冬来れば、

 既に暦は冬を迎えたが北の地はまだ過ごしやすい。障子越しにも日射しは暖かく、開け放てば風もない。
 気温は端々に寒さを覚える冬のものだが、耐え難いような辛さはなく、冷えた空気は身が引き締まるようで心地良いものだった。
 それではおいとま致しますと名残惜しく頭を下げた幸村に、急ぎだという書き付けをしながら振り向きもせず返されたのは、
「おう、帰れるもんなら帰ってみな」
 その奇妙な言い様に、独眼の城主へと意味を問いかけても答えはない。
 まさか包囲されているわけでもないだろうがと首を傾げ傾げ土間へと足を向ければ、常ならば前もって出されている筈の、幸村の草鞋が見あたらなかった。

 城内は遅い冬支度に入ったものか、火鉢を抱えた男衆や、かい巻きを抱えた女衆があちらの部屋からこちらの部屋へと歩き回って慌ただしく、呼び止めようとしても申し訳ございませんと詫びるばかりで足早に立ち去られてしまう。
「おお、片倉殿! 丁度良いところに!」
 運良く外を通りがかった小十郎に、幸村は救いの神とばかりに声を張り上げる。が、野菜を山のように抱えた小十郎は、ちらと視線をくれただけで物も言わずに去ってしまった。
 戸口の向こうに四角く切り取られた庭を眺めて言葉を失った幸村は、中途半端に口を開けて途方に暮れる。
 下働きの者たちに避けられるなどこれまでに覚えがない。
 片倉ら重臣には歓迎されていない節はあったが、最近ではそれもなくなっていた筈だ。
 となれば恐らく、というより確実に、政宗の指示なのだろう。
 この分では門番に預けた槍を返して貰えるかどうかも疑わしい。帰れるものなら帰ってみろとの政宗の言葉がようやく腑に落ちた。
 さてどうするか、と、幸村は腕組みして思案する。
 裸足で外に出ることに躊躇いはない。
 旅路には不都合があるが、町に出て代わりの草鞋を買い求めれば良いだけのこと。もしくは近くに来ている筈の佐助を呼んで調達させれば良いだけのことだ。気はすすまないが、槍も力尽くで奪い返してしまえば良い。
 けれどこれは多分、そういうことではないのだろう。
 政宗が仕掛けてきたいたずらだ。このまま下がれば次に会った時に、テメエはわかってねえと文句を言われるのは目に見えている。
「政宗殿。ご政務中に申し訳ないが、それがしの……」
 今さっき辞したばかりの政宗の居室へと引き返し、開け放たれた障子から文机に向かう部屋の主を見るなり、幸村はすうと目を細くした。
「……政宗殿」
「What happened?」
「その腹の膨らみは何でござろう」
 着物の袷の腹の部分に、いつの間に入れたものか、布にくるまれた何かが無造作に突っ込まれている。大きさと経緯から見るに、幸村の草履に間違いない。
 けれど指摘しても政宗は知らぬ素振りで幸村には目もくれず、花押を記すと筆を置き、かわりに針を取り出してまた文に向かう。
「It's amazing. ガキでも孕んだかな」
「奥州では男子もややこを産めるのでござるか」
「へえ、甲斐じゃ産めねえのか?」
「それがしはそこまで無知に見えるだろうか」
 紙に何やら細工を終えて、ようやく政宗が顔を上げた。
「アンタ、可愛くなくなったなァ?」
「政宗殿は随分とお可愛らしいことをなさるのだな」
「何のことだ? ――Hey, 出来たぞ」
 声に、部屋を隔てる襖が開かれ、現れた家臣が文を受け取ると頭を下げて去っていく。襖が閉じるのを何となしに見送って視線を戻せば、意地の悪い笑みを浮かべた政宗が幸村を見上げていた。
「……失礼致す」
 眉根を寄せ、足音も荒く歩み寄って懐から布包みを奪おうとしたが、寸でのところで政宗の手に先をこされた。今度は背後へと隠される。
「政宗殿」
「嫁になるってんなら返してやるぜ」
 突飛な提案に、幸村は目を丸くする。
「それは……ああ、確か、『羽衣』でござったか」
「Good. 小汚ねえ羽衣だがな」
 有名な民話のひとつだ。
 水浴びをしている天女に惚れた男が、思い余って木の枝に掛けられていた羽衣を隠し、天に戻れなくなった女を娶り子を成したという伝説。最後には羽衣を見つけた天女は、夫を捨てて天へと帰る。
「それがしは別に、その草鞋がなくとも戻れますぞ」
 ぐいと体を近づけて政宗の背後へ片手を伸ばすが、布包みには届かない。背に回れば早いと気付きそれを実行する前に、自然、密着する体勢になっていた幸村の肩に、政宗が不意打ちのように額を預けてきた。
「幸村」
 驚いて政宗を見ようとした幸村の肩を、骨張った片手が掴む。
 抑えた声がごく間近、着物ごしに息の温もりを感じる距離で囁いた。
「帰るな。……帰したくねえ」
「無理でござる」
「Shit! 即答かよ……!」
 政宗がそんな風に引き留めるのは酷く珍しい。
 心惹かれもするが、幸村とてそう長く城を開けるわけにもいかず、近く、信玄の屋敷に参じる予定もある。
「お館様との約束なれば」
「ったく、アンタはお館様お館様って」
 盛大に溜息を落とす政宗に苦笑して、幸村は政宗の背に腕を回して抱きしめた。
「それがしとて、政宗殿と離れるのは辛うござる」
 幸村の肩を掴んだ手が、同じようにして背を辿る。着物の布地を掴む。
 離したくないとの言葉の通り、更に体を密着させて政宗がいちど首を振る。
「なら、居りゃいいじゃねえか」
「それはできぬ」
「何でできねえ?」
 駄々を捏ねる子供のようだと、政宗にそんな感想を抱いたことに幸村はひっそりと笑う。
 戦場でまみえるだけの頃には強者の手応えへの、畏れと興奮ばかりを感じていたというのに、近しくなって知る意外な面が嬉しくて仕方がない。
 帰るなと繰り返す政宗が愛しくて仕方がない。
 離れたくはない。
 留まりたい。連れ去りたい。
 けれど、そのどちらも出来はしない。
 顔を上げた政宗は眉間に皺を刻み、伏せていた目をあげると幸村と視線を合わせた。
 布包みを持ったままの手を幸村の首に回し、伸び上がって顔を近づける。意図を察して、幸村は首を傾けると政宗の唇を吸った。
 音をたてて、啄むように幾度も触れる。
 やがて焦れた政宗が幸村の頭を抱え込んで深く唇を合わせ、熱い口内を互いの舌で探り合う。
 顔を離せば、二人の間で唾液が一筋糸を引いた。喉を上下させて唾を飲み下した政宗は、首を傾げて幸村の目を覗き込む。
「……なあ、残れよ。いいだろ?」
 帰したくない一心でか、政宗の言動やら仕草やらが本当に、いつも以上に可愛らしく思えて、幸村の決意がぐらつきかける。
「また参りまする。必ず。年が明ければ冬のうちに」
 告げるのは少しばかり気力が要った。政宗は唇を尖らせて俯くと、
「Operation failed...」
「む、何と?」
「何でもねえ」
 かすかな舌打ちを聞いたのは気のせいか。甘えの仕草でまた肩に額が擦りつけられる。
「その頃にゃ、馬も難儀する雪道だぜ。そう易々と来れるもんかよ」
「ならば雪を溶かして参る」
 言えば、政宗が吹き出した。
「溶かす、か。アンタらしい言い分だ」
 幸村は政宗の髪を撫で鼻先を埋めて、頬を擦り付け、口づける。
「それがしの郷はあまり雪が積もらぬのだ。次の機会には、奥州の雪遊びを教えて下され」
「Okay, お安いご用だ。……だがなァ」
 手に持った草鞋入りの布包みを、政宗が部屋の隅へと放り投げる。
 それに気付いた幸村が立ち上がって拾いに行こうとしたところを、足を払われて盛大に転ばされた。咄嗟に受け身を取って堪えた幸村の上に影が差し、見上げれば、物騒な笑みを浮かべた政宗が腕を組んで仁王立つ。
「帰るな、っつってんだろうが」
「――またそこに戻るのでござるか!?」


 その頃庭の片隅では、木の枝に腰掛けて主を待っていた佐助が、足下から呼ぶ声に視線を落として目を丸くしていた。
「あれま右目の旦那、よくわかったねー。お元気そうで何より」
 飄々と声を返すが心の中では、ほんっとに忍び込みづらい城だよと溜息をついていたりする。
 以前、まだ政宗と幸村とがただの敵対関係でしかなかった頃、佐助は信玄の命令でこの城に忍び込もうとして、あっさり政宗に見つかった事がある。しかもその政宗の気配に佐助の方は気付かず、背後を取られたという不覚のおまけつきだ。
 そして今度は小十郎まで。
 こうなると自分の忍の資質に問題があるのではないかとすら思えてくる。
「挨拶なんざいい。下りて来い」
 言われるままに飛び降りれば、小十郎は両腕に抱えていた野菜を痛めないよう静かに地面に置くと、持っていけと佐助に言う。
「え、何。何で?」
「土産の礼だ。明日から霜が降りるかもしれねえからな、多目に採ってきた」
「へーえ……? んじゃまあ、ありがたく」
 土産というのは幸村が持参した甲斐の特産品の事だろう。政宗に食べさせたいと買い求めたものだったし、数日間の滞在の礼で帳消しとも思うが、くれるというならば断る理由もない。小十郎の作った野菜は絶品だ。味が濃く濁りがない。
 好きに選べと言われて日持ちのしそうな物を選り分け、けれど青物の瑞々しさも見れば捨てがたい。新鮮なうちに道中で食べれば良いかと考え始めたところに、植木の影からひょいと覗いた傷だらけの顔と目が合った。
「うわ嘘。ほんとに真田帰んの?」
 現れた政宗の従兄弟は二人の側にしゃがみこむと、眉尻を下げて佐助と小十郎とを交互に眺める。
「帰るけど、なんで傷の旦那がそんな顔してんの」
「だってなあ」
「今、政宗様が引き留め工作を仕掛けているそうだ」
 仏頂面の小十郎は面白くなさそうに言うが、成実は途端に目を輝かせた。
「マジで? 梵気合い入れろって、旗作って振っとくか」
「……旦那方、いつの間にそんなにうちの旦那気に入ったわけ」
 これまで早く帰れと言われることはあっても、惜しまれたことなど覚えがない。あちらこちらに傷の走る成実の顔をまじまじと見れば、どこか拗ねたような様子で成実が口元を曲げる。
「だって時期が時期だぜ? アイツ帰ったら絶対霜下りるって。雪降るかもしれねえし。寒くなるからヤなんだよ」
「……あの野郎が来てから、気温が秋の半ばに戻ったからな」
「そうそう。夏は来て欲しくないけどさ、冬はずっと居てくれていいぜ」
「あんたらうちの旦那を何だと思ってんの……」
 大根片手に佐助は思わず幸村に同情する。遅いと思ってはいたが、今頃政宗に必死に引き留められているのだろう。
 理由も知らず、熱烈に頼まれて、万が一にも幸村の気が変わらないことを祈るばかりだ。どんな手段を用いられているかについてはあまり想像したくない。
「なあ。野菜やるから冬のあいだ真田こっちに寄こせよ。減るもんじゃなし」
「あんたの野菜じゃないでしょうが。それにうちの大将もそろそろ寒がり始めるから駄目」
「そっちだって同じなんじゃねぇか」
 佐助の持っていた大根を横から引っ張っていた成実は、振り解かれてつまらなそうに舌打ちを落とす。
 そうしてふと悪戯を思いついた子供のような目で、佐助の顔を覗き込んだ。
「ところでさ、引き留め工作って、具体的に何してると思うよ」
「うわやめて、俺様それ考えたくない」

 そうして大の男が三人、植木の陰にしゃがみ込んでぼそぼそと話している頃、政宗の私室では。

「Hey, 何なら足腰立たなくしてやってもいいんだぜ?」
「いや、政宗殿それは! うわ、」
「礼儀を知らねえ野郎だな。もっとありがたがれよ」
 当初の目的を忘れるのは時間の問題という風情。
 転ばされた幸村が政宗に仕返しをし、その更に仕返しをと畳の上で暴れているうちに、着物は乱れ四肢は絡み合い、その気になった政宗が実力行使に出て、何となく大方の予想通りになっていた。

 冬来れば、真田離し難し。

初:2006.11.26/改:2009.05.30
公式の占いによると、幸村は地球温暖化の原因になっているらしいので冬はあちこちで取り合いかと(そして夏は押しつけ合い)。成実の容姿は漫画版(乱世乱舞)参考。