服の裾を引っ張る
眠りに落ちる寸前、重い瞼をふいに二、三度瞬かせて、幸村は眉根を寄せながら寝返りをうった。
室内を青白く照らす月は障子越しにも明るく、視界に不自由は感じない。これならば灯りの用意をして、政宗を起こすこともない。
考えて、そっと布団を抜け出そうとしたところに、くい、と夜着の背中に小さな抵抗があった。
驚いて振り向けば政宗が眠そうに目を開けていて、片手が幸村の服の背中を掴んでいる。
「……どこに行く?」
「厠でござる」
「かわや?」
「左様」
「……かわや……」
鸚鵡返しに繰り返す政宗はまだ殆ど夢の中という様子で、表情は動かず反応も鈍い。下手に言葉などかけずに眠り直して欲しいのだが、手だけはがっちりと幸村の服を掴んでいるので、離して貰わないことにはどうにもならない。
「はばかりでござる。ええと何と言うのだったか……といれっとでござったか? 行ってもよろしいだろうか」
ここでよろしくないと言われた場合どうすれば良いのだろう。自分の言葉に考え込みそうになったところで、政宗の手がようやく、掴んでいた幸村の衣服を解放した。
瞼が閉じられたのを確認し、音を立てないよう細心の注意を払って外へ出た。
その筈だったが、用を足して部屋に戻れば、なぜか政宗が布団の上に背を起こしていた。
戸の開く音で弾かれたように顔を上げた政宗を見、幸村は驚いて戸口で一度足を止める。結局あのまま目を覚ましてしまったのかと申し訳なく思いながら、出た時と同じように静かに戸を閉めて布団に戻れば
「どこ、行ってた?」
不機嫌な声音に問われて、幸村は政宗の顔を凝視した。
「厠、……で、ござるが?」
「……厠?」
「先ほど政宗殿に、そう申し上げた筈だが」
「知らねえぞ」
ではあれは本当に寝惚けていたのか。納得する幸村の隣では政宗がまだ飲み込めていないらしく、片手を顔にあてて記憶を探る様子を見せている。もしかしたら今もまだ、半ば寝惚けているのかもしれない。
「俺は、目ぇ醒めたらアンタがいねえから……」
「心配して下さったのか?」
「いや、……」
言い差して、語尾を濁して黙り込む。
長い長い沈黙の後、唐突に政宗が布団に倒れ込んだ。
「ま、政宗殿?」
「悪ぃ、寝惚けてた」
幸村に背を向けるようにして寝返りを打つと眠る体勢に入ったらしく、政宗はそれきり動く様子を見せない。疑問符を抱えたまま幸村は上掛けを引き上げると、政宗の背中に額を凭せ掛けるようにして横になった。横になって、政宗の衣服の背中をじっと眺める。
こんな風に身を寄せて眠ることのできる今が、まるで夢のようだと思う。
会えない期間が長ければ、時には真実、願望の見せた夢だったのではないかと疑いさえする。
「政宗殿」
そんな不安と同じようなものを、政宗も抱いているのかもしれない。考えて、先ほどの言葉の続きを想像する。不安にさせただろうかと問いかけたところで、素直に頷く気性でないことは知っている。随分自惚れたもんじゃねえかと鼻で笑う、聞き慣れた声は想像に易い。
「それがしは、黙って消えたりは致しませぬゆえ」
さっき政宗にされたように夜着の背中を引っ張れば、少しの後に、政宗が幸村の方へと向きを変えた。
闇の中で視線を合わせて笑ってみせれば、政宗の目が細められ、そうだな、と呟いてゆっくりと瞼が閉じられる。視線を煩く感じさせないよう、幸村も瞼を閉じて耳を澄ました。
遠くで樹木が鳴っている。
近くに静かな呼吸がある。
次に目を覚ました時には政宗は忘れているのかもしれない。それでも傍らにいることが幻でさえなければ、こんな遣り取りは夢の中の出来事でも構いはしなかった。
2007.01.29 『服の裾を引っ張る』選択課題・ラブラブな二人へ > お題配布元:リライト