国境にて
甲斐との国境付近に武装した兵の集団あり。
出先でその報せを受けたとき、咄嗟に期待したのは朱い痩身の姿だった。
まみえたのは一度きり。
そのたった一度で倒すべきと定めた相手。
全身が歓喜にうちふるえるような鮮烈な邂逅は、勝負がつかぬうちに双方の増援が到着し、両軍共に消耗ばかりが激しい戦になっていたことから、頃合いを見て退く結果となった。
次に会った時は仕留めてみせる。消耗など構うものかと、追撃に転じたい思いを抑えながらそう決めた。もしやと思えば心が浮き立つ。
国境にほど近い場所に滞在していたのを幸いと、兵の指揮を重臣に投げ、制止の声も聞かず、政宗はごく少数の手勢のみを連れて月明かりを頼りに西へと急いだ。
けれど馬を潰す勢いで国境を防衛する門へと駆けつけてみれば、夜襲をかけてきた件の集団には何の旗印もない。
Coolじゃないにも程がある、と舌打ち混じりに呟いて、政宗は梯子を足掛かりに塀を越える。刀を抜き放ちながら、門前に群がる敵の中へと降り立った。
予め門の警備にあたっていた兵士達の殆どは倒れている。されるがままに鉄柱で突かれた門扉はぎしぎしと悲鳴を上げて裂け始めている。
鉄柱兵と弓兵を優先的に排除するよう手勢に指示を飛ばし刀を振るうが、さほど訓練されていない様子の敵兵達は斬り伏せるのは容易くとも、手傷を負って逃げる端からまた新手が現れる。闇に沈んだ道の先からまるで無限に湧くかのようできりがない。
それに対して政宗の手勢は、腕のほどは比べようもないが、数に押されて一人また一人と負傷して退いていく。深手を負っても残ろうとする者を叱り飛ばし、どうにか門を越えさせて内へと逃がす。
混戦の中、政宗とて無傷ではいられない。振り下ろされた鉄球が肩を掠め、二刀にしていた刀の片方を取り落とした。すぐさま腰から次の一本を抜き、振り下ろされた刃を弾く。
God damn, と呪いの言葉を吐き、酷使に限界を訴える両腕を叱咤して次の一撃をと繰り出したところに、
「あらら、随分苦戦してるじゃないの」
頭上から声が降ってきた。ぎくりと政宗の全身が緊張する。
その、妙に暢気な声には聞き覚えがあった。
最悪の状況だと歯噛みする。
迫ってきた兵を弾き飛ばし、鎧の隙間に刀を突き入れて、転がる体から引き抜く。門扉から飛びすさって塀を見上げれば、風変わりな装束の人影が頬杖をついて座っていた。
「――武田の忍!」
「あ、残念。俺様、正確には真田忍隊の」
「うるせえ、草は草だろうが!」
「ま、そりゃそうだけど。あのー、よそ見してるとヤバいんじゃない?」
誰のせいだと怒鳴りつけたいが、この状況で現れたくせに真田の忍は敵意も持たず、それどころか政宗の加勢に入った。
塀の上の忍が指先で何かを弾く。と同時に、斬りかかってきた黒鎧の幾人かが悲鳴を上げ、顔を押さえて蹲った。地面に落ちた何かを足の先で確かめれば撒き菱だ。
「……何のつもりだ」
「俺様も気はすすまないんだけど、主のご命令なんでね――っと。ああ、やっと来たわ」
言うなり忍は鋭く指笛を吹き、直後、空気を叩く羽音が響いた。闇に溶けたような漆黒の大鳥が一羽、低く鋭い滑空で兵士の群れを乱して飛び去るその向こうから。
硬い剣戟の音、混戦の怒号、門扉の軋み、呻き声、足音、それらすべて掻き消すかのような雄叫びが夜の空気を震わせて届いた。
政宗は声に気を取られた幾人かに太刀を浴びせかけ、這うように逃げていく兵士から視線を剥がし、身を翻して雄叫びの主の姿を視認する。
「――真田」
幸村、と、呟く語尾は掠れて消えた。
立ち塞がる黒鎧を二槍で排しながら突進してきた幸村は、その勢いのまま政宗の隣に滑り込むと、手近な兵を薙ぎ払う。
合戦の場で見た出で立ちではない。身につけているのはそのあたりの庶民と大差ない軽装だが、長く伸ばされた後ろ髪と、それよりも長い朱の鉢巻きだけが記憶と寸分違わない。
「助太刀致す!!」
「……あァ!?」
気が付けば塀の上にいたはずの忍も地上へと降り立ち、幸村を補佐する形で大振りの手裏剣をふるいだす。
「佐助!」
「あいよ、っと」
ひゅうと鋭く空気を裂いて、門扉に矢が数本突き立った。幸村の声に応えて、その飛んできた方角へと忍の姿が瞬きの間に消える。
射手を排除しに行ったのだと、それは政宗にもわかった。余程信頼しているのか、幸村は矢のことなど気にかける様子もなく、門を壊そうと押し寄せる兵を一心に薙ぎ倒す。しばらくして血の臭いを纏わせた忍が戻ってきた。幸村がそれへとひとつ頷く。飛来する矢はもうない。
「Damn it!! どけ! 武田に手を貸される謂われはねえ!」
剣をふるいながら、政宗は傍らで戦う幸村へと声を上げる。
「退かぬ! 疑いをかけられてはこちらとて困るのだ!」
「んなこと誰が思うかよ! 信玄公ならこれ見よがしに旗印掲げて来るだろうさ……!」
苦く言えば、ちらりと幸村が振り返った。動きにつれて鉢巻きが跳ねて、鮮明な残像を残す。その口元が微かに笑みを浮かべて何事かを言いかけたその矢先。背後で重い音と共に門扉が開き、暗い空に鬨の声を響かせながら人馬が勢い良く躍り出てきた。
咄嗟に、手を伸ばしたのは政宗と忍とが同時。
幸村の腕を先にとらえたのは政宗で、力任せに引き寄せたその体を背後に庇った。その動きで、幸村を狙いかけた馬上の槍の穂先が逸らされる。高く跳躍した忍が闇の中に消えて、政宗は詰めていた息を吐いた。
「政宗様、ご無事で!」
転がり出てきた重臣が政宗の姿を認めて泣きそうに歪み、次いで、背後の幸村に目を留めて眉を寄せる。
「遅え」
「申し訳ありません。……そちらの方は?」
問われて、悩んだ後に
「客人だ」
とだけ告げて、政宗は幸村を門の内側に引っ張り込んだ。薬箱を持って参りますと重臣は門の奥へと走っていき、政宗はたたらを踏んだ幸村の襟を掴むと塀に押しつけた。
「Hey, 随分都合良く現れたじゃねえか。真田幸村」
襲撃が信玄の指図だとは思わないが、騒ぎを知って領地から駆けつけたにしては、幸村の動きは迅速に過ぎた。予め国境近くに居たとしか考えられない早さ。
低く問えば、幸村は苦しげに面を歪めながらも、真っ直ぐに政宗と目を合わせる。
「それは……偶然近くに来ていただけのこと。旅の商人が国境の山道に不審な集団を見たと、噂を聞いて様子を見に来ていたのだ」
「へえ? 信じると思うのか?」
顔を近づけ、睨む強さで幸村の目を覗き込めば、同じだけの強さで視線が返ってきた。
「信じるかどうかは貴殿次第。だが、それがしは嘘偽りを語る口は持たぬ」
しばらくそうして睨み合った後に溜息を吐いて、政宗は掴んでいた襟首を離した。自分も壁に凭れて幸村の隣にずるずると座り込み、疲労した体に重いばかりの兜を取り去り適当に転がす。
政宗をのぞき込むように幸村が膝をついた。
「……その、どこか痛むのでござるか」
「うるせえ。それよりも腹が立つ」
「うむ。正体も明かさずに攻めてくるとは、卑怯な輩でござったな」
「それもそうだが、そっちじゃねぇ」
「は?」
困惑した声に政宗は忌々しげに舌を鳴らす。
「アンタが得物持って、オレの前にいて、なのにあんな雑魚を相手にしなきゃならなかったんだ。腹も立って当然だろうが」
苦虫を噛み潰すように呟いて幸村を睨みつければ、目を丸くした幸村が、ややあってくしゃりと笑った。
そうしてみれば幸村は、合戦場で会った時とは随分雰囲気が違う。若いは若いが、いっそ幼い印象を受ける。
武器を抜くと人が変わる性質かとしげしげとその姿を眺めて、政宗は違和感に眉を顰めた。正体はすぐに知れた。現れた時には確かに両手に携えられていた筈の槍が、一本欠けている。
「アンタ、槍はどうした」
「ああ……」
苦笑した幸村の視線が門の外を示す。人と騎馬とが入り乱れるそちらへと目を向ければ、踏み荒らされた地面に、無惨に折れた朱い槍の残骸を見つけた。門が開いた時に取り落として、そのまま馬に踏まれたというところか。
「Ah...I see. 一応後で拾わせておくが」
「いやー気にすることないって。この旦那は元々武器の扱いが杜撰でさ。癇癪起こしちゃ地面に投げつけるし」
「佐助! 余計なことを……!」
気配もなく現れた忍が、幸村の傍らに片膝を付いて頭を垂れる。
「もうすぐ片付きそうな雰囲気だぜ。潜んでる輩も撤退を始めてる」
そうか、と幸村が頷くと、忍の姿は再び夜陰に紛れて消える。
壁に凭れた姿勢で政宗はぼんやりとそれを見送り、口の中で痛ェと小さく呟いた。体のあちこちが悲鳴を上げている。
布と水と薬箱を抱えた重臣が、人ごみをかきわけて近づいてくるのが見えた。
「おい。暇なら鎧外すの手伝え」
「承知致した」
片膝をついた幸村の目線が近くなる。それへと、
「助かった。礼を言っておく」
政宗は小さな声で、幸村の顔を見ずに呟いた。
その声をかき消すように、門の外でわっと歓声が上がった。
捕らえた幾人かの兵は皆、猿轡をかませる間もなく自ら命を絶った。それだけの覚悟のある者が身元の知れるような物を持っている筈もなく、所属不明の軍の正体を知る手がかりは失われた。
その日は夜が遅かったこともあり、政宗は門を守る兵士が使う小屋に幸村を招き入れ、自分もそこに留まることにした。
防衛にあたった中で主だった家臣を並べて、ひとまずは儀礼的に、幸村の助力への謝辞を伸べる。だが畏まったのはその時だけで、すぐに姿勢を崩すとにやりと笑った。
「堅ッ苦しいのはこれくらいにして飯にしようぜ。それと酒だ。飲めるだろ、真田幸村?」
家臣たちも政宗に倣ってくつろぐと、腹が減っただとか、奥州の酒は美味いぞ飲んでいけだとか、口々に話し始める。
「お心遣い痛み入る。だが、それがしはこれにて」
「Don't argue back. もう用意しちまってるんだ。食ってけよ」
言い差した幸村を異国の言語で遮り、政宗が顎で土間を指し示す。
「といっても、ここじゃ十分な食材もねえ。甲斐の客人を饗するにゃ、ちっとばかし粗末な飯かもしれねえがなァ?」
「いや、それがしはそのような」
土間と、古びた木の引き戸で仕切られた二間のみの小屋のこと、言うまでもなく煮炊きの匂いは鼻に届いて胃の腑を刺激する。
「なら、おとなしくもて成されろよ。あれくらいで疲れたわけでもねえだろ」
「むしろ、お疲れなのは独眼竜殿でござろう」
「HA! オレはそんなにヤワじゃねえぜ?」
「しかしその、外に佐助もおりますし」
「あァ? ……あの忍か。いいぜ、何なら呼べよ」
「いや、さすがにそういうわけには!」
こともなげに言う政宗は、胡座の膝に肘を置き頬杖をつくという姿勢で、周りの家臣たちもすっかり足を崩して雑談などしている。
幸村にも伊達軍のくだけた気風は感じ取れるが、さすがに一国の領主と他国の忍が同席して酒を飲むのはどうなのだろうと、そちらの方は固く辞した。ならばお前だけでも付き合えと言われれば、もう断る術はない。
炊きたての白い飯と、魚や根菜や青物の入った具沢山の汁物が鉄の鍋ごと板間に運ばれて、政宗と家臣が一緒になってそれをつつくのに幸村も混ざる。主君と家臣というより、大所帯の家族のような雰囲気だ。
小屋の外、門のあたりでは修繕の音が響いていたが、応急処置は終えたらしい。そちらでも宴会が始まったらしく、兵士達の手拍子に乗せた調子外れな歌声と合いの手、それに混じって歓声が届くようになった。
ひとしきり騒ぎが続いたあとやがてそれも静まり、時折笑い声が聞こえるのみになる。
それを聞くともなしに聞きながら、盃を傾けていた政宗は周囲を見渡して溜息をついた。
「ったく、情けねえ……」
視線の先ではすっかり酔い潰れた家臣達が、適当に横になって寝息を立てている。小屋の中で意識を保っているのは、政宗と、意外にも酒好きだった幸村の二人だけだ。
もっとも政宗がそれを意外に感じたというだけのことで、別段並はずれて強いというわけでもなさそうだ。現に、幸村が顔を耳まで紅潮させているのに対し、倍近い速度で盃を干している政宗は目元が少々染まった程度。だが杯を進める速度は遅くとも、上機嫌で呑む様は好ましかった。
政宗の盃に酒を注ぎ足し、幸村は笑う。
「独眼竜殿はお強いな」
「おう。部下にも強えのはいるがな、生憎今日は留守番だ」
「そうか……。それがしの知る中では佐助……その、先ほどの忍だが、あれが強いな。強いというよりどうも酔わぬ性質らしく、どれだけ飲ませても顔色も変わらなければ、様子が崩れたこともない」
「Humn, 忍ってのはそういうもんかねえ。飲ませ甲斐がなくてつまらねえだろうが」
「全くでござる」
手の中で瓶子を振って示せば素直に盃が差し出され、それに酌をしてやりながら政宗はふと目を細めた。
盃を傾けながら他愛もない話をして笑い交わす。そうして随分な時間が経ったというのに、気が付けば、幸村はあまり自分のことを話していなかった。
甲斐では何が美味いと訊けば、悩んだ末に「お館様はほうとうがお好きだ」などという答えが返ってくる。信玄公が、佐助が、家臣がと、身近な者、おそらくは信頼を寄せる者のことばかりをさも嬉しげに話す。
「ほうとう?」
「ひもかわうどんをな、根菜などと一緒に味噌で煮込むのだ」
「うどんか。そっちは米があんまり穫れねえんだったな」
甲斐は米作に恵まれない地域だ。民は麺類を主食にするらしいということは政宗も伝え聞いていた。ゆえに武田は信玄より以前、米の実りの得られる土地を求めて領土拡大の戦を繰り返し、そして民を疲弊させていたと聞く。
その点奥州は滋味のある土地柄だ。山も川も海もあり、米の出来も良い。
それを思ってか、幸村の表情が僅かに曇り、隠すように盃に残っていた酒をくいと飲み干す。
「こちらには海もない。だから魚介は、火を通したものを醤油に漬けて運んで来るな」
「煮魚の醤油漬けか。それはそれで美味そうだ」
「ああ、美味いぞ! お館様もあわびの煮貝などがお好きで」
「Stop」
「……む?」
勢いこんで言いかけたところを遮られて、幸村は目を忙しく瞬かせる。
「アンタ、少しは自分のことを話してみろ」
行儀悪く盃で幸村を指せば、顎に片手を当てて幸村が低く唸った。
「……話していなかったであろうか」
「あァ、ほとんどな」
「しかし、それがしのこと……で、ござるか」
語尾を濁すと、腕を組んで幸村は本格的に考え込む。酒を舐めながらしばらく待ってみても続く言葉はなく、政宗が先に音をあげた。
何か聞いてみるかと考えて、ふと、先ほど忍が口にしていた言葉を思い出した。意地の悪い笑みを幸村に向ける。
「癇癪起こしちゃ、地面に槍叩き付けるって?」
顔を上げた幸村は、目を彷徨わせて狼狽した。
「う。いや、それは……その。いつもというわけではござらぬ。ただ、幾度か」
戦場で、と消え入りそうな声が言うのに、政宗は目を瞠った。
「戦場で? 癇癪起こして得物を投げ捨てた?」
「……左様」
「アンタ、意外と」
「このところはしておらぬ! まだ、戦慣れしておらぬ頃の話で……」
幸村はそう言うが、政宗の調べた限り、幸村の戦の経験はまだ浅い。ごく最近の事なのだろう。
「へえ? 合戦に出るようになったのはいつからだ?」
「初陣を許して頂いたのは二、三年前でござるな。それより前にも、本陣でお館様のお世話に付かせていただきながら色々なことを学ばせていただいた」
世話と聞いて一瞬下世話なことを想像しかけるが、そういった含みはなさそうだ。
「二槍は珍しいが、槍は誰かに習ったか?」
質問の形で幸村に喋らせ、政宗は相槌を打ち、時折冗談で混ぜ返しながらそれを聞く。戦場での幸村も大概面白かったのだが、落ち着いて話してみればそれはそれで、ころころと変わる表情が面白い。
槍の修練がひどく厳しかったこと、戦場で煮炊きの手伝いをして失敗した話などを聞いて政宗は喉で笑い、
「そういやこれも聞いてなかったな」
「何でござろう?」
「甲斐の食いもんは何が美味い? アンタの意見で答えろよ」
先ほどと同じ質問をしてみれば、幸村が困ったように後ろ頭を掻く。
「甲斐の食べ物というわけではないのだが……」
「いいぜ、言ってみな」
促せば、幸村は小さく頷く。
「それがしの郷に、小さな茶屋があってな。城の近くに。それがしが物心ついた頃から今も続いている店なのだが」
「へえ?」
「そこの団子が甘くて、滅法美味い」
どこか照れたように言う様が妙に可笑しく、政宗は声に出して吹き出した。それに意識を刺激されてか、雑魚寝している家臣が唸って寝返りをうつ。
「笑うことはなかろう!」
「武田の鬼は甘味が好みか!」
「悪いか! どうせ童のようだと言うのでござろう!」
「いや、悪かねえよ。……そうだな、悪かねえ」
政宗はなおも笑いながら、盃を目の高さに持ち上げて幸村を見遣った。
「次に奥州に来ることがあったら、珍しい甘味と新鮮な魚を食わせてやる。もっとも、次の機会があるかどうかは知らねえがな」
掲げたそれを、喉を反らせて一息に呷る。
ふうと酒精を吐き出した先で、幸村が嬉しげに笑うのを見た。
「ではそれがしは、ほうとうと煮貝をご馳走しよう!」
結局空が白み始めるまで二人は酒を片手に語り続け、少しの仮眠をとって翌朝、幸村は三和土に立ち、政宗と家臣たちに一宿一飯の礼を述べた。
「おい待て、真田」
それではと下がろうとするところを引き留められ、何かと思えば、家臣の一人が真新しい一本の槍を政宗へと手渡した。
政宗はそれを軽く握って振り、細部の拵えを目で確かめる。
「持って行け。朱くはねえが、長さも重さも近い筈だ」
昨夜のうちに折れた槍の替わりを探させたのだと言って、政宗はそれを無造作に幸村へと差し出した。
幸村の得物と近い形の、十文字槍。
穂先は鋭く研ぎ澄まされ、柄には美しい細工が施されている。
「このような、立派な……」
戸惑う幸村に、政宗は意地の悪い笑みを浮かべる。
「悪いな。ウチには立派なもんしかなくってよ」
「いや、お心遣いだけ、ありがたく頂戴致す」
「Shut up. 二本の方が動き易いんだろうが」
「それは、そうだが」
政宗は舌打ちして、幸村を睨み付ける。
「わからねえ野郎だな……。昨夜の連中が、まだそこらに潜んでねえとも限らねえ。もし道中アンタが襲われて、武器が欠けていたせいで殺されたなんてことになったら、こっちの寝覚めが悪ィんだ」
幸村は困惑した様子で、政宗の顔と槍とを交互に眺める。
「何より、アンタとの決着はまだついてねえ。死なれちゃ困るんだよ。オレがな」
その言葉に、幸村の目の色が変わった。戦場で見た時と同じ色の、目。
「失礼」と断ると槍を受け取り、戸口から外へ数歩離れた。布を取り去った己の槍とあわせて両手に二槍を構える。
手の中で器用に柄を回し、そのまま大きく振り下ろして腕と水平にぴたりと止める。片足を軸にしてゆったりとした動きで回転しながら、水平に構えた槍の穂先で空を切る。今は鉢巻きは外されているが、長い後ろ髪がまるで飾り紐のように揺れた。
通行人が通りすがりながら、あるいは足を止めて、遠巻きにそれを見物する者がある。
舞のようだと半ば感嘆しながら眺める先で、二槍を纏めて片手に納めた幸村が姿勢を正して一礼した。
「手に馴染む。ありがたく頂戴致す」
「おう」
頭を上げた幸村の瞳が揺れて、何かを言いたげに唇が動いた。政宗がそれに気付いて首を傾げれば、意を決したように幸村が大股で歩み寄って来て、近づいてきた勢いのまま強い力で手首を取られる。
咄嗟の事に背後で家臣が身構えるのを、政宗は後ろ手に制した。
「本当は」
まっすぐに向けられるのは、人を害そうとする目ではない。どこか思い詰めたような目だ。
「本当は、独眼竜殿にお会いしたかったのだ」
絞り出すような声で、幸村は言う。
国境近くにいたのは確かに偶然だが、奥州へ向かう途中だったのだと。
「へえ、目的は?」
「申した通りだ。独眼竜殿にお会いしたかった」
「それで?」
「それだけだ。某にもわからぬ」
おそらくは無意識にだろう、手首を握る手に力がこめられた。
「それがしはあまり言葉を知らぬ。感情の機微にも疎い。何故かは自分でもわからぬが独眼竜殿にお会いしたく、それで、遠くからなり姿を見れば……何か、わかるのではないかと」
「……とりあえず離せ。痛ェ」
「も、申し訳ござらぬ!」
熱い物でも触ったかのように手が離れて、幸村は恥じたように俯く。
ふうんと呟いて政宗は腕を組み、
「で、どうだ? 何かわかったか?」
訊けば、まっすぐな視線がひととき政宗を見据えて、力強く頷いた。
幸村の背が門の向こうに消えたあと、家臣のひとりが妙な男ですなと呟いて、それに同意する声があがる。
「妙は妙だが、飽きねえのはいいな。……さて、支度しろ。引き揚げるぞ」
鎧兜と陣羽織を片づけさせ、軽装で馬の手綱に手をかけた政宗は、ふと、左の手首に気を遣った。
袖をまくり目を凝らせば、少しばかり鬱血の色をして、指のかたちに皮膚が赤い。
『お会いしたかった』
掴まれた部分が、まだひどく熱いような気がした。
2005.11.01/修正:2009.05.31