彼の基準 蛇足

 斯くして、伊達は武田と一時的に手を結んだ。
 幸村への嫌がらせに背中を押された形の、全くあてにならない同盟ではあったが、これで暫くは戦に出ても伊達軍に乱入される心配はない。心おきなく謙信とやり合えると信玄がほくそ笑んだ矢先、前田軍が甲斐に向けて出陣したとの報せが入った。
 そんなわけで。
 やはり幸村への嫌がらせを目的とした援軍の申し出を固辞して、武田の軍勢は今、湖を間に前田軍と睨み合っていた。
 いや、睨み合っているというよりも、正しくは一方的に睨んでいる。
 何しろ前田の総大将には緊張感というものが欠けていて、本陣はまるで野遊びにでも来たかのような和やかさであるだとか、花を摘んで奥方の髪を飾り始めたとか、甥が湖で釣りを始めたとか、物見によってもたらされる報はどれもこれも気力を削がれるようなものばかりだ。
 まさか侵略ではなく、軍を率いての行楽だったのだろうか。
 陣を構え砦を築いている以上そうでないことは確かだが、そんな考えに逃げたくなるような呑気さである。
「報告致します! 前田軍は湖中央にて食事中……」
 陽が傾きかける時刻、本陣に定期連絡を運んで来た物見は、片膝をつくと頭を垂れた。
「ちなみに献立は、そこの湖から獲りたての魚を焼いて松の実の味噌を添え、捕らえてきた兎を焼き、ふっくらとした握り飯と具だくさんの汁物、堀りたての筍の味噌煮、香の物に食後の甘味。全て、まつ殿手ずから調理されたものにございます……!」
 報告する物見は心なしか涙目だ。
 うわあ、と佐助が呆れた声をあげる。
「そりゃまた羨ましいことで」
 信玄は思案げに目を細め、蓄えた口髭に手を這わせる。
「挑発しておるつもりか……?」
 利家は愚直で知られる男だが、細君は才知に長けるとの噂は信玄の耳にも届いている。策である可能性は否めない。何より、どれほど暢気に見えようとも、前田はあの織田軍の一員である。
「ふむ、何にせよ埒が明かぬな。軽く砦を攻めて誘い出してみるか」
 どう考える、と、信玄が軍師に訪ねる傍らで、本陣の片隅に座りきつく眉根を寄せていた幸村が、耐えかねた様子で膝に拳を叩き付けた。
「解せぬ……! 前田殿とは一体どのような武人なのだ!」
「え、何。いきなりどうしたのさ旦那」
 驚く佐助を、幸村が振り向いて睨み付ける。
「どうしたも何もあるか! 自ら攻め込んで来たにもかかわらずいつまでも遊び呆け、破廉恥にも奥方を同伴し、戦場にかように豪勢な夕餉を用意させるなど!」
「Ha! 豪華なdinnerならこっちにもあるぜ!」
 唐突に耳に飛び込んで来た、この場で聞くはずのない声に、幸村は勢い良く立ち上がった。信玄と佐助も、幸村ほど露骨ではないものの、驚きを乗せて闖入者を見遣る。
 視線を一斉に受けて陣幕の向こうから現れたのは、鎧姿の奥州筆頭・伊達政宗である。背後には仏頂面の片倉小十郎と、何やら風呂敷包みを抱えた部下が数人付き従っている。
「ま、政宗殿!?」
「よーう、気合い入ってるじゃねえか真田幸村ァ。と、邪魔するぜ信玄公」
 これ以上ないほどに目を見開いた幸村は、すぐに今度は、縋るような目を信玄へと向けた。
「お館様! 政宗殿への援軍要請はなさらぬと!」
「ワシは呼んでおらぬ」
「オレも呼ばれた覚えはねえな」
 政宗は平然と言い放つ。
「では何故……!?」
「見物だ、見物。それくらい構やしねえだろうが」
 うわ嘘くさ、という佐助の呟きは黙殺された。
 兜こそ外しているものの、戦装束に身を包み腰に亜羅須斗流を六本差した政宗は、どう見ても隙あらば参戦する気満々という様子である。
 そして幸村は狼狽の極みである。
 夫婦で戦に出るなど破廉恥だ、という言葉がそのまま自分に返ってきた。
 幸村と政宗とがどのような関係であろうと傍にはそんなものわかりはしないのだが、それには思い至らないのか、それともわかっていても独自の倫理規定に引っかかるのか。
「見物……そうか見物ならば……いやしかし、戦場に恋人を同伴したことには変わりが……」
 ぶつぶつと呟く幸村には構わず、政宗は顔の脇でぱちんと指を鳴らす。
 それを合図に、付き従っていた部下が政宗の前に荷物を下ろし、包みを解いて一礼すると本陣の外へと退がって行った。
 出てきたのは八段重ねの、漆塗りの重箱が二組である。
「政宗殿……それは?」
 考えに沈んでいた幸村が目を瞬かせて顔を上げた。
「あァ? 差し入れだ。言っただろうが、『豪華なdinner』 ってよ」
 示すために片端だけ持ち上げられた蓋の下を覗き込めば、そこには確かに料理らしきものが詰められていた。
 しかしやたらと色鮮やかで、見慣れない形をして何とも形容し難く、幸村には初めて目にする食材と料理ばかりであるように思う。
「なるほど、でぃなーというのは夕餉のことでござったか……」
「おう。アンタが今見てる重が異国の、もう片方が普通の料理だな。オレ自ら作ってやったんだ、ありがたく思えよ真田幸村ァ!」
「政宗殿が!?」
 目を丸くして、幸村は改めて重箱の中身を眺める。
 二人を尻目に信玄と佐助とは、伊達の小童も意外と健気じゃのうとか、んで砦どうしますか俺様出ましょうか? とか、ぼそぼそと会話を交わしている。
「なんと、政宗殿は料理も器用にこなされるのだな……!」
 感嘆の声に政宗は、何故か不機嫌に目を細め、その背後で小十郎が視線を彷徨わせる。
「……料理ならアンタも作れるじゃねえか」
「いや、それがしにはこのような美しい料理は作れぬ! まして異国の料理など口にしたこともござらぬ。さすがは政宗殿だ!」
 興奮して言い募る幸村に政宗は疑いの眼差しを向けた後、ややあって僅かに頬を緩ませた。
「食いてえか?」
「無論でござる! 政宗殿の手料理とあらば、是非にも!」
 意気込む幸村の眼の前で、政宗の指がつうと動き、西の方角、林の中で一際高い木の上を指し示した。
「なら、あの木に陽がかかるまでに砦ひとつ落として来い」
「砦を……?」
「落とすっつってたよなァ、信玄公?」
 信玄と佐助の会話が耳に届いていたらしい。
 政宗は重箱の蓋を閉め、平手で叩くと言い放つ。
「いいか、真田。間に合わなけりゃこのdinnerはお預けだ。全部、信玄公の腹に消えると思え!」
 幸村が息を呑んだ。
 唐突にだしに使われた信玄は、政宗の膝の高さまで積み重ねられた重箱二組を眺めてぽつりと呟く。
「……あと二十歳若ければ食えたかのう」
「いや、普通に人間一人の腹に入る量じゃないし」
 唇を噛んだ幸村は、体の脇で拳を固め、苦悩を滲ませながら地面を睨んだ。
「斯様に珍しい料理、お館様にすべて食して頂くべきと……」
 政宗が鋭い視線を幸村へと向ける。
 幸村は意を決した様子で顔を上げ、声を張り上げた。
「わかってはおりまするが、この幸村、政宗殿に初めて頂いた手料理とあらば諦めるわけには参りませぬ! お許し下されお館様!!」
 信玄へと向き直り、勢い良く頭を下げる幸村に、信玄は片手をぱたぱたと横に振る。
「いや、幸村よ。気にするでない。一切、全く、いささかも気にするでないぞ」
「お館様……! 何とお心の広きお言葉……!」
「うむ。然れば幸村、疾く行って参れ!」
「はっ! この幸村、風の如く火の如く、必ずや約束の刻限までに砦を落としてご覧に入れまするううう!」
 言うなり飛び出した幸村は、槍の穂先に炎を灯し、雄叫びを上げて砦目指して駆けて行く。
 政宗は、空いた将几にどかりと腰を下ろし、陣幕の外へ目を向けたまま口元で笑った。
 いつもならば、戦場で幸村の姿を目にすれば即座に斬りかかり、見物する余裕などありはしなかった。だから、幸村が戦うのを静かに眺めるのは初めてのことだ。
「Han, ……たまにはこういうのも悪くねえな」
 呟いて、政宗は笑みを深くする。
 その横では佐助と信玄とが重箱を覗き込んで中身を検分し始める。
「ふむ、それにしても見事なものじゃの。また随分と手の込んだ……」
「あ、待った待った大将。毒味しないとヤバいってまじで。何しろ作ったのあれだよ?」
「つまむな。食うんじゃねえ。あと毒は入ってねえし味にも問題ねえ。それくらいオレにかかりゃ朝飯前だ」
 目は幸村を追ったまま背後にぴしりと釘を刺して、政宗は鼻で笑い飛ばす。
 それを聞きながら小十郎は、密かに溜息を漏らした。
 
 
      *
 
 
 政宗が積極的に料理を覚え始めたのはつい最近のことである。
 
 ある日、国境付近で幸村との逢瀬を楽しみ、城へと戻ってきた政宗は、何故か不機嫌全開な気配を漂わせていた。
「……如何なされました、政宗様」
 そう訊ねたのは小十郎で、また痴話喧嘩でもしたのだろうと予想できるだけに問う声は気のないものだったが、政宗は無言で、小十郎の袖を掴むとぐいぐいと台所へと突入した。
「政宗様?」
「頼む。オレに料理を教えてくれ、小十郎」
 竈を背に、政宗の目は真剣だった。
 小十郎はその細い目を限界まで見開く。
 武術と算術、簡単な医術、料理、茶の湯は、武家に生まれた者ならば必ず習わされることだ。日頃どれほど調理に関わる機会がなかろうと、政宗とて包丁の使い方くらいはとうの昔に習っているというのに今更何を言い出すのか。
 けれど、そう言えば政宗は厳しい顔で首を振る。
「そうじゃねえ。もっと美味くて、gorgeous且つbeautifulなやつだ!」
「それは、また何ゆえにございますか?」
 訊けば、政宗は眉根を寄せ、小十郎の袖を掴む手に力を籠めると悔しさを滲ませて俯いた。
「……真田の野郎が……!」
 
 政宗と幸村が落ち合ったのは、国境付近の河原だった。
 そのまま馬を並べて辺りを走らせ、昼近くのこと。腹が空いたと口にした政宗に、幸村が持参した弁当を差し出したのだ。
 内容は政宗から見れば質素なものであったし、やや形に難があったりもしたのだが、味の方は素直に美味いと思えるものだった。食べながら何の気なしにそう褒めれば、ぱっと表情を明るくした幸村は満面に笑みを浮かべて。
 自分が作ったのだと、やや照れくさそうに言った。
 
 衝撃的だったのだ、と、政宗は話した。
 
 幸村とて武家の者。であれば料理くらいできて当然なのだが、けれど、でも。
 その場では「へえ、上手いもんだな。嫁に来いよ」とか適当にからかった政宗ではあったが、幸村は茶を点てさせてみてもどうにも下手で、見るからに大雑把そうで不器用そうで、そういえば夜は色々と器用なのだがそれはひとまず脇に置いて、まさか人並みに料理などこなしてみせるとは。
「野郎があれだけのものを作ってみせるってのに、このオレが! 真田ごときに劣るなんざ我慢がならねえ……!」
 心底耐えかねた様子で政宗は言うが、それほど気に病むようなことだろうかと小十郎は内心で首を傾げる。
 何しろ、料理の腕ひとつ劣ったところで、他の大部分において政宗は幸村より遙かに秀でている。それはもう間違いない。真田の小僧など遠く足下にも及ばないというのに。
 けれど政宗は言い出したらきかない性分だ。
 政務やら戦やらの合間を縫って小十郎や他の者から料理を学び、元来の器用さもあってすぐにある程度の腕を身につけた。
 すると今度は、味はそれなりでも形が気になる、形が良くなれば味付けの改善を、更には自分が美味いと思ったところで真田に美味いと言わせて屈服させなければ意味がないと、密かに幸村の味の好みを探ったりする始末。
 そうして、あれやこれやと研究を重ねるうちに、並の料理人では敵わないほどの域にまで達してしまった。
 嫁にでも行かれるおつもりだろうかとは、その尋常でない気合いの入り方に、小十郎が成実や綱元らに思わず漏らしたぼやきである。
 
 努力の甲斐あって、武田本陣に押し掛けて持ち込んだ政宗の料理は好評で、幸村は涙を流して喜んだ。
 
 おかげでうっかり料理が趣味になってしまった政宗は、やがて兵糧開発にまで精を出し、その幾つかは優れた保存食として、後世にまで長く伝えられるようになる。

初:2007.10.17/改:2009.05.30
政宗=料理上手の原因が、幸村のせいだったら健気で可愛いなあと思った次第。
同盟ってそんな適当なもんじゃないべという突っ込みはご容赦を。