Please call my name

 真田幸村の人となりを訊かれれば、まず第一に暑苦しいと答える。
 機嫌が良いときならば褒めてやらないでもないのだが、馬鹿正直、猪突猛進、それから……と、まず胸に浮かぶのはそんな言葉ばかりだ。
 煙管をふかしながら見るともなく庭の景色を眺めて、政宗は苛々と、その様子を表に出すことはしないが内心では堪えようもなく苛々と、紫煙を足元に吐き出した。
 今誰かに、真田幸村とはどのような男かと問われたならば、政宗はとんだお喋りだと答えるだろう。
 人の話を聞かないかというと、そういうことはない。場の空気を読み、物静かに隣に居ることもある。だが、放っておけばとにかくよく喋るのだ。手振り身振りを交えて、他愛もない話題を、呆れるほどに途切れることなく話す。いっそ口を滑らせて武田の内情でも漏らしてくれれば政宗にとっては好都合なのだが、幸村がそういった類の馬鹿ではないのが惜しまれる。
「某としては呆れるほかなかったのだが、お館様は気にも留めずに笑っておられるばかりで、またその時の佐助の言葉が……」
 お館様が。
 佐助が。
 甲斐とは一時的な同盟を結んでいるとはいえ、信玄公はともかく、自国の忍隊の長の名前をそう軽々しく口にする奴があるかと、言葉にせずに毒突いてみる。これまで数え切れないほど会話の中に出てきた名前であるし、第一、あの忍はいくさ場で自ら名乗っているという。だから今更だ、わかっている。馬鹿につける薬は日の本全国津々浦々探し歩いたところでありはしないし、あったところでそんな貴重な薬をあの忍やこの馬鹿にくれてやる気はない。それにしても誰が『つける薬』などと言い出したのだろう。つけるというからには軟膏か。塗布する部位はどこだ。額か? 塗り薬がどうやって頭の中身に影響を与えるというのか。
 苛立ち任せに考えは、横道へ横道へと逸れて行く。
 そうして気が紛れるまで逸れきってしまえれば良いのだが、途切れることなく幸村の声が聞こえてくるせいで、否応なく苛立ちのはじまりのところまで引き戻される。
「……という具合に、佐助ときたら頭から某を馬鹿にしておるのだ。全くあいつは……」
 某が、佐助が、佐助が佐助が佐助が――――。
 かん、と高い音で煙管が煙草盆に打ち付けられ、それに気を取られた幸村の言葉が止まった。大きな目が反射的に音の出所を探して煙管を見遣り、呆けたような一瞬の後。
「真田」
 地を這うかの如き低音に名を呼ばれ、幸村は慌てて政宗と目を合わせた。
「何でござろう?」
 見返した政宗の隻眼は細められて、酷く冷ややかな視線を幸村へと向けてくる。
 怒っている。
 これは猛烈に怒っている。
 そのあからさまに不機嫌な様子を見て取って、幸村は硬直し、次いで激しく動揺する。
「ど」
「帰れ」
 おそらくは名を呼びかけただろう声を遮って、政宗は斬り捨てるようにそう告げた。
 
 
 そもそもの苛立ちの原因はといえば、至極些細で、且つ下らない事である。
『佐助か?』
 つい先刻のことだ。ふと立ち現れた気配に庭を見遣った幸村の視線の先、夏のはじめの日射しに焼けた土の上に、呼応するように武田の忍が姿を現した。
 幸村の采配が必要な事態でも起きたのだろうか。失礼すると断って縁に出た幸村は、佐助と小声で何事かを話すと一つ頷き、同じように頷き返して跳躍の姿勢を見せた忍の腕を、紅い手甲が咄嗟に掴んで引きとめた。
 高く跳ね上がろうとした勢いと、引き戻そうとする腕の力とで、忍は無様に体制を崩す。
 ちょっと旦那なにすんの危ないでしょ、と慌てた忍が叱責の声をあげたのも無理はない。
『すまん。すまぬついでに頼まれてくれ、俺の──』
 そうしてそこだけ漏れ聞こえた声に、政宗は目を瞠った。
“俺”。
 考えてみれば不思議なことでもない。日常、家の者や部下を相手に“某”とは言わないだろう。けれど幸村の口からその自称を聞いたのは初めてで、新鮮さを覚えると共に、奇妙な不快感が政宗の腹の底から湧いてきた。
 佐助には「俺」で、政宗には「某」。
 公私の使い分けにしても、人払いをして二人きりで居る時に、公も何もありはしない。
 更に言えば佐助には「佐助」で、政宗には「伊達殿」もしくは「独眼竜殿」だ。
 立場と身分を考えれば当然のことなのだが、それらを無視したあんなことやこんなことをしているくせに、口調だけ畏まったままとはどういうことか。
 考え込んでいるうちに戻ってきた幸村は再び話し始めて、まるで嫌がらせのように佐助佐助の大連呼だ。
 下らなかろうと何だろうと腹を立てて当然だ、と、憮然として幸村を睨み付ける政宗は自覚していない。
 人、それを嫉妬と呼ぶ────。
 
 
「そ、某、独眼竜殿のお気に障るようなことを言っただろうか!?」
 おろおろと膝で政宗へとにじり寄った幸村目がけて、政宗は吸い込んだ煙をふうと吹き付ける。
「……胸に手ェ当てて考えてみろ」
 幸村からすれば言いがかりのようなものだ。考えたところで思い至る筈もないのだが、尊大な態度でそう告げて、政宗は幸村を睥睨する。
 身を捩って煙をやり過ごした幸村は、避けきれなかった分を吸い込んでしまったらしく軽く噎せた後、肘掛けに凭れた政宗を情けない表情で見上げた。
「胸に、でござるか?」
「おうよ」
「では失礼して……」
「──って俺の胸に手ェ突っ込むな!! テメエの胸に聞けってんだよ!!」
「おおお、成る程!」
 着物の袷から侵入しようとした手をすんでの所で叩いて阻止し、政宗は声を荒げる。狙っているのかそうでないのかいまひとつ判別がつかないが、時折思いもかけない行動を取るので油断がならない。危うく思考が停止するところだった。
 幸村はといえば神妙な面もちで、改めて自分の左胸に右の手を当てる。瞼を伏せて思案する様子を見せていたかと思うと、ふと、その目が何かに気づいた様子で瞬きした。
「Did you understand?」
「あ、いや、何でもござらぬ」
 言葉にのせられた疑問の響きに否定を返す幸村の額を、政宗は片手で掴むと強引に上向かせた。
「何か気づいたって顔してたぜ? 言ってみろよ」
「言えぬ。言えば独眼竜殿はきっとお怒りになる」
「もう怒ってんだからこれ以上怒りようがねえだろ。いいから言え」
 ならば、と言い置いた幸村は、額を掴んだ政宗の手を遠慮がちに取ると、自分の胸にぴたりと当てる。
「如何でござろう?」
「……俺の手を当ててどうする気だ」
「某、少し胸板が厚くなったと思うのだが」
「…………それに気づいたってわけか」
「左様」
 胸に当てさせられた自分の手を見つめ、真面目くさった幸村の顔を見つめ、政宗は片頬を歪めて笑んで見せる。
 それにつられたように表情を崩した幸村は次の瞬間、渾身の力で蹴り飛ばされ、転がりながら庭に落ちた。
「Get out of here! 出てけ!!」
 かなりの距離を転がったのだが、常日頃、主君である武田信玄の拳を受けている幸村にとってはたいした痛手でもない。勢い良く起きあがるとその場に両膝を付いて、仁王立ちした政宗を見上げる。
「そういう台詞は蹴り出す前に言ってくだされと何度も!!」
「Okay, じゃあ“奥州から”出てけ!」
「なっ……お怒りにはならぬと申されたではござらぬか!」
 確かに言ったが、こうも予想していない方向へと進まれては、前言撤回もやむを得ないというものだ。
 それにこれは怒りというより、呆れと脱力の類だ。
 腹に溜まった苛立ちを吐き出すかのように鋭く溜息を落として、庭に背を向けた政宗が障子に手をかけたところに。
「独眼竜殿、俺の話を聞いてくだされ!」
 障子を閉めかけた政宗の手が止まった。
“俺”。
 それは意図してのものではなかっただろう。幸村は自分の言葉遣いが崩れたことなど気づいてもいないに違いない。
「考えてみてもどうしてもわからなかった! 不適切な物言いがあったならば、教えてはいただけぬだろうか!」
 言い募る幸村を余所に、政宗はといえば先ほどの一言を反芻していたりする。
 堅い口調も悪くはないが、やはりくだけている方が良い。素が出ているという印象を受けるのが良い。たったあれだけのことが嬉しいなんざcrazyな話だが、俺に向かって“俺”っつったぞ、Hey 聞いたか野郎共!
 人払いをしているのだ。誰も聞いている筈がない。
 そんなこととは思いもよらない幸村は、口もきいて貰えぬ程怒らせてしまったのかと悄然と肩を落とす。
「伊達殿……後生でござる」
 犬ならば耳が垂れているに違いないその風情。
「某はただ、伊達殿に笑って頂きたかっただけなのだ……」
 
 幸村の語っていた内容は、自慢の忍の失敗談だった。
 忍としての任務の話ではなく、言いつけた屋敷回りの雑用を妙な手段でこなしてみせて、信玄公と幸村を呆れさせたという話。常ならば政宗も、笑って相づちを打てたに違いない話だ。
 幸村はよく喋る。手振り身振りを交えて、他愛もない話題を、呆れるほどに途切れることなく話す。けれどそれは大抵において、政宗を楽しませるためのものなのだと。
 知っている。知っていたはずだ。政宗とて、そんなことくらいは、言われずとも。
 その幸村にこうして頭を下げさせているのは、下らないことで腹を立てて叩き出そうとまでした自分の態度なのだと、改めて考えて政宗の怒りは完全に消沈した。
 言葉にすれば良かっただけのことだ。幸村は暑苦しく直情的だが、不躾ではない。政宗から許可しなければ、自称を崩すことも、政宗を名前で呼ぶこともしないだろう。
「真──」
 入れ替わりにに湧き上がってきた己の言動への羞恥は表に出さず、この状況をどう繕ったものかと悩みながら口を開きかけたところに、ひゅ、と空を切る音が割って入った。
「……何してんスか、旦那」
 どこぞの木か、或いは屋根の上から跳んだものか。体重を感じさせない動きで主君の傍らに着地した佐助が、幸村と政宗とを見比べると、またかとでも言いたげな呆れた様子で自らの肩を叩いてほぐす。
「それが」
「あーはいはい、叩き出されたってとこね。じゃあ予定より早いけど帰るとしましょ。俺様もう甲斐と奥州何度も往復してその間に使いっ走りさせられんの疲れたし、旦那が早く戻ればお館様も喜ぶでしょ。ああ、お使いの首尾は道々報告ってことで」
「ざけんな忍! 誰が帰っていいっつった!? テメエ一人で消えやがれ!」
 ついさっき帰れと言い捨てたことは綺麗に棚上げして、政宗は掴んだ刀を鞘ごと、幸村へと伸ばされた忍の腕目がけて投げ付ける。身を逸らしてそれを受け止めた佐助は、目を細めて矯めつ眇めつした後に幸村へと押しつけた。
「真田。それ持って戻って来い!」
「よろしいのでござるか!?」
 舌打ちする佐助のことなど最早気にもとまらない様子で、刀を抱えて立ちあがった幸村の帯に、佐助は素早く報告を記した紙を挟み込む。やれやれ、と見上げた先、戸口に立つ政宗に大変物騒な眼光で睨み付けられて肩をすくめると、そそくさとその場を退散した。
 
 
 
 
 
「それで伊達殿、お怒りになっていた理由とは」
「あァ? その話はもういいんだよ」
「否、お聞きしておかねば、某はまた同じ轍を踏むやもしれぬゆえ!」
「Shut Up!! もういいっつってんだろ! そんなことよりアンタ俺の」
「伊達殿がよろしくとも某は納得致しかねる!!」
 そうしてしばらくの間、政宗は幸村のしつこい追求を受けて困らされた。

2006.07.09