深く眠る

 優しくしたいと、その気持ちは本当なのに、それが叶った例しがない。歯止めが効かない。呆れ混じりにがっつくなと前髪を掴み上げられれば、ひととき取り戻した羞恥混じりの理性が体に自制をはたらきかけるが、すぐに熱に溶けて見失う。受け入れる側にかかる負担がどれほどのものかは身をもって教えられているのだが、判っていても抑えが効かず、反省の念が込み上げるのはいつも気が済むだけ貪って果てた後だ。
「申し訳ござらぬ……」
 ああくそ、と忌々しげに呟いた政宗は、始末が終わるなり幸村を蹴り飛ばして布団に突っ伏し、ひとりで上掛けを占領してしまった。
「アンタが落ち着くのと、俺が慣れるのとどっちが先だ……」
「おそらく伊達殿が慣れるほうが痛ッ!」
「反省の色がねえようだなァ?」
「申し訳ござらぬ……」
 布団の中から伸びてきた指に、力任せに弾かれた額を抑えて幸村は項垂れる。
「伊達殿」
 髪の合間に眼帯の紐の見える後頭部に向かって、悄然と呼びかけたが応えはない。行為のあいだに半ば外れかけていたそれは、既にきっちりと留め直されてしまっている。
「今宵は冷えまするぞ。一人でお休みになるのか」
 雪が降りそうだ、と日の沈む刻限に誰かが言っていたのを聞いた。見上げた空には重い灰色の雲が垂れ込めていて、吹く風は刃の鋭さで皮膚を刺した。吐く息が白く濁って空気を染め、並んで空を見上げた政宗の耳は寒気に赤く染まって痛そうで、手で覆えば冷え切った冬の温度だった。
 積もったら合戦でもするかと笑うので何事かと思えば、雪合戦だと言う。ひとの死なないいくさ。遊びといえど負けぬと意気込んで答えれば、俺は強えぞと鼻で笑われた。そんなところでも負けず嫌いだ。
 雪が積もれば行軍はかなわない。積雪を押して攻め入る者もいない。竜はひとときの休息を得る。
 さて積もったら自分はどうやって甲斐に戻ろうかと、考えながらも離れがたく、結局当初の予定通り泊まってしまった。
 熱を持って汗ばんでいた体が、室内の隅までを支配する冷気に急激に冷まされて、鼻にむず痒さを覚えてひとつくしゃみを落とす。もしかしたらもう降っているのかもしれない。仕方なく離れた場所に伸べてあるもうひと組の布団に移動しようとしたところで、政宗が上掛けの端を持ち上げた。笑み崩れてそこに入り込む。入り込むなり、鼻を捻り上げられた。
「なァんで俺の教えた通りにできねえんだよ」
 俯せた姿勢のまま横目で睨まれて、幸村は眉尻を下げる。
「心がけてはいるのだが……」
「アンタそりゃ嘘だろ。全っ然心がけてねえだろ」
「嘘などではござらん!」
「あーそうかい。なら余計悪ぃ」
「む……」
 情けない顔をそのままに、幸村は布団に伏せた政宗の耳たぶを指先でひっぱった。すぐにぴしりと払い除けられる。眼帯の結び目をひっぱれば、更に強く叩かれた。
 はじめの頃はそれを外すのに躊躇いなど見せなかったものが、いつからだか酷く嫌がるようになった。今では体を重ねている最中も、寝ているあいだも付けたままだ。何がきっかけだったのかはどれだけ思い返してみてもわからない。傷痕くらいで政宗の何が損なわれるわけでもないというのに。
 仕返しとばかりに手が伸びてきて、幸村の後ろ髪を掴んで引っ張り、政宗が吐息で笑う。その手をほどいて、口元に引き寄せた。
「愛しい」
 指に唇を寄せながら吐息にのせて言えば、顔を上げた政宗が一瞬、ほんの瞬きのあいだ息を詰めるようにして、それから眉根を寄せて笑う。
 合戦場では鬼神さながらに。
 常は余裕とどこか含みを持たせて、時には威圧感を漂わせて。
 政宗の顔を脳裏に思い描こうとすればその大半は口元に弧を描いている。それくらい常に笑みを纏っているというのに、政宗というひとは、本当に嬉しい時に上手く笑うことができないのだと、そう長くもない付き合いの中で幸村は知っていた。
「伊達殿が愛しい」
 政宗はきっと気付いていない。
 いつか教えてやろうと考えながら、そんな不器用な一面もまた愛しくてたまらないので、今はまだ口を噤む。
 かわりに、ふと思いついた策を口にした。
「愛しいとは、異国語で何と言うのでござるか」
 言葉を引き出すための幼稚な策。即座に意図を読みとって、政宗が半眼になる。
「……Oh, 知恵が回るじゃねえか。言わねえぞ、俺は」
「そうか、知らないのならば仕方がない」
「知ってるけどな」
「知らないのだな」
 むっとして体を起こした政宗が、何事かを言いかけて、結局、言葉にしないまま口を噤んだ。
 もしも、と呟いて体を反転させると仰向けに布団に横たわり、顔だけを倒して幸村へと向ける。
「もしも?」
「まあ絶ッ対あり得ねえが、万が一」
「くどいでござるよ」
「俺がお前より先に死んだら、俺の胸開いて確かめろ」
 目を丸くすれば、政宗の手が、幸村の手を逆に掴んで同じように口元に寄せた。柔らかな感触と吐息が触れて、暖かく濡れた舌先がちらと指を舐める。
「……上手くすりゃ、ろくでもない言葉の一つや二つ転げ出る」
「それは……楽しみでござるな」
「繰り返すがぜっっってえあり得ねえからな」
 布団に軽く潜り、ここに在るのかと、緩やかに上下する胸に頭を乗せて耳を寄せた。聞けずとも在るのだと口にしてくれたそれは、彼の最大限の譲歩だろう。規則正しい心臓の音が聞こえるばかりだが、ひどく安らぐ。
 Good nightと囁かれるのは就寝の挨拶。意味を知っても、どれもこれも音楽のようで、心に落ちない。
「ああ、また」
「ん?」
「今度、異国の歌を聴かせてくだされ」
 幾度か聞いたそれは幸村の知る楽曲と比べてひどく掴み所のない旋律で、けれど政宗には似合っているような気がした。
 政宗の言葉ならば大抵覚えている自信はあるが、言語が違えばやはり記憶からすり抜ける。歌詞も、旋律も忘れてしまった。次にはしっかり覚えておこうと思う。
 自分が全て、覚えておこうと思う。
 気が向いたらな、と答えた声が肌を伝って直接耳を震わせる。政宗の手が後ろ髪を梳く感触が心地よい。
 朝日を受けて障子の外に白く輝く雪景色を思いながら、幸村は目を閉じた。

2005.12.21