温 石
火鉢の中で焼けた炭がぱちりと爆ぜた。
甲斐ではまだ肌寒さを感じる程度だったものが、奥州に来てみれば空気は既に秋とは思えないもので、風が吹けば冷気が肌に痛いほどだった。北では冬の訪れが早いのだと実感する。
手持ち無沙汰に火掻き棒で火鉢の中を探り、幸村は何度目かに戸口を振り向いた。
すっかり通い慣れてしまった感のある竜の居城に、珍しく主は不在だった。
前触れもなしに訪れた非礼を詫びて出直そうとしたのだが、もうすぐ戻る筈だからと政宗の家臣に強く引き留められ、大広間の一室に通されてしまった。ずっと馬の背に揺られ通しだったので落ち着けるのはありがたかったが、時間の経過につれて迷惑ではないだろうかとの気持ちが強くなる。用向きのほどは判らないけれど、戻ってすぐに客の相手をするのは辛いだろう。やはり今日のところは帰った方が良いと何度か人を呼びかけたのだが、政宗に会いたい気持ちも強い。
もう半時待って戻らなかったら……と、その半時が積み重なり、締め切った障子から差し込む光に夕暮れの色が混じり始めた頃、廊下の向こうから足音が届いた。
衣擦れの混じったそれに期待を込めて見遣った先で、襖が乱暴に引き開けられる。独眼竜殿と言いかけて、音にする前に言葉を失った。乾くほどに目を見開いて、幸村は戸口に立つ人物を凝視する。
現れた政宗は直垂姿の正装だった。常ならば首のあたりで跳ねている髪は後ろで一つに括られていて、それだけで受ける印象が常よりも格段に硬い。
戻った足で来てくれたのかと驚くのが半分、初めて見る出で立ちに見惚れるのが半分。茫然としていた幸村は、開けられた時と同じ乱暴さで閉じられた襖の音にようやく我に返った。
「よーう……」
低い声で素っ気なくそれだけ言う政宗は、不機嫌そのものという表情で後ろ髪を纏めていた紐を取り去る。無礼に腹を立てているのだろうか。そう考えて、幸村は膝に手を置き姿勢を正して頭を下げた。
「留守中の訪問、失礼仕った」
「あ? どうせ小十郎あたりが引き留めたんだろ」
ここに来るまでに聞いていたのか、それとも察したのか。それはそうなのだが政宗の帰りを待ちたかったのも確かなのだ。
「いや、そればかりというわけでもない。しかし無礼を承知でお待ち申し上げた甲斐があった!」
「ふん?」
「独眼竜殿は鎧姿が一番だと考えているが、直垂姿もまた格別! そのような立派なお姿を拝見できるとはそれがしぐはぁっ!?」
荒い足取りで近づいて来た政宗に不意打ちの蹴りを叩き込まれ、幸村は勢い良く畳に倒れ込んで強か頭を打ちつけた。抗議の言葉を上げようと体を起こしかけたが、傍らに座り込んだ政宗に仰向きにのしかかられ、再び畳に倒れ込む。
これはどういう気分なのだろう。後頭部をさすりながら幸村は思案する。
甘いと言えなくもない体勢だが、どちらかといえば寝具の類だ。
「某は布団か何かに見えるだろうか」
「ha、それにしちゃ寝心地が悪いぜ」
笑い含みにそう言って、おさまりの良い位置を探してか、政宗の体が仰向けのままずり下がる。したいようにさせておくと、胸の端に頭を乗せたところで落ち着いたらしく、政宗は浅く息を吐いた。
甘えられているのはわかる。悪い気はしないが、せっかく会えたというのに姿勢のせいで表情が見えない。それが惜しくてどうにか顔を見ようと首を曲げると、白い横顔がついと背けられた。諦めて幸村は畳に頭を落とす。
秋の終わりの冷気を乗せて、見えない手が気まぐれに障子を叩いては去っていく。外では風が出てきたようだ。
部屋の空気は火鉢に温められているのに、胸の上にだけひやりと冬の気配がある。
「独眼竜殿から、冬の匂いがする」
言うと、僅かに政宗が身じろぎした。
「今日はどちらに?」
顔が見えないのならせめてもと髪の間に指を差し入れれば、想像通り芯まで冷えていた。耳に触れればそれも冬の温度だった。
「北の方だ」
「それはさぞや寒かったでござろう」
緩く癖のある髪を梳いて、指を絡めて体温を移す。
なめらかな感触を楽しんでしばらくの後に手を止めれば、ねだるように、けれど鷹揚な仕草で、手に頭が押しつけられた。頬を緩めて幸村は再び政宗の髪を梳く。その下で深く深く息を吸う気配があって、
「……寒かった」
溜息に乗せて感情のこもらない呟きが漏らされた。
その、額面通りのものだけとは思えない響きに幸村は表情を曇らせる。
政宗は時折、何気ない表情や言葉の下に、そういった虚ろな様を見せた。辛そうであり、苦しそうでもあり、寂しげでもある。手を伸ばして抱きしめたくなるのだが、それさえも咄嗟に躊躇われる何か。
訊いたところで易々と話してくれるような気性でないことは理解している。だから幸村も追求はしない。
しないかわりに髪を梳く手を止めて、政宗の頭を指先で軽く突いた。
「what?」
言葉の意味はわからなくとも、音に乗せられているのは疑問の響きだ。
「抱きついていただけると、暖かいと思うのだが」
言えば、くっと喉で嗤われた。
「馬ッ鹿。誰がするかよ」
「そうは言うが、某は体温が高いらしく、冬場は重宝されるのでござる」
「へえ?」
「子供の時分はお館様に、膝の上に座れと言われては温石がわりにされ、佐助などは今でも背中に張り付いて暖をとる始末で……」
思い出して眉根を寄せながら話していると、ふいに政宗が上体を起こした。
肘で体を支えて幸村に検分するような視線を寄こす。
「ようやく顔を見せてくだされた」
「……狙ってるわけじゃねえのか」
「何をでござるか?」
「何でもねえよ」
不機嫌な響きでそう言って、俯せに体を返した政宗の上半身が幸村の胸に乗り上げた。
「ど」
「shut up」
「抱きつきはしないと今しがた」
「気が変わったんだよ。いいから黙れ」
きつい口調と頬に添えられた手に意図を汲み取って幸村は目を閉じた。もう冷えてはいないが、自分のものより体温の低い唇が触れる。
躊躇いがちに両腕を背に回して抱きしめれば、政宗はおとなしく腕のなかにおさまった。
胸の上に預けられた重みと、自分のものでない体温と体臭が心地よい。角度を変えて口づけて、どちらからともなく舌を絡め口内を探り、息がすっかり乱れた頃に、塗れた唇を舌先がちらりと舐めて去っていく。
「確かに、暖かいな」
「そうでござろう?」
目を開ければ、至近距離で政宗が意地悪げに笑っていた。幸村も破顔して、抱きしめる手に力をこめる。
纏わりついていた冬の気配は、暖かな空気に溶けて消えていた。
2005.10.24