手を繋ぐ
視界がぐるりと回転した。
しまった、と思った時には盛大に尻餅をついて背中から倒れ、雪の上に大の字を描いていた。
視界を占めた早朝の空は、まるで薄く氷の張った湖のようだ。薄い灰色の雲が空にまだらな模様を描き、その隙間に夜の終わりの透明な蒼と、西からほの白く差す朝の光と、消える間際の星を見る。
そして、左の端に、白い息を吐いてひとつ笑った政宗の顔。
薄く積もった雪は溶けかけたところを夜の冷え込みで凍って、城から続く道は緩く長い傾斜で。滑るなよと注意を促された矢先の失態に、幸村は己の不覚と、打ち付けた右肘の痛みに身を起こしながら短く呻いた。
「鈍臭えなあ、おい。転ぶか? この程度の雪で」
「面目次第もござらぬ……」
笑い含みの呆れ声に返す言葉もなく、立ちあがろうとして、幸村ははたと動きを止めた。
政宗の右手が差し出されている。
骨張った指と厚いてのひら。六爪を操るせいか政宗の手は大きく、指は長く、比べて悔しい思いをしたことがあるその手。
思わず顔を上向けて政宗を見、次いで、目の前に差し出された手をもう一度眺める。
差し出された以上は掴んで良いのだろう。
それはわかるが、何となしに躊躇っていると、早くしろと言たげに指が空気を掬うような動きを見せた。
慌てて左手を差し出せば、すぐに強い力で引き上げられる。
「かたじけない」
「No problem」
歌うように言って歩き出した政宗の隣、一歩後を、今度は滑らないようにと注意しながら足を踏み出す。
厚めに積もった部分を選んで爪先で踏めば、草鞋の下で踏みしめられた雪がきしりと小さな音を立てた。
「……ったく、誰だ、こんな時間に散歩に出ようとか言った奴ぁ」
胴服の袖に両手を入れ、寒い、と幾度目かにぼやいて政宗が首を竦める。
まだようやく朝の気配を感じ始めた時刻に、先に目を覚ましたのは幸村だ。
床に就いたのは遅い時間だったから、おそらく眠っていたのは一刻半か、二刻かという程度。そのくせ寝覚めは奇妙なほどすっきりとして、仕方なく傍らの寝顔と寝息とを楽しんでいたところ、気配に聡い政宗をも起こしてしまった。
寝直そうとしても目は冴えて、ならば朝の庭園でも見に行くかと、城を抜け出したのは政宗の提案だ。
「それは、それがしの隣を歩いている方だったように記憶しているが」
「テメエの記憶違いじゃねえのか?」
「記憶違いは政宗殿でござろう。第一、それほどに寒ければ引き返しても」
「Reject」
言葉を遮られて、幸村は口を噤む。
「寒いは寒いがな、まあ、今は少しましだ」
すぐに足された言葉に、白い息を吐き出す政宗の横顔を見て、幸村は口元だけで笑った。
幸村を引き起こした際に掴んだ手を、政宗はそのまま握っていた。
政宗が構わないというのであれば、幸村から振り解くはずもない。手は離されずに繋がったまま、二人の間で揺れている。
冷えきっていた政宗の手は触れた部分から温かさを取り戻していて、夏場は疎まれるばかりの高体温も、こんな風に役に立つのならば悪くはないと思えた。そして夜明け間際の散歩も。
手を繋いで歩くなど、人目があればできそうにない。
「こんな時間の散歩も、良いものだな」
「だろ? 空気はイイし、アンタは転ぶしな」
「うむ。次に転ぶ時は政宗殿も道連れでござる」
「……その時は手ェ離せよ」
繋いだ指に力をこめれば、言葉と裏腹に同じ強さで握り返される。
そんな事が馬鹿みたいに嬉しいのだから手がつけられない。
朝日がようやく姿を覗かせ始めた空の下、握った手をひとつ引いて足を止め、冷えた頬と唇とに触れた。
初:2007.01.28/改:2007.11.01 『手を繋ぐ』選択課題・ラブラブな二人へ > お題配布元:リライト