑え損ねた声が漏れた。思いの外響いたそれに、政宗は額を床に擦りつけて、噛んだ奥歯に力を込める。
 季節のせいだけでない熱さに苛まれて、火照った体が抑えようもなく疼く。常であれば、幸村に愛撫され男根を挿れられどれほど焦らされたところで、そこまで余裕を失い浅ましく求めるような体ではない。
 衣服を剥がれ、戒められ、潤滑剤も兼ねてと用いられたのは媚薬だ。
 そして媚薬を塗り込められた孔に、挿入された性具。
 政宗の中に異物を呑み込ませた幸村は、そこまでして、ふいに断りを入れると姿を消した。ふざけるな、と消えた幸村の背に毒突く間にも体が火照り始め、今では全身を熱が巡って暴れ手がつけられない。
 薬如き道具如きでと思えば悔しさに腹の底が煮えるが、性具は僅かな動きにも、敏感になった弱い内壁と擦れて政宗を苛む。
 どうにかしたいと思うのに両腕は背後できつく戒められて、引いても捻っても自由になる気配はなく、もがいただけ余計に体の熱が上がり、前と後ろとが強い刺激を欲して焦れる。
 扱いて欲しい。熱を放ってしまいたい。もっと熱いものに貫かれて感じたい。
 思考が掠れる。自尊心や辱めへの抵抗を押しのけて、そんな欲求ばかりが頭を占める。
「くそ、真田……ッ!」
 腹立ち紛れに吐息と共に吐き捨てて、政宗は衣の下で脚を曲げて体を丸める。
 しきりにもがいて縄と擦れた手首の皮膚が、鈍い痛みを訴えた。
 
 
 
 微かな木の音を聞いた。
 そう思ったと同時、唐突に吹き込んだ涼やかな夜風に、政宗は閉じた瞼を鈍い動きで持ち上げた。
 燭台の火が風に煽られて激しく揺れるなか、外に様子を知られぬよう、薄く開いた障子の隙間から幸村が室内に身を滑り込ませ再び静かに戸を閉じる。
「すまぬ。外で呼ばれて」
 言いかけた矢先、力ない様子で横たわる政宗に鋭く睨み上げられて、幸村は言葉を止めた。踏み出しかけた足を止めて、戸口からまじまじと政宗の様子を眺める。
 その隻眼の、視線の強さに今更萎縮などはしない。睨み上げて来る眼の潤んだ様子に驚いて、薄茶の眼を見開いた。
 歩み寄り、傍らに膝を付いて政宗の体にかけた衣を退かし、その下の様子を確かめる。
 予想の通り下肢では雄の証が、幸村が触れていなかったにも関わらず反り返り先端から雫を零して濡れて、指先で先端を撫で回すように触れれば政宗が息を詰めてびくりと体を震わせた。
「媚薬とは、存外、効き目のある物なのだな……」
 半信半疑で初めて用いた薬の効果に、純粋に感嘆のみを込めて呟けば、
「……くそ怠ぃ」
 忌々しさを乗せて呟かれた声に、幸村は彼にしては珍しい、人の悪い笑みを口元に浮かべて政宗を見遣る。
「悦い、の間違いではござらぬか?」
「Ha, そりゃ煽ってるつもりか……?」
 揶揄を込めて言えば、政宗は口の端を吊り上げて、濡れた目で、挑みかかるように幸村を睨む。
「ヤるなら、早く済ませろ。床に転がされた挙げ句、縛られてなぁ? こっちはあちこち痛えんだよ」
 下肢を見れば刺激を欲してどうにもならない段階だろうに、そんな状態でも強気の姿勢を崩さない政宗に幸村は苦笑する。そうさせていただく、と頷いて、半ば以上まで体の中に埋め込んだ性具を抜き取るべく掴み。
「う……あッ」
 引き抜こうとした動きで、政宗の体が跳ね、掠れた声をあげた。
 幸村は瞬きして手を止めると、蠢く政宗の孔を凝視する。
「……政宗殿」
「ッ……! 早く、抜きやがれ……!」
 言葉とは裏腹に、孔は性具をひきとめようとしてか、ひくついてきつく締まる。幸村は少しの思案の後に、政宗の腹の下に片方の腕を回し、力を入れて腰を持ち上げた。その動きで、また政宗が漏れかけた声を噛み殺す。
 構わずに両膝を付かせて、尻を高く上げさせた。腕が背後で縛られているせいで、政宗は肩と顔とで上半身を支える、苦しい姿勢を強いられる。突き出させる形になった尻の丸みをてのひらで撫でて、幸村は性具を呑み込んだ孔の淵へと指先を這わせた。
 挿入された場所に注がれる視線を感じて、政宗はぞくりと背を震わせる。
 見られている。
 意識すれば、否応なく体を蝕む熱が温度を上げる。
 幸村は引き抜きかけたそれを、逆に政宗の中に押し入れた。再び性具を呑み込まされて政宗は震え、熱い息を吐き出して呻く。
「テメエ……!」
「こんな道具でも、感じるものなのだな……」
 用いる前に湯に浸してあるが、元は乾燥させた棒状の、何らかの植物の茎らしき性具。その周囲に、紐状の同じ素材が編まれて巻き付けられている。
 少しの落胆を込めて言えば、投げ遣りに、吐き捨てる響きで政宗が嗤った。
「アンタも後ろに銜えてみたらどうだ? “こんな道具”の方が、アンタの、……cockより、よっぽど具合がいいぜ……!」
「それを聞いて安心した」
「……あァ?」
 そぐわない反応に、そうしたところで見えはしないのだが、政宗は首を曲げて背後の幸村を伺った。
 その間にも幸村の手は政宗の双丘を撫で、股の内側をさすって動き、もどかしい刺激に政宗は唇の内側を噛んで耐える。
「政宗殿がそのような声を出す時は、言葉を逆さに使っている時だ。……が」
「う、あ……っ!」
「感じるのは、確かなようでござるな」
 先端を親指で押し上げて角度を変えれば、顕著なまでの反応で政宗が嬌声を上げた。いきりたった雄の先端から溢れた液が、黒い木の床に滴り落ちる。
 幸村の片手は緩く性具を動かし、もう片手の指は政宗の孔の淵を撫で続ける。
「痛……っ!」
 幸村の指が一本、戯れに、性具に沿って政宗の内側に押し込まれた。
 無理に孔を押し広げられて、たまらず細く漏れた悲鳴に、入り込んだ指は一時中を掻き回してすぐに退く。
「政宗殿。そのように締めつけても、“これ”は精は放ちませぬ」
「……You suck!!」
「その言葉は、それがしは知らぬ」
「最低だ、って意、あ……っ」
 唐突に、濡れた、温かい感触に孔の淵を舐められ、政宗は身を捩った。
 熱い舌に舐め回され、性具を激しく使われて、求めていた刺激に抑えきれずに意味を成さない声を漏らす。
「あ、やめ、っ、……ッう……あ……!」
 最後の矜持で、ねだる言葉を口にすることだけは拒む政宗の、腰は幸村の動きに合わせより深い快楽を求めて揺れる。忙しなく空気を求めて開いた口の端からは温い唾液が、額から伝い落ちる汗と混じり床に押しつけた頬を濡らす。
 内側の弱い部分を幾度も狙って突かれ、痛いほどに張りつめていた政宗の性器が限界を迎えて弾けた。
 水音を連れて、白濁した体液が床を汚す。
「く……ッ、……!」
 ようやく叶った吐精に政宗は荒く息を吐いて脱力する。
 幸村は痴態を眺めている間に芯を持ち始めた己自身を片手で扱くと、政宗の中から性具を引き抜いて投げ捨てた。
 間断置かず、蠢く窄みに先端をあてがい、背に覆い被さるようにして貫いた。
 植物で作られた性具とは異なる熱を持った幸村の怒張が、脱力する政宗の中に一息に押し入り、根元までを収めて止まる。じゅうぶんに解れていることを確認し、浅く腰を引いてすぐさま突き上げた。幾度も。
 政宗は最早堪えることもせずに声を漏らし、揺さぶりながら幸村が片手で前に触れれば、再び硬さを取り戻していることに安堵する。
 自らしたこととはいえ、幸村の性器でなくとも感じるのだと、見せつけられて良い気はしなかった。
「……っふ、あ、政、宗殿……っ!」
「うぁ、あ、…っは、……ッ」
 政宗の腕を戒める縄を解き、床に手をついた体を繋がったまま強引に返して、脚を開かせ、膝裏を抱え上げて、結合を深くする。
 口元に腕をあて声を殺す政宗の熱く狭い内側を擦り思う様暴れ、蹂躙して、幸村はその中に精を吐き出し注ぎ込んだ。
 
 
     *
 
 
 迸りを体の内側で受け、政宗も幸村の手に促されて二度目の絶頂を迎えた。
 懐紙で体を清められ、弾む息を整えた政宗は、舌打ちすると気遣わしげに見下ろしてくる幸村をきつく睨みながら、自由になった腕を支えに体を起こす。
「もういっぺん、やるぞ」
 低く言われて幸村は驚き、次いで呆れて眉根を寄せると困惑顔で政宗を凝視した。
「……まだやるのでござるか?」
 当たり前だ、と言い放ち、政宗は怠そうに起きあがると打ち捨てられた小袖を拾って肩にかける。
「Revengeだ。テメエの勝ち逃げなんざ許せるかよ」
「勝ち逃……だが政宗殿、これで丁度一勝一敗ではござらぬか」
「Ha, 関係ねえな。締める時はオレの勝ちで締める」
「勝手でござる……!」
 うなだれる幸村に構わず、政宗は立ちあがろうとして、ふいに身を竦めて動きを止めた。
「くそ、その前に厠だな……」
 注がれ溢れてきた精が内股を伝う感触に眉根を寄せる。
 中に出されるのは実のところそう嫌いでもない。そんなことを口にしたことはないが、後の始末が厄介なのはいただけなかった。
「申し訳」
「Shut up! テメエはとっとと座って、それ、片付けてろ」
 言い差した謝罪の言葉を遮って、政宗は顎で部屋の隅を示す。
 鎮座しているのは、先ほどまで二人が向かい合っていた碁盤だ。
 賭けに使われた、碁盤。
 ただの勝負じゃ燃えやしねえ、賭けようぜ、と持ちかけたのは政宗で、何をと幸村が問えば、返ってきた答えは“自分の体”。
 囲碁の勝敗で褥の上下を決めるのかと思えばそれだけではなく、政宗は持参してきた風呂敷から幾つかの妙な道具を取り出し畳に広げてみせた。
 南方の胡散臭い宗教団体から手に入れたと楽しげに語られた道具は、着色された縄や、紐のついた革布や、何かの薬包、軟膏のようなものをおさめた小さな硝子の瓶。留め具のついた革製の輪に長い鎖の繋がったもの、植物の繊維を筒状に編んだもの、珠が幾つか数珠繋ぎになったもの。他にも何とも形容しがたい物や見たことのない材質の物が数多く、その殆どが幸村には用途の知れないものばかりだった。
 それでもうっすらと覚えた嫌な予感は的中し、それらが全て性具だと言われた時には、破廉恥極まりないと怒鳴って頭を抱えた幸村である。
 が、要は勝てばいいだけの話だと乗せられて、一度目は幸村が敗北した。そうして政宗の要求に従って口にするのも憚られるような行為をしたりされたりする羽目になり、その屈辱をばねにしての二度目の勝利。意趣返しを込めて選んだのが、縄と、媚薬と、性具というわけだ。
 だがその勝利も、運に助けられたところが大きかった。碁は信玄の相手をして鍛えられているつもりだったが、政宗もまたなかなかに強い。
「それにしても、先ほどの一局はまこと危のうござった」
 言えば、政宗が眉を跳ね上げて怪訝そうに幸村を見遣る。
「……あァ? どういう意味だ、そりゃ」
 一応は幸村の圧勝で終わった勝負だ。まさに勝敗は一目瞭然、整地の必要すらなく、盤面は政宗が投了した時のまま放置されている。
「見ていてくだされ」
 幸村は碁盤の前に胡座をかき、手元に白と黒の両方の碁笥を引き寄せて、盤面をいじると何手か前の状態に戻す。
「ここから」
 政宗が這って碁盤ににじりより、盤面を見てひとつ頷く。
「政宗殿は気付かなかったが、この一手はそれがしの失策だったのだ。それがしも打ってから気付いたのだが」
 白石のひとつを幸村の指先が叩き、木を打つ音を響かせながら、政宗の黒石を盤上に置く。
「この時政宗殿がこう出ていれば」
「……あ!?」
「で、ござろう?」
 身を乗り出した政宗と視線を合わせて、幸村は笑う。
「このあたりは混戦だったのが幸いしたのだ。もしここに打たれた場合、それがしは次の手をこうする他ない」
「ああ。で、オレが……ここを押さえる」
「左様」
 石を幾つか置くうちに、盤面は白の圧倒的有利から、やや黒有利へと変わった。
 政宗は口の中で己の不覚を悔やんで唸る。たったひとつの読み間違いで、と思い知れば悔やまれて、政宗の気付かなかったその間違いに、幸村が気付いていたことがまた腹立たしい。
 奥歯を噛んで、得意満面の幸村の頭を、悔し紛れに平手で叩いた。
「言えよ!」
「痛! ……言ったら勝負にならぬではないか!」
「Shit!! 真田のくせに生意気だぜ……! 早く片付けやがれ次はオレが勝つ!」
「勝負は構わぬのだが、政宗殿」
 石を分けて碁笥におさめながら、幸村は首を傾げて政宗を伺う。
「……何だよ?」
「次は道具はなしにしませぬか。それがしとの……その、行為に飽きたというのならば諦めるが、そうでないのならば普通に交わりたいのだ。あのような交わり方は、するのも、されるのも、それがしは好かぬ」
 政宗は隻眼の眼を丸くして幸村を見、思案する様子で襟足を掻くと、ちらと笑って口元を歪める。
「好かぬとか言う割に、随分ろくでもないことをしてくれたもんじゃねえか?」
「あれは、その前に政宗殿が……! だからそれがしも、仕返しのつもりでつい」
 赤くなって口籠もる幸村に政宗は喉で笑い、小袖に袖を通しながら頷いた。
「Okay, じゃあ次は普通に、どっちが入れるかだけの勝負にしようぜ」
「ありがたい。ならばそれがしも、安心して勝ちを取りに行けるというもの!」
「It's fine. 後で吠え面かかせてやるぜえ?」
 前をあわせて適当に帯を締め、政宗は厠に行くと言って立ちあがる。
 申し訳ない、と今度は最後まで謝って幸村は碁石を片付けながら政宗を見送り、障子に手をかけた際に袖口に見えた、戒めの名残の赤い鬱血の痕にふと目を細めた。
 政宗の自由を奪い、辛い姿勢を強いて貫いた。
 罪悪感を覚えると同時、その嗜虐的な行為に心の一部分が、確かに暗い悦びを感じていた。そのことは、
 口にできない秘め事として胸の奥に沈めておこうと考えながら、閉じられた白い障子から目を逸らし、静かに碁笥の蓋をしめた。

2007.06.30 企画提出用